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第75話
慎吾の家に行く当日、荷物を持つ俺を見つめる寂しそうな佑真さんの目に困ってしまう。
「俺の事は気にしなくていいですから」
笑顔を作る俺に佑真さんが綺麗な顔に悲しみを浮かべていてどう接したらいいのかわからなくなってしまう。
佑真さんに辛い思いをさせたくはないけど、俺の心が締めつけられるほど苦しくなることはなくて……ただ佑真さんに申し訳なくて、俺はそばにいない方がいいんだろうなと冷静に考える自分がいる。
「何かあったら電話しろ」
背中から聞こえる佑真さんの声も無機質な音にしか感じなくて、少し頷いて家を出た。
「早かったな」
「迷惑かけるけど、しばらく頼む」
今日が休みだと言っていた慎吾はさっきまで寝ていたのかまだ眠そうな顔で大きく伸びをした。
「それにしても意外だったな」
「何が?」
「五十嵐さんの家からでも通えない距離じゃないだろ」
「教育実習って大変らしいし、それに……慎吾といた方が気楽でいい」
慎吾から受け取ったペットボトルのお茶を一気に半分ほど流し込むと身体中が冷えていくようだった。
「お前はどうして五十嵐さんには素直になれないんだろうな」
「素直になるってなんだよ……」
「思っている事の半分も言ってないだろ」
呆れたように素っ気ない口調の慎吾に言っているつもりなのにと首を傾げたくなる。
俺なりには言っているつもりだけど、もっと言えていたら佑真さんへの気持ちが消えてしまう事はなかったんだろうか。
「なぁ慎吾……キスしてくんねぇ?」
「はぁ!?」
手にしたお茶をこぼしてしまいそうな勢いで慎吾が驚いた目を俺に向けた。
「やっぱ嫌?」
「嫌っていうか、意味が分からない」
「それって好きじゃないからだよな」
「そりゃそうだろ」
かき上げた髪をがしがしとかきながら困惑したように溜息をつく慎吾にそうだよなと呟いた。
「何?五十嵐さんにキスしたくないとでも言われた?」
「いや、俺がそう思った。俺は佑真さんの事をもう好きじゃないんだよ」
「おい、翔!」
「な、何だよ」
苦笑する俺の両肩を掴み声を荒げる慎吾の勢いに驚く。
「気付いてないのか、今のお前の目はあの時と……お前が兄貴との事を思い出した時と同じ目だ」
複雑な表情を浮かべる慎吾に困惑してしまう。
あの時は確か……兄さんの事を鮮明に思い出して、何も聞きたくなくて、何も見たくなくて、何も考えたくなかった。
「でも俺、あの時みたいに全部がどうでもいいみたいには思ってない」
「五十嵐さんの事はそう思っているだろ」
「佑真さんに対してどうでもいいなんて思ってない」
「表層心理と深層心理ってやつじゃねぇの」
あー……なんだったっけ、表層心理が自分で意識できる心の動きで、深層心理が逆に自分では意識していない心の動きだったかな。つまり俺は表層心理では佑真さんの事をどうでもいいとは思っていないけど深層心理ではどうでもいいと思っているという事か……。
考え込む俺を見て教師を目指しているならそれくらい知っておけと慎吾が苦笑した。
「何で俺、そんな風になったんだろう……」
「お前の気持ちが俺にわかるはずないだろ」
素っ気なく返す慎吾の声に俺が自分で気づかないと意味がないと言われている気がした。
俺だって佑真さんへの気持ちが本当に俺の中にもうないのか知りたい。
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