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第31話

「あ……ありがとう、ございます……。なんだろ、急に……」 少年が、薄く涙の滲んだ大きな目で瀬島を見つめる。 「でも……おじさんの言うとおりにしたら治った……おじさん、お医者さん?」 あまりに素直そうなその少年の言いように、瀬島は照れて苦笑した。 「いやいや、まさか。昔同じような場面に出くわしたことがあってな、ちょっと知ってただけだよ……」 実は以前――之彦が騙してホテルへ連れ込んだ若者が同じ発作を起こしたことがあったのだ。瀬島は決まり悪く、過去の自分の所業を思い出した。 二人して大分酷い扱いしちゃったからなあ……参っちまったんだろう。あの時は之彦が対処を心得ていたから事なきを得たんだ。あれで死なせちまってでもいたら、俺ぁ今頃ムショぐらしだったかも…… とはいえ、この子が何かひどい扱いを受けてるのは確実なようだ。虐待されてるのかと訊いた途端の今の反応だ、間違いない―― その後飲み物を出して暫く休ませてから、瀬島は彼の事情をもっと詳しく聞き出そうと努めたが、少年はその金持ちの養育者について、とても厳しい人なんです、好みにうるさくて、と説明しただけであまり語らなかった。言いたくない風だった―― 無理強いするのは良くないかも。瀬島はそう感じ、名刺を出して裏に自宅の住所と個人の電話番号を記入し、少年に差し出した。何かあったらここにいつでも逃げてこい、と言い添える。少年は感極まったような表情をし、名刺を、とても貴重な物であるかのように大事そうに両手で受け取ると、瀬島に向かって深く頭を下げた。その様子を見て瀬島は、彼の事がすっかりいじらしくなってしまった。初対面の――何の関わりもないよその子なのに、なんでこんなに気になるのか。彼を見てると――えらく庇護欲が掻き立てられる。 少年は本弭紡(もとはずつむぐ)と名乗った。やがて 「あの、もう帰ります……あまり遅くなるとまずいから」 そう言って立ち上がり、もう一度瀬島に向かって丁寧にお辞儀した。 雑居ビルを出て下の道を歩き出した紡に、瀬島は事務所のサッシを開けて上から叫んだ。 「また来いよ!おじさんがいつでも相談に乗るから!」 紡は立ち止まって瀬島を振り仰ぐと、微笑んで頷き、手を振った。

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