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第54話 見ていたい、見られない。

 沢井の切れ長の瞳に見つめられただけで、黒崎の心は激しくざわめき、切なく疼く。  恋というのものは、こんなにも苦しい気持ちを伴うものなのだろうか。  そんなふうに思う反面、沢井の端整な顔をずっと見ていたい、そう強く願う自分もいて……。 「……これ、忘れ物です。松田部長から預かってきました」  黒崎がそう言ってスマートホンを差し出すと、沢井は、「あ」と小さく声をあげ、パタパタとジーンズのポケットを確かめた。  いつも、かっこよくて、大人な沢井がそんな仕草をすると、なんだか妙に子供っぽく感じられる。  黒崎は自分でも気づかぬうちに少し唇を微笑ませていた。……他人が見ても、決して微笑んでいるとは分からないレベルの、小さな小さな微笑みだったけれども。  沢井は黒崎の表情の微妙な変化に気づいたのか、気づかないのか、苦笑を浮かべている。 「参ったな。よりによってスマホを忘れるなんて。助かったよ。サンキュ」 「……いえ」 「……おまえも同じ電車だったな。一緒に帰るの、この前の全快の飲み会以来だな」  沢井に優しく言われて、鼓動が一段と高鳴ってしまう。  あの夜の飲み会を思い出す。あのとき沢井が贈ってくれた猫の絵は、黒崎の部屋の一番良い場所に飾られている。 「……はい」  短く応えながらも、黒崎はどうしても彼の目を真っ直ぐには見られないでいた。

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