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 鏡の前に座り――小さめのヘアアイロンで前髪の細かい部分を挟まれ、伸ばされて行く。アイロンの持つ熱で額からこめかみの辺りがほんのり温かくなり、心地好くて寝てしまいそうだ。 「ユージさん、前に一本だけAV出たって言ってましたよね。その時の話って、良かったら聞いてもいいですか?」 「うん、いいよ。出たって言ってもメインじゃないしね。素人モノのナンパ企画で、お金もらって車の中でフェラされて終わり。何人かのうちの一人だよ。その後ホテルで本番撮影してる子もいたけど、僕は勇気がなくて断っちゃったんだ」  ワックスの付いたユージさんの長い指が俺の髪の中へ埋まり、左側の短いところをくしゃくしゃと揉み込むように動く。頭皮マッサージをされている気分だ。危うく涎が出そうになった。 「ゆうちゃん。僕、その話聞いてないんだけど」 「だってもう十年前の話だよ。自分から話すようなことでもないしさ」  体を反対にして椅子に座っていた庵治さんが、背もたれに頬杖をついて「むう」と頬を膨らませる。 「探せばDVD見つかるかな。何てタイトル? ウチから出てるやつ?」 「教えない。おーちゃんに見せたらどうせ碌なことにならないもん」 「碌なことに使うから、お願い」 「や~だ」  俺は含み笑いをしながらそのやり取りを聞いていた。彼らの場合、意外にもユージさんの方が主導権を握っているみたいだ。 「でも、庵治さん怒ってはいないんですね。ユージさんがAV出たことあるって、今知ったんでしょ?」 「別に怒らないよ。出会う前のことに怒ったり嫉妬しても意味ないじゃん。過去のことを俺が怒る権利もないし」 「まあそうですけど……」 「少し前に有名な女優さんが結婚して子供産んだ時、『子供が可哀想』ってバッシングが凄かったんだよね。AVやってるような女は子供持つなとか、誰の子か分かんないとかさ。馬鹿じゃねえのって思うよね。大人のそういう差別があるから子供のイジメも無くならない」  赤い髪を掻いてむくれる庵治さんに、ユージさんが「まあまあ」と優しく声をかける。庵治さんのお母さんが元AV女優だという話は、俺もつい最近知ったばかりだ。 「嫌悪感持つのは仕方ないけど、傷付けていい理由にはならないよね」 「それよりさぁ、亜利馬くん。今日の動画は覚悟しといてね。ライブじゃない分、フルスロットルではっちゃけるから」 「ええ……もう、本当に勘弁してくださいよ。庵治さん何かと俺のこと脱がしにかかるんですもん……」  ニヒヒ、とチェシャ猫の笑い方をして、庵治さんが椅子から立ち上がった。そのままこちらに近付いてきて、ユージさんの頬にキスをする。 「ゆうちゃん、亜利馬くんを今日一番可愛くしてあげてね。そんで帰ったら俺の頭も洗ってね」 「頭くらい自分で洗いなよ」 「だって僕ゆうちゃんの指使いすっげえ好きなんだもん。シャンプーされるとイきそうになる」 「馬鹿なこと言ってないでさぁ……」 「あは。そんじゃ亜利馬くん、また後ほど!」 「ほ、本当によろしく頼みますよ!」  鼻歌交じりにインヘルちゃんのぬいぐるみを抱えて控室を出て行く庵治さん。その背中を見送ってから、俺とユージさんは同時に溜息をついた。 「それじゃ、亜利馬くん笑ってください!」  満面の笑みを浮かべる俺と、そんな俺の頬に左右からキスをする獅琉と潤歩。背景は赤と白とピンクのバラで、それだけ見ると凄くハッピーなワンシーンといった感じだ。直前に俺と潤歩がくだらないことで言い合いをしていたなんて微塵も感じさせない。 「獅琉くん、自然な感じで後ろから亜利馬くんをギュっとできるかな」 「ラブラブ設定だ」  何度もシャッターが切られる中、背後から俺を抱きしめる獅琉と軽いキスをする。その後は潤歩が俺をお姫様抱っこして、そこでもまたキスをした。  普段着から黒いスーツに衣装チェンジし、少し大人っぽいショットも撮って行く。強引に顎を捕らえキスをする獅琉と俺。首筋に舌を這わせる潤歩と切なげに目を伏せる俺。見つめ合ったり壁ドン床ドンされたり、ふざけて尻を揉まれたり。  ブレイズメンバーとの写真撮影は大好きだ。直前に潤歩と喧嘩をしていたって、撮影後にはもう無かったことになって笑い合っている。初めは緊張して動けなくてもみんなが笑わせてくれる。一番近い距離で先輩達の表情を勉強できるし、普段は絶対に着られないような衣装を着て、いつもとは違う自分になれる。  ――そうだ。俺はいつもと違う、俺以外の「俺」を演じる。  例えそれが女装であっても淫乱であっても、天使でも悪魔でも。それぞれのキャラを演じて、それぞれのセックスを魅せる。  求められ続ける限り、ずっと。 「お疲れ様! 疲れたけど楽しかったなぁ」 「なあ、飯食いに行かねえか? そろそろ大雅と竜介も撮影終わる頃だろ」 「じゃあ会議室で待ちましょうか。俺コンビニ行ってくるんで、何か欲しいのあれば買って来ますよ」  財布だけ持ってビルを出ると、頭上はまだ太陽が照っていた。もうすぐ五時になるのに、ここ最近だいぶ日が長くなってきたとはっきり分かる。俺にとって東京での初めての夏――仕事もプライベートも、楽しみで仕方がない。 「亜利馬」 「あっ、山野さん。お疲れ様です、買い物ですか?」  丁度コンビニから出てきた山野さんと鉢合わせし、慌てて頭を下げる。 「一旦休憩を入れて、煙草が切れたから買いに来ただけだ。雑誌の撮影はもう終わったのか」 「終わりました。いいの撮れたって言ってもらえましたよ! 大雅と竜介の方は、もう少しかかりそうですか?」 「後は本番の絡みが一本で終わりだな。待つのか」 「はい、三人で待ってます。夕飯食べに行こうって話になって」  山野さんが口元を弛めて笑った。 「仲が良いな、本当に――いや、良くなった、という方が合ってるか」 「え?」 「獅琉と潤歩は学生時代からの友人で、竜介と大雅はあの通りだろう。そこに新人のお前を入れるのに始めは不安もあったが……要らん心配だったようだ」 「………」 「お前の存在が四人の良い刺激になって、全体のバランスが上手く取れたんだろうと思う」  照れ臭くてつい笑ってしまった。山野さんも笑っていた。  渋谷の街を照らすのは七月の太陽。  今日も暑い夜になりそうだ。

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