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Patchwork

『本当に嫌だと思ってる?』  手首に巻かれた腕時計型のデバイスが、音声でそう問いかける。 「思っているよ」  足元に倒れている兵士の目を閉じてやり、血染めの男は2インチの画面に向かって微笑みかけた。画面の中では、錦糸のような髪をした、線の細い美しい男が微笑んでいる。 「これで大方はやれた」  額の汗を拭うと、そこが誰のものとも分からない血で染まる。  戦場の前線。野営地と思しきそこにはあちこちで火の手が上がり、男以外の兵士たちが物言わず横たわっている。  全ては、J(ジェイ)というこの男が行ったことだった。 『人を殺すのは楽しいかい、J』  そう言って少し切なそうに笑う画面の中の男は、名前をルイと言う。  デバイスに組み込まれたAIであり――Jの恋人であった男である。 「楽しくなんかないさ。嫌だよ、本当に」 『心拍、発汗、血圧、問題無いね。まだ大丈夫だよ、J』  まだ大丈夫、その言葉が心底Jを安堵させた。  画面に表示された数値を見て、微かに息をつく。  Jは、『継ぎ接ぎ兵士(  パッチワーク)』と呼ばれる兵士の一人である。  彼らは、極秘裏に開発された新薬の被害者であった。  移植に伴う拒絶反応を抑える事ができるという画期的な新薬は、まだ息のある負傷兵に、もう持ちそうもない兵士の身体(パーツ)を移植して再利用するという、常軌を逸した計画のためだけに開発された。  更に、半永久的に服用し続けなければならないその薬には、敵への殺戮衝動を掻き立てるという副作用がある。その衝動は服用するたびに強くなり、やがてはただ快楽の為に敵を殺す狂戦士に成り果てるという。 「そんなの、おかしいだろう」  溜め息と共に吐き出された言葉は、艱苦に満ちている。  岩の上に座り込み、目の前の光景を焼き付けるように見つめているJに、ルイが言う。 『Jは、救ってあげたんだ。だから、そんな顔をしないで』  Jがただ一人佇むそこは、パッチワークだけで構成された小隊の野営地だった。Jは自身と同じ仲間を、その手で葬ったのである。  それが正しいことかは分からなかった。けれども、意思を問わず無理矢理に延命させられ、殺戮を繰り返すだけの兵士になる。それが幸せな事だとはどうしても思えなかった。  だから、兼ねてよりの計画を実行に移したのだった。 『そろそろ薬の時間だよ、J』  言われ、「ああ」と短く返して内ポケットから薬の入ったブリキ缶を取り出す。  蓋を開けるその指に走る縫い跡が目に入り、Jは確認するように画面の中の恋人に語りかけた。 「……俺の体は、全部お前でできてるんだな」 『そうだよ。だから君は長生きしなくちゃいけない』  穏やかな口調でそう言って、ルイがにこりと微笑んだ。  その言葉が、まるで緩やかな毒のようにJの全身を冒していく。  Jのドナーは、ルイであった。  四肢や血液、内臓のほとんどがルイからの移植で成り立っている。  機械工学の研究者だったルイは、瀕死を負ったJに健康であった自分の身体を差し出したのである。  それはルイの心からの愛だった。或いは、心からのエゴであったのかも知れない。  Jが死んでしまうくらいなら、いっそのこと一つになってしまいたい。本気でそう考えて、本当にそうしてしまった恋人は、自身の意識をAIに移してJの側に居る事を選んだ。 「……勝手だな、お前は。本当に」  ぽつりと呟いたJに、ルイが苦笑する。 『ごめんね。でも、僕は幸せなんだ。君が生きている事が、僕の幸せなんだ』  それは例え、俺が快楽殺人者のようになってでも?  その問いかけは、一錠の薬と共に飲み込んだ。 『本当に嫌だと思ってる?』と、そう定期的に聞いて欲しいと頼んだのはJだった。  長く服用してきた影響か、最近は殺す事に躊躇いが無くなっている。しかし、それが快楽へと変わることだけは避けたかった。  だから、問うてもらうのだ。ルイの声で。 「行こうか、ルイ」  嘆息にも似た吐息を吐いて、青い空を見上げて立ち上がる。  十字を切り、短く祈りの言葉を呟いてから、Jは野営地に停められていた機動車に乗り込んだ。 『博士のところ?』 「そう」 『終わらせに行くのかい?』  それは、どうしても片を付けなければならない相手だった。  パッチワークの生みの親。薬を開発し、次々とパッチワークを作り出した、稀代のマッドサイエンティスト。  そして、ルイの身体を切り刻み、自分に男。 「もうこれ以上、殺したくは無いんだけどな」  感情の読み取れない声音で返しハンドルを握るJに、ルイが問い掛ける。 『ねえ、J』  センサーは、否応無く反応する。  脈拍が僅かに速くなっている。筋肉が僅かに硬直している。体温が、血圧が―― 『本当に嫌だと思ってる?』 「思っているよ」  いつもの問いかけに、Jはいつものように微笑み返す。  ルイもまた、いつものように微笑んだ。 『まだ大丈夫だよ、J』  画面に映し出された数値は、正常の範囲内を示している。  ルイが――AIが吐いた、嘘だった。 『ずっと、ずっと一緒だよ。例え君が、どうなっても』  そう呟いたデバイスの音声は、荒野を走る機動車の音に紛れて消えた。  前を見据えるJの口元が、ほんの僅か、歪んでいるように見えた。

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