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第16話
何やってんだろ俺……無言で歩き続ける永徳の後ろを歩いてもう30分近くになる。
永徳の家に向かっている、でいんだよな。でもさすがにこれ歩きすぎじゃね。
住宅街を通り過ぎて外灯も減り暗闇が広がる道に、この先に家なんてあるのかよと疑問が浮かぶ。
「なぁ永徳。どこまで行くんだよ」
そろそろ俺の足も限界なんだけど。
「そこ左に曲がれば入口だから」
永徳が指差す方向に目をやるとぼんやり光る外灯が見えた。
そこ曲がればって……ここ墓じゃね?左手に続く塀の向こう側は見えないけど多分、墓地だ。
え?何?俺どこに連れてかれんの。
「着いたよ」
言われて見えたのは寺で、左右の塀の間に立派な木造の門が佇んでいる。太い柱に掛けられた板には景永寺 と書かれていた。
開かれた門の奥には本堂があり、右手に住居らしき建物が見えた。
「お前の家って寺なのか」
古く威圧感のある景観に圧倒され、はぁっと小さく息を吐いた。
「言ってなかった?」
永徳は笑いながらこっちと住居がある方へ手招きした。
聞いてねぇよ。
こんな時間にお邪魔して迷惑にならないんだろうかと不安になりながらついていくと、永徳の部屋は大きな家の隣にある小さな家だった。
小さなといっても玄関を入るとキッチンも風呂もトイレもあって、その奥に6帖ほどの部屋が二つ続きにあり、襖で仕切られていて住むには十分な広さだった。
久しぶりに感じる畳の感触が気持ちよく、歩き疲れた足を思いっきり伸ばした。
「あの距離を毎日歩いてんの?」
「そうだけど、何で?」
ローテブルにお茶の入ったグラスを置く永徳に声をかけると不思議そうに俺を見た。
「遠くない?駅とかバスとかないのかよ」
「あるけど歩くの好きだから」
何でもないように話す永徳に、それ以上文句を言っても俺の運動不足が露見するだけなので何も言わないことにした。
だけど……あるなら使ってくれよ公共機関!
帰りも歩くのか……近くに駅があるなら電車で帰りたい切実に。
スマホで時間を見ると午後11時を過ぎていて終電には間に合わなさそうだ。
バイトが終わってすぐ友達と会うので遅くなりますと佑真さんに送ったLINEに既読がついていて、わかったと返事が来ていた。
『俺の知らない所で翔が誰かと仲良くしているのが気に入らない』
まだ好きだと伝える前の佑真さんの言葉をふと思い出す。
あれが嫉妬だったのかはわからないけど、少なくても今よりは気にしてくれていたはずだ。
一緒に暮らし始めてから、俺の帰りが遅くなると心配はしてくれるけど、怒ったりはしない。
俺の知らない所で佑真さんが何をしているのか、一緒に過ごす時間が少なくて寂しいとか本当は言いたいし、言ってもらいたい。
女々しいとはわかっていても佑真さんになら束縛されたいんだ。
でも佑真さんは何も言わない、そんな佑真さんに俺も何も言えない。
「過呼吸の事、調べたんだよね。翔が過呼吸を起こす原因って何?」
カランと音を立てて溶ける氷が入ったグラスを眺めながら永徳が静かに言った。
「昨日の事は迷惑かけて悪かったと思うけど、俺はその事を永徳に話すつもりはない」
「どうして!?」
視線を畳に落として話す俺に掴みかかりそうな勢いで永徳が俺に近寄ってくる。
「誰にでも言いたくないことってあるだろ。お前が無理して笑う理由とかな」
「それは……」
溜息混じりの俺の言葉に永徳は乗り出した身体を戻してぎゅっと口を真一文字に結んだ。
「永徳が心配してくれるのは嬉しいけど、原因は自分でわかっているし、迷惑かけないようにするから忘れてくれると助かる」
だからそんな辛そうな顔しないでくれよ、永徳。
「忘れるつもりなんかない!知りたいんだ……教えてよ翔」
捨てられた仔犬のような目をする永徳に罪悪感が湧いて来る。
仔犬……というには大きすぎる身体だけどな。
「お前が知ったところでどうにもならないから」
「それでもっ……俺は知りたいんだ」
必死な顔で食い下がる永徳に何でこんなに知りたがるのかと疑問に思う。
「そんなに珍しい?」
永徳がどうしてそこまで過呼吸に興味を持ったのかはわからないけど、あまりのしつこさに卑屈な俺が顔を出してしまう。
「そうじゃない!そうじゃなくて俺は……」
言いかけては口ごもる永徳に苛立ってくる。
このまま話していても埒が明かない。
「とにかく昨日は迷惑かけて悪かった。帰るよ」
「待って」
立ち上がる俺の肩を背後から掴む永徳の力の強さに足元から恐怖心が湧き上がった。。
コワイ 怖い コワイ 怖い
頭の中に悲痛な叫びが響き渡る。
どうしてこの声が……俺はこの声を知っている。兄さんに乱暴されていた時の“オレ”の声だ。
だけどトラウマが克服できたと思ってからは聞こえる事のなかった“オレ”の声がどうして今……。
頭の中が反響するその声に埋め尽くされて息苦しくなる。
「離……せっ」
うるさ過ぎるその声に頭を押さえながら俺の肩を掴んでいる永徳の手を勢いよく振り払った。
永徳の手から逃れた俺の身体が後ろに傾いていく。
それが俺にはまるでスローモーションのように思えた。
「翔!」
永徳の声と同時に後頭部に痛みを感じて思わず触れた手がぬるりと生暖かい。
「いってぇ……」
後頭部に触れた手には血がべっとり付いていた。勢いよく倒れ込んだ拍子に柱の角に頭をぶつけたらしい。
後頭部はずきずき痛むけど、頭の中のうるさい声が消えていた俺は落ち着いていられた。
「永徳、タオル貸してくれるか」
首筋を伝う生暖かい感触に血が流れていると感じて、俺の血を見て固まっている永徳に声をかけた。
「え、あ、わかった」
俺の言葉にはじかれたように立ち上がるとすぐにタオルを持って戻ってきた。
「――っ」
傷口をタオルで押さえると痛みで息が詰まる。
「きゅ、救急車呼ぶよ!」
スマホを持つ手を震わせている永徳に落ち着けよと笑みを浮かべると少し安心したように頷いた。
救急車か……こんな時間に大事にはしたくないけど、これはさすがに病院へ行かないと仕方なさそうだ。
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