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第84話
ソファに身体を沈ませ時計に目をやると午後7時を過ぎていた。
「うーん……」
佑真さんと暮らし始めてもうすぐ1年になるこの部屋でこんなに落ち着かないのは初めてだ。
佑真さんは平気なんだろうけど、俺は前よりもっと佑真さんを意識してしまってどうしていいかわからなくなる。
今だって俺を見つめる熱を帯びた眼差しとか、俺を呼ぶ艶を含んだ声とか、思い出すだけで身体が熱くなってしまう。
こんな状態で佑真さんのそばにいて後2週間もある教育実習を乗り切れる気がしない。
教育実習が終わるまでは慎吾の家にいると佑真さんに伝えたら納得してくれるだろうか。
「どうした?」
まだ濡れた髪を拭きながら隣に座る佑真さんを直視できずに視線を落とした。
「俺……教育実習が終わるまでは慎吾の家にいようと思うんですけど……」
「そうか」
短く返す佑真さんの声が寂しそうに聞こえて、顔を上げると少し俯いた表情はやっぱり寂しそうで……。
「佑真さん、何考えてます?」
「別に何も」
いや、そんな寂しそうな顔で言われても説得力ねぇよ。
この人まさか俺が佑真さんの事を怖がって慎吾の家に行くって言ってると思ってるんじゃないだろうな。
「佑真さん、俺は――」
「江角の家に行くんだろ、わかったって」
何もわかってないのにわかってると投げやりな態度の佑真さんに腹が立ってくる。
「そうやって自己完結しちゃうのって佑真さんの悪いとこだって」
「江角の家に行くって言うからわかったって言っただけだろ」
何だその子供みたいな屁理屈。
最近分かった事だけど、臨床心理士になるために心理学を学ぶこの人は俺の事になるとその知識はどこかへ飛んでいってしまうようだ。
拗ねた子供みたいな屁理屈も不安に怯えるように揺れる瞳も、きっと俺にしか見せない。
そんな佑真さんの態度に愛しさが込み上げてくる。
「俺の話、ちゃんと聞いて」
ソファに膝をつき佑真さんの癖のない黒髪に両手を差し込んで俺の方を向かせると鼻先が触れるほど顔を寄せた。
「ああ」
観念したように苦笑した佑真さんが俺の額にこつんと額をあわせた。
「教育実習って思っていた以上に大変で、佑真さんのそばにいると俺、その……変に意識しすぎちゃって集中できそうにないんです」
俺の言葉に嬉しそうに微笑む佑真さんが本当に嬉しそうで、こんな嬉しそうな佑真さんを見られるなら恥ずかしさに耐え言った甲斐があったなと微笑み返した。
「週末には帰って来ていいですか」
「ああ、待ってる」
そう言った佑真さんの柔らかい唇が俺の唇に重なると耳まで熱くなってしまって慎吾の家から通う事にしてよかったと心底思った。
だいたい間近で見る佑真さんの顔を見慣れるなんて事ない気がする。
佑真さんのそばにいると心臓は早くなるし、見つめられると緊張したように呼吸もうまくできなくなってしまう。
それでもそばにいたい、見つめていたい。
人を好きなるって本当に凄い、今まで知らなかった感情を教えてくれる。
いつだって佑真さんが乾いた俺の心を癒してくれるんだ……。
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