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第56話 彼のペース
後ろで扉が閉まる音がして、電車は行ってしまった。
本数の少ないこの時間、次の電車が来るのは何十分先だろう?
途方に暮れる黒崎にお構いなしに、沢井はなぜか上機嫌である。
「ほら、行くぞ。黒崎」
「……は? どこへ、ですか?」
黒崎は完全に沢井のペースに巻き込まれてしまっていた。
沢井といるとなにもかも調子がくるってしまう。ずっとマイペースで生きてきた黒崎は、ただ戸惑うばかりだ。
「オレの家。ここから歩いて十分ほどだから」
「……沢井先生の家?」
どうして……?
黒崎の頭はすっかり混乱してしまっていたが、そんなときでも顔はポーカーフェイスのままで。
沢井がそんな黒崎を見て、苦笑する。
「本当におまえはいつも変わらないな」
そう言うと沢井の手が、黒崎の手首を握った。ひんやりとした彼の手の感触に、胸の鼓動が数段高くなる。
沢井は今度はにっこりと笑うと、
「黒崎、先輩医師の言うことは聞いておいて、損はないからさ」
そうして、そのまま黒崎を引きずるようにして歩きだした。
なにがなんだかよく分からなかったが、黒崎の神経はここ最近疲労気味だったので、されるがまま沢井について行った。
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