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 それからしばらくして山野さんに呼ばれた俺は、昨日始めに訪れた事務所に連れて行かれ、社長らしき人に挨拶をしてから今度は六階の撮影部屋へ連れて行かれた。  部屋の中は普通のマンションの一部屋みたいになっていて、ソファにテーブルがあり、既にライトやカメラなども用意されていた。  ――本当に撮るんだ。 「ソファに座ってくれ。リラックスしろよ」  山野さんに言われて部屋の中央にあった白いソファへと静かに腰を下ろす。すると少ししてドアが開き、スタッフらしき中年男性が「どうもです」と中へ入ってきた。  ソファに座った俺を見て、その男が頭を下げる。 「インタビュー撮影の担当します、川中です。今日はよろしく」 「あ、どうも初めまして。亜利馬です。よろしくお願いします」  握手をしてから、川中さんが俺の向かい側のソファに座った。 「えーと、亜利馬くんね。そんな緊張しなくていいからね。普段の感じを見せてくれれば」 「は、はい」  軽い調子で言う川中さんが、手にしていたノートを開く。 「十八歳だってね。若いね、即戦力だ」 「そ、そんなことないです。俺なんか全然……」  恐らく俺の緊張を和らげるためだろう。川中さんは撮影前からひっきりなしに話しかけてくれた。  やがて室内に人が集まり出して、カメラマンやノートパソコンを持った人、タイムキーパーらしきストップウォッチを持った人、それからいかにも監督って感じの髭面の人、他にも凄く綺麗でカッコいいお兄さんなどが川中さんの後ろに固まって立った。その中にはもちろん山野さんもいる。  こんなに大勢の前で……。  早くも勃つ気がしないが、いよいよ始まるんだと思うと少しだけ気が引き締まった。頑張るぞ。絶対。 「それじゃ、始めましょうか?」  川中さんが言って、髭面の人に視線を向けた。スタッフ皆が首からネームプレートを下げている。髭面の男性のプレートには「二階堂」とあった。  その二階堂さんが頷き、その頷きを受けたタイムキーパーの青年が「五秒前です」と声を張り上げる。 「――はい! それでは自己紹介をお願いします」 「はい」  俺の視線は真正面の川中さんに向けられたままだ。斜め前からカメラが向けられているが、そっちは見なくていいと予め言われている。 「亜利馬です。十八歳、B型。よろしくお願いします」 「亜利馬くん、つい二、三か月前は高校生だったってこと?」 「そうです。頭悪いけどギリギリ卒業できました」 「頭悪いの?」  川中さんが笑ってくれて、俺も笑った。 「高校では部活とかやってたのかな?」 「三年間、帰宅部でした。今思うとスポーツやれば良かったなって。青春ぽいことしてないんですよ」 「そっか。それじゃ遊びまくってたとか?」 「全然。帰ってゲームばっかりしてました」 「ギリギリ卒業だもんね」  良かった。何とか上手く受け答えできてる。 「次はちょっと踏み込んだこと聞きますけど。亜利馬くん、彼女とかは?」 「いません。いたこともないです、男子校だったし」 「女の子が嫌いってわけじゃないんだよね?」 「もちろん、可愛いとは思いますけど……身近にいなかったので何とも。あ、かといって男に惚れたこともないですよ」 「じゃあ、エッチしたこともないのかな?」 「ない、です」 「してみたいと思ったことはある?」 「……うーん」  ちょっと汗が出てきた。――こんな質問、受け取った紙には書いてなかったぞ。 「してみたくないわけじゃないけど、あんまり考えたことないですね……」 「興味はあるでしょ?」 「た、多少は」 「それとも、自分がするよりも、されてみたいってことかな?」 「っ……」  膝の上で握った拳の内側に大量の汗が滲む。体内をぐるぐると熱が駆け巡って、顔がどんどん熱くなって……  ――やばい。鼻血が出る……! 「カット」  突然室内に二階堂さんの声が響き、撮影が一旦止まった。 「川中。質問内容は予定通りにやれ。彼には変化球は向かなそうだ」 「そ、そうみたいですね。顔真っ赤だ」 「………」  どうやらわざと予定にないことを質問して、俺を試していたということらしい。すんでの所で流血沙汰にならずホッとしたが、つくづく自分には「耐性」というものがないんだと思い知らされる。 「飲め、亜利馬」  山野さんがペットボトルに入った冷たい水をくれて、少しずつ熱を冷ますことができた。 「ありがとうございます……もう大丈夫です」  それからインタビューが再開されたが、今度は熱くならずに済んだ。決まっていることをなぞるだけなら、俺にもできるのだ。とはいえこれはまだ、トークだけだからというのもあるけれど。 「お疲れ、亜利馬。次の撮影はニ十分後だ、それまでにトイレ行っておけよ」 「山野さん。あの、もしその、勃たなかった場合って……?」 「撮影が長引くだけだが」 「そうですよね……」  素っ気なく返されて、俺はとぼとぼとトイレに向かった。  どうしよう。ちゃんとできるだろうか。  上京してから一度も抜いていないけど、あんなに大勢の前で下半身をさらして尚且つ自分で扱いて射精するなんて、めちゃくちゃハードルが高い気がする。万が一勃たなかったら本当にどうしよう。これがきっかけで不能になったらどうしよう。  どうしようどうしよう。心の中で繰り返しながらトイレに入ると、潤歩が用を足している真っ最中という場面に出くわしてしまった。 「お、……」  だけど今の俺にとっては、潤歩ですら神に等しい存在だ。大先輩。トップモデル。プロのAV男優。潤歩様。 「う、潤歩さぁん! アドバイスくださいっ、どうか、どうかこの俺に!」 「ちょ、てめぇ抱き付いてくんなっ! 小便ぶっかけるぞ!」  言われて潤歩から離れた俺は、両手をもじもじと合わせながら俯いた。 「ったく、このガキ……。突然現れて、何なんだ」 「すいません。テンパってて……」 「聴牌(テンパイ)はチャンスだぞ。冷静になった奴だけが和了(アガ)れる」  革パンのファスナーを上げて、潤歩が俺に向き直った。 「冷静に……」 「そうだ、冷静にだ。てめぇはまだ何も知らねえからギャーギャー騒いでっけど、オナニーくらいしょっちゅうやってんだろ。普段と同じことをするだけだ。見られてんのが気になるなら目つぶってればいいだろ。どうせ誰も話しかけてこねえしよ」  潤歩が手を洗ってから、煙草を振り出して一本咥えた。 「吸うか?」 「いえ」 「あっそ」  紫煙が天井の換気扇に吸い込まれてゆく。 「慣れればそのうち、オナニーくらいじゃ動じなくなる。誰もが初めに通る道だと思って、腹括れ」 「……でももし、勃たなかったら」 「そういう時のマニュアルもちゃんと決まってる。お前が思ってる以上にしっかり態勢整えてるから要らん心配すんな」 「………」  俺は潤歩を見上げて、素直に思ったことを言った。 「意外と優しい」 「……はぁっ? てめえが俺と同じグループじゃなきゃぶっ飛ばしてるっつうの! 甘えてんじゃねえぞクソガキがっ!」  ……やっぱり怖い。

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