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ブレイズ、初めてのお泊り会
六月に入り、そろそろ湿気が気になり始める季節になった。
梅雨は嫌いじゃないけど、獅琉は湿気で髪の毛がくるくるになってしまうと言って毎日鏡の前で試行錯誤している。
「風流で好きなんだけどね、この湿気だけどうにかならないかなぁ」
今日も休みだというのに髪を気にしている獅琉を見て、俺は苦笑した。
「くるくるでもカッコいいですよ」
「くせ毛の辛さは本人にしか分からないんだよ」
珍しくむくれる獅琉は可愛かった。仕方なく俺は荷物の整理に戻り、畳んだ服と下着をまとめてバッグに入れた。獅琉の部屋を出て行くことになったわけじゃない。俺は今、明日から行なわれる一泊二日の遠足の準備をしているのだ。
俺にとって初めての「スタジオ以外での撮影」は、関東のとある温泉旅館となった。名前さえ出さなければAV撮影を可能としている旅館で、業界では有難い存在だ。ゲリラ撮影の被害でやむなく閉鎖される温泉などもある中、この「N旅館」はこちら側でスケジュールをきっちり管理すれば堂々と露天風呂での撮影ができるという。露天風呂は二つあり、そのうち一つを一般のお客さん用、もう一つを撮影用として貸し出しているのだ。
「AV女優さんと鉢合わせすることもあるのかなぁ」
「撮影で行く場合はブッキングだけには気を遣うから、殆どないよ。一般客として泊まりに行く場合ならありそうだけどね」
「そっか。万が一撮影時間が被っちゃったら喧嘩になりそうですもんね」
ともあれ俺はわくわくしていた。元々遠出や旅行は大好きだし、ブレイズメンバーで温泉なんて想像しただけで面白そうじゃないか。たった一泊だけどバッグがぱんぱんになるほど荷物を詰めた。中には撮影が終わった後に食べるお菓子もたくさん入っている。
「そんなに必要ないよ、亜利馬。持つのが大変なだけだよ?」
「でも、置いてって後悔はしたくないんです」
「何が入ってるの?」
「一泊分の服と下着と、パジャマと、……お菓子です」
「お菓子が大半だね」
「だって楽しみじゃないですか。撮影は夕方までで、その後は翌朝まで自由なんですよね?」
「お菓子は向こうで買えばいいのに。コンビニだって近くにあるし」
「で、でも買っちゃったから」
「うーん、まあお菓子なら帰りは軽くなるか」
獅琉のOKをもらい、俺はほくほく顔でバッグを抱きしめた。
獅琉は帰りの服も行きと同じものを着るからと、部屋着と下着しか持っていかないらしい。お洒落な獅琉にしては意外だなと思ったけれど、服よりもスキンケア用品と使い慣れたヘアドライヤーなどを優先したいのだそうだ。シャンプーとリンスにボディソープまで小分けのビンに入れて持っていくらしい。
「泊まりでの撮影は楽しいから好きだけど、準備が大変なんだよ。荷物持って移動するのも好きじゃないし」
「じゃあ、獅琉さんの荷物は俺が持ちますよ! 後輩として!」
「ありがとう亜利馬。でも大丈夫」
「獅琉さん……」
「多分、亜利馬は潤歩の荷物を持たされると思うから」
「うっ……」
*
「おはよー」
「おーす」
「おはよ……」
翌日、朝七時。インヘルのビル前に集合した俺達のテンションは低かった。昨日の夜まで晴天だったのに、今朝起きたらざんざん降りの雨だったからだ。
潤歩はヤンキー座りで煙草を吸い、獅琉は髪のくるくるを気にし、大雅に至っては立ったまま寝ている。ちなみに大雅の荷物と傘は竜介が持っていた。
「よし、急いで車に乗れ」
山野さんも自慢のスーツがびしょ濡れだ。ようやく来たワゴン車に駆け込むようにして乗車した俺達は、車内のドライな空気にほっとしてシートに身を滑らせた。車に乗ってしまえば外の天気なんて関係ない。俺は隣に座った大雅とアメやガムを分けながら温泉について語り合い、後部の三人用シートに座った獅琉達は現地の美味い酒や料理の話をしていた。
「やっぱ海が近いから魚が美味いだろう。夕飯は寿司がいいな」
「雨降ってなければ、地元の寿司屋さんに行ってもいいよね!」
「寿司なんて最近あんま食ってねえなぁ。死ぬほどイクラ食おうっと」
三人は楽しそうだ。大雅は早起きと車の揺れに早々に眠くなったらしく、窓に顔をべったりつけて寝息をたてている。その口からガムが落ちそうになっていたから、仕方なく取ってやった。
「亜利馬は旅館で撮影するの初めてだから楽しみにしてたんだよね」
獅琉に言われ、俺はにんまり笑って後部座席を振り返る。
「修学旅行みたいでわくわくします!」
「一つ教えておいてやろうか、亜利馬くんよォ」
「え?」
潤歩が意味ありげな笑みを浮かべ、俺の額を指で押した。
「今日行く旅館はな、業界ではちょっと曰く付きの現場で有名なんだ」
「……え?」
「見える奴には見えるらしいぜ。夜な夜な廊下を歩く白装束のAVモデルが……」
「う、嘘だぁ……」
「ま、俺は霊感なんてないから見たことねぇけどォ。一応、夜に小便行く時は気を付けるんだな」
「………」
潤歩の顔芸ともいえるそのニヤつき方が妙に恐ろしく、俺はシートに座り直して沈黙した。
「罪な男だな」
竜介の言葉が潤歩に向けられたものなのか、その白装束のモデルへ向けられたものなのか――それすら考えることも出来ない。俺は、怖い話が大の苦手なのだ。
「………」
「大丈夫だよ亜利馬、今言ったの全部、潤歩の嘘だから」
「ほ、ほんとですか……」
「それに例え幽霊が出たって、皆がいれば怖くないしね!」
獅琉に肩を叩かれてようやく少し安心し、俺はシートベルトを握りしめてホッと息を吐き出した。
それから約一時間後。旅館に着いた時には雨もだいぶ弱まっていて、俺達五人は山野さんに連れられて旅館の玄関へと向かった。撮影班と二階堂さんは別の車でこの後来る予定だ。俺は歩きながら霧雨に塗れる旅館の庭を見回し、一人感動していた。緑が多く、大きな池もあり、その上に架かった赤い橋が何ともオリエンタルな雰囲気を醸し出している。
こんな素敵な場所に、「仕事」で来られるなんて。
「それじゃあ、二階堂さんと撮影班が来るまで待機しててくれ」
「やったぁ!」
俺達の部屋は一人一人ではなく五人で一部屋となっていた。まさに修学旅行だ。高二の時に行った北海道の修学旅行を思い出し、テンションの上がった俺は畳の上で意味なく転げ回った。
「これまでも何度か来たけど、変わらないね。落ち着く」
獅琉が荷物を置き、奥の障子を開け放つ。開かれた障子の先は一人掛け用ソファが二つとテーブルの置かれたスペースがあり、そこだけ洋室っぽい造りになっていた。ガラス戸の向こうには天気は悪いといえど壮大な庭の景色が広がっていて、春夏秋冬、美しい庭が見られるんだろうなと想像できる。
「凄い! 温泉も見に行きませんか?」
振り返ると、既に四人は畳の上で寛いでいた。潤歩と竜介は煙草を吸い、獅琉はお茶を飲み、大雅は座布団を枕にして寝ている。四人とも俺と違って旅館に慣れているのだ。俺のわくわく感は続いているけど、四人とのその温度差がちょっとだけ寂しい。
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