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第7話
母に連絡を入れて種のことを頼んでおけば様子を見に来てくれるはずだ。βの母には種のフェロモンは効力がない。両親が離婚するまでは種の発情期の間の世話は全て、母がやっていた。
今思えば、種が発情期に入ると父の帰宅は極端に遅くなっていた。母が種の世話をしている隙に浮気をしていたのだろう。そんなことも知らずに自分は弟を母に任せっぱなしだった。αだから種に近づくことは出来ないが、せめて何か手助けをするべきだったと悔やまれる。
離婚して種と別々に引き取られたのもαとΩだからだ。本当は母についていきたかった。けれどこれ以上、負担を増やしたくなかった。ずっと母が発情期中の弟についていたからフェロモンを嗅いでも理性を失わずにいられた。母の存在は抑制剤よりも効果があった。
けれど今ここに母はいない。連絡を入れて呼び寄せてもすぐに来られるわけではない。
相変わらず足は外に向かって動いてはくれない。なのに、リビングへは向かおうとする。リビングに種がいるのは匂いでわかる。自室にいたらこんなにフェロモンが強く漏れ出たりしないはずだ。
唇をグッと噛んで、リビングのドアを開けると充満したフェロモンが一気に実の鼻腔を刺激した。クラクラとして今にも理性が飛びそうだ。それを唇を強く噛むことで抑える。
何度も嗅いだことのある種のフェロモンの匂い。それなのに、今回はやけに強烈な感じがする。これまで必要以上に近付くことがなかったから、知らずにいた。これがΩという性の本能。αを誘惑して離さない匂い。
「……実ちゃん……」
なぜ、こんな時に名前で呼んだりするのか。最近はずっと「兄さん」だったのに。
発情して潤み、熱を持つ瞳がリビングの隅から実を見ていた。顔はほのかに紅潮し、息が上がり身体は熱を帯びているように見えた。
「実ちゃんっ……」
隅に小さく蹲っていた種がリビングに入って来て動けない実に走り寄ってきた。その勢いのまま実に抱きつくと、支えきれずに実は床に尻もちをついた。
「実ちゃん……」
名前を呼ぶ声は甘く、今にも鼓膜が溶けてしまうのではないかと思えた。
「種……離れろっ……薬を飲んで……」
種の身体を自分から離そうと腕に力を入れて種の肩を押すが、全身が脱力していて離せなかった。種は実の胸に顔を埋め、息を荒らげながら何度も実の名を呼んだ。その度に身体の芯が疼いて理性を保つのに必死だった。
「ねえ、お願い、一度だけでいいからっ……」
「離れろ……頼むから……」
抑制剤を飲んだのに種のフェロモンの方が強く、ジワジワと脳内は侵食されていく。
先に母を呼べばよかっただとか、どうしてあの時、外に出なかったのかだとか、色々な事を考えるけれどたちまち消えてしまう。もうこのまま、弟の出すフェロモンに任せて抱き潰してしまいたい衝動がどんどん強くなる。
「番になれなくてもいいから……一度だけでいいから……実ちゃんっ」
「……そんなことっ……」
出来ない。してはいけない。
この一線を一度でも超えてしまったら溺れてしまうとわかっていた。
認めたくなくて考えないようにしていた自分の中のドロドロとした感情に歯止めがきかなくなる。
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