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竜介、大忙し

 翌々日、俺の初めての「ブレイズ」撮影が行なわれた。  場所はビルから車で約ニ十分のところにある撮影用スタジオの二階だ。今回は始めに立ったままキスをして、ソファで前戯をして、次にベッドへ移動して本番となる。相手役は一人。タチ役としてはベテランのおじさん――といったら失礼だけどとにかく大先輩で、彼に任せれば大丈夫だと山野さんが言っていた。 「よろしくお願いします、亜利馬です」 「初めまして、よろしく。高畑良晴です」  スーツ姿の良晴さんは背も高くガタイもいいけどとても人の好さそうな人で、俺が緊張していると知っているからか過去の撮影での面白い話などをたくさん聞かせてくれた。  撮影自体は問題ない。セックスもまだ数回しかしてないけれど、良晴さんに任せてしまえばいいならラクだ。  それよりも俺は、「撮影スタジオ」という独特な空気に気圧されっぱなしだった。マンションの撮影部屋とは比べ物にならないほど広くて、フロアの半分からコッチ側は完全にセットと線引きされ、撮影機材やパソコンやモニターが騒然と並んでいた。バラエティ番組でよく見ていたやつだ。そこに自分がいるなんて、信じられない思いだった。  セットの方も右側がソファやキッチンなどのリビングを模した造りになっていて、左側はベッドがあるだけの寝室となっている。二つの空間の間には壁やドアはなく、ソファで撮った後はスムーズにベッドへ移動できるというわけだ。 「亜利馬」  山野さんに呼ばれてそちらへ行くと、髪についていた埃を指で払われた。 「今回は『ブレイズ』の第一弾だ。お前自身のデビューもまだなのにバタバタしてすまないが、今だけ頑張ってくれ」 「はい、頑張ります!」  俺の課題はNGを出さないこと。滞りなく撮影を終えること。特に今回はシリアスなイメージでと言われているから、絶対に鼻血も笑い声も噴き出させたら駄目だ。  シャワーを浴びてヘアメイクを済ませた俺は、私服に着替えて呼ばれるのをじっと待った。慌ただしく皆が動き回る中で立ち尽くしながら、憧れていた世界にいるんだと実感する。――実際は、ちょっとそれとは違うけれど。 「亜利馬、スタンバイだ」 「はいっ!」  失礼します、と声に出してセットの部屋に上がり、白い壁に背をつける。 「頑張ろう、亜利馬くん」  正面に立った良晴さんが言ってくれて、俺は力強く頷いた。  * 「……で、どうだったんだよ。そのツラを見る限りだとまたNG出したか?」 「いえ、その……撮影自体はちゃんと終わったんですけど、もう、疲れすぎて……」  その夜。隣のスタジオで撮影していた潤歩と帰りが一緒になった俺は、適当なところで車を停めてもらって一緒に夕飯を食べてから帰宅することにした。 「だらしねえな、たった二回ヤッたくらいだろうが」 「一日で二回なんて初めてだったんです!」 「もう少し体力を付けろ。今後は一日二回なんてモンじゃ済まなくなるぞ」 「……ええ……」 「それに言っとくけどな、タチ役はもっと疲れるんだぞ。運動量がウケとは違う。前戯から本番まで動きっぱなしだからな。休憩できんのはフェラされてる時だけだ」  午後九時のファミレスでそんな話もどうかと思ったが、とにかく疲れていて潤歩の発言を止める気力もない。俺は運ばれてきた食後のチョコレートパフェを前に、スプーンを握って大きく溜息をついた。 「タチの人達がガタイが良いのって、そういう意味も含まれてるんですね」 「画面映えするって理由もあるけどな」 「見られるための体かぁ……」  生クリームとバニラアイスをすくって、口に入れる。 「ウケでもヒョロヒョロよりはしっかりした体の方が良いに決まってる。そんなモンばっか食ってると腹も出るし太るからな」 「だって、撮影前は冷たいの食べたら駄目だって言うんですもん……」  自分の使っていたカレー用スプーンで、潤歩が反対側から俺のパフェを食べ始める。 「美味いな」 「美味いですよね」 「でも、丸々一個は食えねえ。獅琉と違って甘いモン好きじゃねえし」  そういえば、と俺はパフェから潤歩に視線を向けた。 「竜介さんも見た目に寄らず甘党なんですよね。ホットケーキが大好きだって言ってましたけど、全然太ってないし」 「竜介は、食うより運動する量の方が断然多いからな」  竜介。一昨日、大雅の部屋で一緒にあれこれした俺の先輩。豪快で面倒見が良くて優しいけれど、ちょっと天然なところもある二十三歳。  モデルとしては珍しいタチ専で、プライベートを含めこれまで一度もバックは使ったことがないと言っていた。それでもデビュー以来ずっと人気を保っているというのだから、ある意味では獅琉よりも凄いのではと思う。 「あいつ、あの若さで一戸建て持ってるんだぜ。去年、六本木にデカい家建てやがった」  潤歩が頬杖をついて「金持ち滅びろ」と呟いた。 「いいなぁ。俺なんか未だに自分の部屋用意してもらえてないし……獅琉さんに迷惑かけっぱなしですよ」 「忘れられてんじゃねえの」 「まさかぁ」 「まあ、獅琉は一人より賑やかな方が好きだから気にしてねえと思うけど……」  言いかけて、潤歩が笑った。何となく分かってきたけど、これは何か悪巧みを考えついた時の顔だ。 「移動するぞ、亜利馬。竜介の家で飲もうぜ」 「えっ、今からですか?」 「ついでに獅琉も呼んどけ。あいつ竜介の家遊びに行きたいってうるさかったからな」 「えっ、じゃあ大雅も呼ばないと怒られますよ」 「確かに。そんじゃ連絡しとけよ、先出てるからな」 「ちょ、ちょっと潤歩さん。会計っ!」  今日の給料は二回本番をしたから五万ずつで十万。申し訳なく思いながらタクシーの運転手さんに一万円を渡してお釣りをもらい、俺と潤歩は渋谷から六本木というかなりの近距離を移動して竜介の家の前へとやってきた。 「ファミレスもタクシーも、何で俺が払うんですか……」 「後輩の役目だろうが。家賃がないならこういう所で金を使え」  ともあれ見上げた一軒家は大きく、外観もかなり洒落ていた。レンガで囲まれた芝生の庭は専用の照明の仄かな明かりで照らされ、中央の細い道を通って玄関前へ繋がる低い階段を上る。白い壁に青い屋根。アメリカのホームドラマに出てきそうな家だ。  潤歩が呼び鈴を鳴らすと、ややあってスピーカーから「おう!」と竜介の声がした。まだ獅琉と大雅は来ていないが、午後十時半――この時間に突然訪ねても竜介は全く気にしていないようだ。 「どうした、お前達。遊びに来てくれたのか」  ドアを開けた竜介の顔は嬉しそうだった。寮に住んでいた頃は他のモデルと会う機会も多かったが、越してきてからは撮影以外で人と会うことがなく、自由と引き換えに割と寂しい思いをしていたらしい。 「遠慮しないで入ってくれ」 「お、お邪魔します」  玄関も広く綺麗で、そこから見渡せる廊下も、その奥にあるリビングも、すっきりと片付いていて……何より天井が高い。潤歩はずかずかと廊下を歩きながら「セックスで建てた家はすげえなぁ」と失礼なことを言っているけれど、どんな仕事で得た物だろうと、これだけ立派な家を持てるというのは純粋に尊敬に値することだと思った。 「こんなに大きな家だと、一人暮らしは確かに寂しいですね」 「一人じゃないさ。嫁と娘も一緒に住んでる」 「……えっ?」  嫁と娘。いま、竜介は確かにそう言った。 「お、お、奥さんと……娘さんが、いらっしゃるんですか」 「ああ。今来ると思う」  竜介がそう言うと、リビングのドアの隙間から小さな「奥さん」が出てきた。  主人がお世話になっております。満面の笑みで挨拶をしてくれた彼女は、毛並みの綺麗な白猫だった。 「かっ、可愛いっ!」 「おー、猫だ。こいこい」  人懐こくて、手を差し出せば初対面の俺と潤歩にも擦り寄ってきてくれる。さらさらの毛並み。顔立ちは相当の美人さんだ。 「じゃ、じゃあ娘さんていうのは」 「最近、知り合いから一匹譲ってもらったんだ。こいつとは血は繋がってないが、親子のように仲が良くてな。人間に対しては臆病だから、多分今はどっかに隠れてる」  白猫の名前は「シロ」、今は姿の見えないもう一匹の黒猫もそのまま「クロ」という名前だという。俺はすっかりシロにめろめろで、抱っこしてリビングまで一緒に行かせてもらった。 「でも、撮影の時は留守番ですか? 人がいなくても大丈夫なんですか?」 「ああ、俺がいない時も自由に寛いでるよ。仕事で何日か家を空ける時は、ホテルに預けるかシッターに見てもらってる」  ショップでの購入ではなく元は保護猫だったというシロとクロ。もらわれて来た当時はボロボロで衰弱していたというシロだけど、今はこんなに立派な家で愛されているなんて――まるでシンデレラストーリーじゃないか。  広いリビングの大きなソファに潤歩と並んで座りながら、俺はシロとじゃれ合い続けた。これだけで竜介の家に来て良かったと思えたほどだ。 「で、どうしたんだ突然来て」

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