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第52話 彼の忘れ物
黒崎は再び小さな溜息をつくと、立ち上がり更衣室を出た。
今夜はもう仕事は終わりだった。
どうにも宙ぶらりんで、もどかしいような気持ちを抱えて廊下を歩いていると、後ろから松田部長に声をかけられた。いつも泰然としている部長にしては珍しく、慌てた表情をしている。
「黒崎先生は確か通勤にK線を使っているんでしたね?」
「え? はい」
「実は沢井先生が私の部屋にスマートホンを忘れていってしまってね」
突然、沢井の名前が出てきて、黒崎はドキッとなり、心拍が速くなった。
だが、黒崎の外見はどこまでも無表情だから、心の変化に、松田部長が気づくはずもない。
「なければ困ると思うんですよ。……で、黒崎先生、沢井先生に渡してくれませんか?」
「え……? でももう、帰られたんじゃ……」
確か沢井も黒崎と同じシフトだったはずだ。
「ついさっき帰られたばかりなんですよ。沢井先生もK線を利用されててね。黒崎先生も利用されているからご存じでしょうが、K線はこの時間帯になると極端に電車の本数が少なくなりますから、急げば間に合うと思います」
「でも……」
黒崎が躊躇するのにも構わずに、
「お願いしますね、黒崎先生。あ、早く追いかけてください。多分、駅で会えると思いますから」
無責任なことを言うと、松田部長は黒崎の手に沢井のスマートホンを握らせた。
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