8 / 25
憎くて愛しい俺のエネミー 7
転校先の小学校では、俺のライバルになれるような奴はひとりもいなかった。勉強でも運動でも女子の人気でも、俺は当たり前のようにトップに立った。
ずっと望んでいたいちばんの座を手に入れたのに。俺の心は凪の海のようにさざなみひとつ立たなかった。
このときになって気がついた。心臓に風穴が空いていることに。
喜びも楽しさも、その穴からはらはらとこぼれ落ちていく。いちばんの座を手に入れようがどうしようが、満たされないのはそのせいだ。
その穴を空けたのがこの世でいちばん嫌いな男――森正克寛だと理解したのは、中学に上がったあとのことだった。
「今日からおまえのルームメイトになる転入生だ。名前は木村史路。これからいろいろと面倒をみてやってくれ。頼んだぞ、寮長」
岸田先生は森正の肩をポンと叩いた。
もしもまた出会うことがあっても、身長では負けないだろうと思っていたのに。目の前に立っている森正は、生意気にも一九〇センチ近くありそうだった。
小学校時代の背の順は、俺が後ろから二番目、森正がいちばん後ろ。この構図はついに最後まで変わらなかった。
子供のころはそれを死ぬほど悔しく思ったが、いまは身長なんてどうでもいい。
会ってわかった。
自分がどれだけ森正に会いたいと願っていたか。
だって、もうなんだか泣きそうだ。
俺は森正なんて大嫌いだった。それは再会したいまだって変わらない。でも、だけど、いまばかりは憎たらしさよりも懐かしさのほうが上回った。
きっと森正だって懐かしさのあまり感動しているはずだ。根が楽観的にできている俺は信じて疑わなかった。
「ああ、こいつが」
視線がちらりと俺に向く。その目には一切の感慨がなかった。
懐かしさも、久々にライバルに会えた喜びも、驚愕も、嫌悪でさえ浮かんでいなかった。冷たいほど平然としたまなざしに愕然とする。
なんだその道端の石ころを見つめるようなまなざしは。
まさかこの俺を覚えていないとでも言うのか――?
「おまえから木村に寮の規則や設備を説明してやってくれ。木村は三年だからな。新入生に交じって説明を聞くのもおかしいだろう」
「りょーかいっす。おい」
声をかけられて、ついびくっと肩が揺れた。
「寮を案内してやるよ。ついてきな」
顎をしゃくるようにして、森正は廊下を歩き出した。向けられた背中はそっけない。
信じられない。森正は本気の本気で俺のことを覚えていないのだ。俺はずっと忘れられずにいたのに。ひと目見ただけで、いや、森正という名前を聞いただけでまさかと思ったのに。
萎れた歓喜のかわりにこみ上げてきたのは、滾る怒りだ。
この俺を忘れるなんて許されると思うのか。いいや、許されるはずがない。
いまに見ていろ。絶対に俺のことを思い出させてやるからな!
心で叫び、背中へびしっと指を突きつける。が、森正が気づくようすはなく、廊下を大股に歩いていってしまう。
「なにをやってるんだ、木村……」
怪訝そうに呟いたのは、寮監督の岸田先生だった。
俺はいつもの癖でふっと笑って、横髪をさらりと掻き上げた。数々の女の子を魅了してきた仕草も相手が男では、それも教師相手ときてはまったくの無意味なのだが。癖というのは怖ろしい。
「先生、俺、この学校に転入してきてよかったです」
俺は爽やかで素敵、と数多の女子をうっとりさせてきた笑みを浮かべた。
「よかったって……さっきここに着いたばかりだろうが。それにきたくてきたんじゃないとか言ってなかったか?」
呆れ返った寮監督の声も、いまはどうでもよかった。
俺のターゲットはただひとり、森正だけだ。
なんとしてでも早急に俺のことを思い出させてやる。
思い出した暁にはしょぼい記憶力を馬鹿にしまくって、プライドを完膚なきまでに叩き潰してくれる。
俺は不敵に笑うと、がっしりした背中を追いかけた。
ともだちにシェアしよう!