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第26話

   通話の切れたスマホを見ながら大きく溜息をついた俺を佑真さんが後ろからぎゅっと抱きしめた。肩に頭を乗せた佑真さんの癖のない髪が頬にあたりくすぐったい。 「佑真さん電話中に変な事しないで下さいよ」 佑真さんに抱きしめられると俺の心臓はまるで全力疾走をしたみたいに大きく鳴り響いてしまう。そんな鼓動を気付かれたくなくて不満を口にしながら胸元に回された佑真さんの腕にそっと頬をすり寄せた。 「変な事って?」 佑真さんはたまにわかっているのにわからないふりをしながら俺の反応を見て楽しんでいるような所がある。恋愛経験のない俺はそんな佑真さんに振り回されっぱなしで何だか面白くない。 それでも耳元で聞こえる佑真さんの声に身体は熱くなり、何も考えられなくなってしまうから困る。 「だから――」 いつものように悪戯っぽい笑みを浮かべていると思った佑真さんの表情がふてくされているように見えた。 「もしかして佑真さん拗ねてます?」 「別に……」 ふてくされた表情のまま視線を逸らした佑真さんはそれでも離す気がないと言いたげに俺を抱きしめる腕に力を込めた。 その力に逆らうように俺は身体を反転させ、佑真さんの首に腕を絡ませながら癖のない黒髪に手を差し入れ佑真さんの頭を引き寄せた。 「何が気に入らないんですか?」 「明日、あいつと病院に行くんだろ」 静かに見つめる俺に眉をひそめ不満そうな声で佑真さんが言う。 「永徳は多分、俺が怪我したのは自分のせいだと思っているんですよ」 「俺にもそう言っていたけど、何があったんだ?」 ソファに座り直そうとする俺の腰に手を回し、引き寄せる佑真さんの真剣な表情に逃れることを諦めた。 「永徳がしつこくてちょっと揉めたんですよ。その弾みで俺が転んで怪我したんで、永徳に何かされたわけじゃないんです」 多少なりとも永徳にも非はあるけど、元々はすべって転んだ俺が悪い。 永徳にあまりいい印象もっていなさそうな佑真さんを見ていると、永徳が少しかわいそうに思えてくる。 着信は多過ぎるし、自分のせいだと言い過ぎるし、トラウマの事も聞きたがるし、面倒臭いやつだとは思うけど悪いやつじゃないのは確かだ。 「揉めた原因は?」 「揉めた原因、ですか……」 佑真さんの表情が少し険しい。 揉めた原因は俺が過呼吸を起こす理由を永徳が知りたがったからだ。でもそれを話すと過呼吸を起こした事が佑真さんにも知られてしまう。 俺自身よくわからないのに佑真さんに話して余計な心配をかけたくない。 「翔」 返事に困る俺に強い口調の佑真さんの声が聞こえる。 「永徳の前で過呼吸になったことがあって、その理由を知りたがって――」 「どうしてすぐ俺に言わない!?」 「――っ」 怒りを抑えきれずに声を荒げる佑真さんが掴む肩の痛さに息をのんだ。 「悪い」 我に返ったように掴んだ手を離すとそっと俺の頬に触れた。 「理由がわからないんです。だから心配かけたくなくて……ごめんなさい」 頬から耳へと触れる佑真さんの手の心地よさに目を伏せ佑真さんの胸に頭を預けた。 「わからないって……あいつに何かされたから過呼吸になったんじゃないのか」 「本当に何もされてなくて、ただ少し怖いって思ったくらいで……」 「怖い?」 促されるままソファに座り頷く俺の隣で佑真さんが首を傾げた。 「でも本当に少しだけで、過呼吸って疲れからも起こるからそっちの方が原因だったのかなぁとも思ってるんですけど」 「昨日、怪我した時にはならなかったのか?」 「息苦しくはなったけど過呼吸までは……」 言いながら、あの時聞こえた“オレ”の声を思い出した。だけど俺にしか聞こえない“オレ”の声をどうやって説明すればいいのかわからない。 「翔、話してみろ」 佑真さんが優しく包み込むような眼差しで微かに震える俺の手を握った。 「永徳といた時、怖いって思って……兄さんを思い出して余計怖くなったんですよね」 「水沢、か……」 「え?」 呟くような佑真さんの表情は曇っていて声は聞き取れないほど小さい。 「お前のトラウマは……俺のせい……なんだ……」 「何言って……」 俺のトラウマは兄さんに乱暴された事だ。それが佑真さんのせいってどういう意味だよ。 佑真さんが兄さんにそうしろと言ったとでもいうのか、佑真さんがそんな事するはずない。 もし本当にそうだとしてもそんな事実知りたくない。 「あの頃の水沢は何に対しても一番になりたがっていて、親からの期待がプレッシャーになっていたんだろうが……」 「兄さんの話なんか聞きたくないです」 兄さんも辛かったのかもしれないと頭では理解できる、できるけどだからって何をしてもいいって事にはならない。 それにたとえわずかだとしても佑真さんから兄さんを庇うような話を聞きたくない。 「水沢が歪んでしまったのは俺のせいなんだ……!」 「え……?どういう……」 辛そうに目を伏せる佑真さんの言葉に頭の整理が追いつかない。 「俺はただ……退屈な高校生活も何かと張り合ってくる水沢に勝つ事で少しはましだと思っていたんだ……その不満がお前に向くなんて考えもしなかった……!」 「それは、仕方ないんじゃ……」 俺が兄さんに何をされていたかなんてその時の佑真さんは知らなかっただろうし、兄さんが佑真さんに勝てなかったのも佑真さんのせいじゃない。 「違うんだ!俺は水沢が俺に勝てない鬱憤を誰かで晴らしている事も知っていた、知っていて情けない男だと見下していたんだ……だから――」 「だから俺が兄さんに乱暴されたのも、それがトラウマになってしまったのも佑真さんのせいだと?」 「ああ……俺はお前が思うような完璧でもいい人でもない」 俯き唇を噛み締める佑真さんは悲痛な表情を浮かべていて……どれだけ自分を責め続けてきたんだろうと俺の方が辛くなってしまうほどだった。 「俺は別にそこまで佑真さんの事をいい人だとは思っていませんよ。今まで付き合った人の気持ちが気にならなかったとか、さらっと言えちゃうあたりどうかと思いますしね」 「翔……」 佑真さんの髪を()く俺と目が合うと不安そうに逸らしてしまう佑真さんがかわいく見える。 「兄さんの事は佑真さんのせいじゃないです。佑真さんに勝てなかったのも、佑真さんに劣等感を抱いたのも兄さん自身の問題でしょう?」 「だけどな……」 「それに、一番悪いのは俺の存在なんです。兄さんを怖いと思う度に佑真さんに辛い思いをさせてしまう……俺さえいなければ――」 「お前は悪くないっ俺にとってお前はかけがえのない存在なんだ」 必死な顔をする佑真さんにふっと笑みが零れる。 「俺も同じなんです。だからもう自分を責めないで下さい」 「お前ってやつは……かなわないな」 苦笑する佑真さんの胸に身体を預け大好きですと呟いた。

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