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憎くて愛しい俺のエネミー 10

「なんだよ」  森正は雑誌を手に取ってパラパラとめくっていたが、俺が呼ぶと顔を上げた。 「おまえさ、小学校どこだった?」  中学校ならともかく小学校を訊ねるのはちょっと不自然かもしれない、と訊いてから思ったが、森正は疑問に思わなかったようだ。 「世田谷の白川小だけど」  森正に小学生時代を思い出させようとしての質問だったが、森正が俺の正体に気づいたようすはない。それがどうしたという顔で俺を見上げている。 「男ってさ、ライバルがいてこそ磨かれると思うんだ」 「あー、まあ、そうかもな」 「森正にもライバルがいたんじゃないのか。主に小学生のときに」 「いや、いなかったけど」  いともあっさりかえってきた言葉に、俺は愕然とした。  ダイアモンドがダイアモンドでしか磨かれないように、秀でた人間は秀でた人間でしか磨くことができない。俺たちは互いが互いのダイアモンドだったはずだ。 「嘘を吐くんじゃねえ! いないわけないだろ! 絶対にいた! しっかり思い出せ!」  森正の胸倉をガッとつかんで、がくがくと揺さぶる。 「いないもんをどうやって思い出すんだよ」 「ぜっっっったいにいたんだ! いたと言ったらいた! いいから思い出せ!」  ひょっとして俺は、森正にライバル認識されていなかったんだろうか。まさか。でも、そのまさかだったとしたら。  これ以上の屈辱はない。 「あー、そういやあ」  森正はなにかを思い出したようだった。俺は森正を揺さぶるのをやめて、その唇から出てくる言葉をドキドキしながら待った。 「ガキのころにひとりいたな。ライバルっつうか、やたらと人にきゃんきゃん吠えかかってきた仔犬みたいなのが。名前も犬みたいだったから、余計に犬っぽかったんだよな」  ……確かに俺の名前は響きだけなら犬の名前のようでもある。が、しかし、きゃんきゃんだの仔犬だのという言葉は、俺にはまったくもってふさわしくない。 「ポチだったか、タマだったか……。いや、クロだったかな。まー、なんかそんな感じの名前の奴がよく俺に食ってかかってきてたんだよ。どうせ勝てやしねーのに」  森正は口の端で笑った。いかにも森正らしいむかつく微笑だ。 「だ――っ」  誰の名前がポチだ、タマだ、クロだというんだ。だいたいタマは犬じゃなくて猫の名前だ。おまけにセンスが古すぎる。  森正の科白には禁断のワードがいくつも入っていた。  まず人の名前を間違えるとは言語道断。おまけに仔犬だのどうせ勝てやしねーのにだのという言葉に、俺の血圧は一気に上昇した。  森正の胸倉をつかんだ両手が怒りに震える。  森正は妙に楽しそうな顔で俺を見上げている。人を小馬鹿にするその表情。こういう表情を――人をさんざんコケにした挙げ句、己の勝利を疑っていない表情を何度目にしてきたことか。  婉曲的なやりかたで思い出させようとした俺が馬鹿だった。森正みたいな男には実力行使あるのみだ。頭で思い出せないなら、身体に思い出させてやればいい。 「てめえ、勝負しやがれ!」  怒鳴って拳を振りかざしたときだった。  コンコンとドアをノックする小さな音が、俺の勢いを殺いだ。 「開いてるぜ」  いま正に殴られようとしていたとは思えない、平常通りの声。暗に「おまえに殴られたところで蚊に刺されるほどでもない」と言っているのだ、こいつは。  むかつく、むかつく、むかつく。  俺は拳を後ろに引いたまま、吐き出しきれなかった怒りにふるふると震えた。誰がこようともためらわずに殴ってしまえばよかった。喧嘩というのは勢いでやるもので、タイミングが一歩ずれるともうだめだ。 「森正、岸田さんが呼んでるぞ」  入ってきたのは、黒縁の眼鏡をかけた生徒だった。派手ではないがちゃんとしたブランドものだとわかるシャツにチノパン。身体つきは細身で、顔立ちには品がある。  なかなかの美形と言っていいのではないだろうか。まあ、俺ほどではないが。

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