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「い、一樹(いつき)ぃ……っ、早く……はやくぅ……」  自らの意思とは関係がないのか、梓は再び自分のそれを擦りながら、熱に浮かされた目で一樹を見つめていた。  扉を閉めたせいで、より一層香る甘い匂い。一樹はそれらに抗えず、注射器を握ったままベッドに眠る梓へと覆い被さった。 「……い、つき……はぁ、あ、はやく……頭、おかしく、なるぅ……!」 「……!」  梓の悲鳴のような懇願。  彼は自身を擦りながらも、その大きな双眸からぼろぼろと涙を零していた。  その雫と握り締めた掌の痛みに、一樹は(すんで)の所で我に返る。 「……あ、ずさ。……注射、するからな」 「うん、うんっ……」  梓も苦しいのだろう、頬を拭ってやれば手に掛かる息が熱い。  その頭を宥めるように撫でてから、一樹はその腕に注射針を打ち込んだ。  梓は針の痛みに少し顔を歪めたが、シリンジの中の液体が腕に注ぎ込まれると、ふうと小さく息を吐く。 「……落ち着いた?」 「少しだけ……」  未だ充満する甘い匂いはそのままだが、言葉の通り梓の表情はいくらか和らいでいた。  その目尻の雫を指で掬って、一樹は身体を起こす。  勢いのまま襲わなくてよかった。  謝ろうと梓を見ると、梓は小さく微笑んで一樹の腕を引いた。 「……梓?」 「ありがと……一樹が居なかったら、僕なんにもできないや」  そう言って、ふわりと破顔する梓。  その笑みに、一樹は先ほどとは比べ物にならない劣情を覚えた。 「あ、ずさ」  ばくばくと、心臓が痛いほど早く打つ。  そのまま組み敷いてしまいそうになるのを理性で抑えていると、それを知ってか知らずか、上体を起こした梓は一樹に軽く口付けた。  梓の熱に湿った唇が、吐息が、一樹を溶かすようにその唇へと触れる。 「梓……!」 「好きだよ、一樹。……ずっと一緒に居ようね」 「ずっと一緒……」  重なった唇の熱に飛び掛けた一樹の理性。  それを繋いだのは、梓のその一言だった。  ずっと一緒。一樹には、その甘美な響きに頷くことは出来なかった。  なにも言えず黙り込む一樹に、梓は拗ねたように唇を尖らせる。 「僕、信じてるよ。……βとΩだって、ずっと一緒に居られるって」 「……そうだな」  一樹はなんとかそれだけ返すと、嚥下できない感情を誤魔化すように梓を抱き締めた。  ――この世には男か女か、また、α、β、Ωか、の六つの性が存在する。  幼馴染の梓が下等だと蔑まれるΩ性だと判ったのは、最初の発情期の時だった。  Ωは三週間を掛けて溜め込んだ性フェロモンを、一ヶ月に一度放出する。  その強いフェロモンで番となるαを引き付けるのだ。  しかし一樹は、梓の発情に中てられても理性で押さえ込める。  そのことは、一樹がβであることの何よりの証明だった。  Ωには魂の番と呼ばれるαが居て、出会えば一目で惹かれあうのだという。  だから、βである一樹とΩである梓の恋は、最初からうまくいくはずがないのだ。  だが、自身の性に気がついたときはもう、どうしようもない程に互いが互いに惹かれていた。  それから何年も、一樹は梓の面倒を見ている。  それを一樹がいつまで続けられるのかは判らない。  それでも梓の言うように、そんな日々がずっと続いていくのだと、一樹は漠然と思っている。  ――いや、思っていた。

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