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憎くて愛しい俺のエネミー 1
事の発端はいまから三ヶ月前。
「あのね史路、わたし再婚することにしたの」
いきなりの宣言に箸を取り落としそうになった。
俺と母さんがふたりで暮らしているマンションのダイニングルーム。
俺の母親はファッション関係の店をいくつか経営していて、そのために忙しい日々を送っている。こうしてふたりそろって夕食を摂るのは久々だった。
なるべく早く帰るから一緒に夕食を食べましょう、と言われたので食べずに待っていたのだが、再婚の話をするためだったらしい。
「……へえ、ああ、そう」
言いたいことは山のようにあった。
いきなりすぎるだろ、だとか、まずは俺に会わせてからだろ、だとか。
俺は無意味な言葉をおみそ汁とともに飲み下した。俺の母親は、息子が反対したくらいで再婚を取りやめるような玉ではない。うかつに反対しようものなら、舌鋒で蜂の巣にされるのがオチである。
それに母さんは女手ひとつで俺をここまで育ててくれた。それを思うと、闇雲に反対するわけにはいかない。
俺だって母さんの幸せを望んでいないわけじゃないのだ。
「でね、その人、仕事の都合で春から上海にいくことになってるの。わたしもそれについていくつもり」
「は……?」
俺は母さんの顔をまじまじと見つめた。
俺と違ってどちらかと言えば地味な顔立ちだが、造作そのものは整っている。もともと若々しい人ではあるが、今日はいつも以上に若々しい。恋の効果という奴だろうか。
その顔に浮かぶ笑顔は、わざとらしいまでににこやかだ。
「上海って……俺はどうするんだよ」
上海という響きだけならなんだか楽しそうではあるが、俺は高校二年生だ。あと三ヶ月もすれば三年生になる。いまさら転校なんてしたくない。
「史路は日本に残りなさい」
あっさりとかえってきた言葉にホッとしたのが三割、淋しくなったのが五割、むかついたのが二割といったところだ。
実の父親と離婚したのは、俺がまだ五歳のころだ。それからずっとふたりで生きてきたのに、男ができたら息子なんてどうでもいい。そういうことですか。へー、ほー、ふーん。
「相手の人ね、初婚なの。一年もすれば日本にもどってくるから、そうしたら三人で暮らしましょう。それまでは新婚気分を味わわせてちょうだい」
さすがに良心が咎めたのか、母さんは申し訳なさそうに言った。
……まあ、いきなり十七歳の息子ができるというのもヘビーな話だ。夫となる相手に気を遣ったのかもしれない。
しかたがない。こうなったら甘んじてひとり暮らしを受け入れようではないか。ひとり暮らしなら、いつでも好きなときに彼女を部屋へ呼べる。これは大いなる利点だ。
「わかったよ。母さんが上海にいってる間、俺はひとりで留守を守ってるから――」
「あら、なに言ってるの? ひとり暮らしなんてさせないわよ」
「えっ?」
俺はふたたび母さんの顔をまじまじと見つめた。母さんは不敵な笑みを浮かべている。
ひとり暮らしをさせないって……それはつまりこの家で誰かと同居しろということか?
冗談じゃない。俺は繊細な外見どおり、繊細な内面を持っているのだ。
よく知りもしない相手と暮らしたりしたら、身も心も病んでしまう。よく知っている相手――友達だとか彼女が相手だとしたって、一緒に暮らしたいとは思えない。
同じ空間で他人と長時間過ごすのは苦手だ。
「史路、あなたは涛川大学付属高等学校に転入するのよ」
「するのよって――」
「涛川は全寮制の男子校なんですって。朝食と夕食は寮で出るし、お昼は購買や学食があるらしいの。だったら、料理がまったくできないあなたでも安心でしょ?」
「いや、ちょっと待ってよ」
俺の心は太平洋レベルで広い。母親のいきなりの再婚くらいは許容できる。が、しかし、全寮制男子校に入れと言われて『はい、入ります』と返事ができるほどには広くない。
他人とひとつ屋根どころかひとつドアの向こうで暮らすだなんて、俺にとっては拷問だ。三日ともたずにノイローゼになるのが目に見えている。
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