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第9話
いきなり出てきた萌えという言葉の意味は何となく知っていてもそれを俺らに使う理由が理解できなかったけれど、どういうことか聞くこともできずに黙り込んだ俺を、木下さんはまた笑った。
それから、ツノの生えた環くんが完成したら見せてほしいと、そう言って体を前に戻した。木下さんの周りの人たちが一体何の話をしていたのかと彼女の周りに集まる。だけど彼女は「私の萌え話」とだけ言ってその話題を終わらせた。俺に気を遣ってくれたのかな?
……なんだろう。終わってみれば少し楽しかったように思う。彼女の言っていることは後半よく分からなかったけれど。でも彼女なら、俺の大好きな本当の大魔王環くんのことも好きになってくれる気がした。
飾り気のない親しみの持てる笑顔。こういう人なら、少しだけでも話すことが気がする。友だちはいらない、環だけでいいって思っていたけれど、木下さんみたいな人なら、友だちも悪くないのかもしれない。こうして一人の時にぼーっとしてずっと過ごすより、木下さんと環のこと色々話ができたら楽しいかも。
「特別、か……」
木下さんに言われたことを頭の中で繰り返す。環も分かっているのだろうか。俺にとって自分が特別だということを。……ってそれはそれで恥ずかしいけれど。
「……、」
でも、環はどうなんだろう? 環にとっても、俺は特別なのかな? そりゃあ幼なじみでずっと一緒にはいるけれど、結局のところそれだけな気がする。俺は基本、環としか話せないけれど、環は違う。周りに人がたくさんいる。いつも囲まれている。
別に俺がいなくても……と、そう考えていたら、俺は無意識のうちに木下さんの背中をトントンと叩いていた。何をしたんだ! と自分に驚いていると、それ以上に驚いた顔をした木下さんが振り返った。周りも驚いて俺を見る。
自分のやってしまったことと、慣れない多くの他線に戸惑っていると、木下さんはまた笑った。
「言いたいことを、ここに書いて」
そう言って、大魔王環くんの横のスペースを指す。俺は、シャーペンを手に取り、震える手でゆっくりと書いた。
──環にとっても、俺は特別なのかな?
書き終わってシャーペンを机に置くと、今度はそれを木下さんが手に取った。俺の言葉に大きく頷きながら文字を書いていく。
──本人に聞いてみたらいいよ。きっと、欲しい答えがもらえるから。
どうしたらその確信が持てるのか分からなかったけれど、彼女の目を見ていたら本当に欲しい答えがもらえる気がしてきた。
彼女がシャーペンを置く。その瞬間、チャイムが鳴った。これで今日の授業は終わりで、担任はいないからホームルームもなしだ。「帰れるね」と笑う彼女に、今度は視線を合わせてゴニョゴニョとお礼を言った。
「奏」
言い終わるとすぐに名前を呼ばれ、肩を掴まれた。振り返られなくても、名前を呼ぶ声でも、俺に触れることでも環だと分かる。俺は慌ててさっきの大魔王環くんの落書きを隠した。
「帰ろう」
「うん、準備する」
ドキドキと心臓が鳴る。この短い会話の中でも環が大魔王モードに入っているのが分かるし、相変わらず木下さんは笑っているから。
前に座っている木下さんと、後ろから俺を笑顔で見ているだろう環の威圧にびくびくしながらカバンの中に全てを詰め終わると、環に腕を引かれた。「今日は急いで帰って来いと言われていただろ」と謎の嘘をついた環が無理矢理俺を立ち上がらせる。
木下さんの笑顔がニヤニヤに変わったから、きっと彼女にはこれが急いで帰らなければならない王子様環くんではなく、何かの理由で早く帰らせようとしている大魔王環くんだとバレているのだろう。
バイバイと手を振る木下さんに軽くぺこりと頭を下げると、俺の手を掴む環の手にさらに力が入った。
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