2 / 8

第二幕

 あれから一年、相変わらず村の者との接点もほぼ無いまま、夫婦はすっかり山奥暮らしに馴染んでいた。ただ、妻の方は別な変化を迎えていた。若返った体で身ごもったのだ。もうすっかり膨らんだ腹はあの果実のようにまん丸で、毎日愛らしい存在が中からポコンと叩いてくる。夫婦にとってそれは、過去をなぞらえているような穏やかで幸福な時間だった。  嵐の夜に、その子供は誕生した。けたたましい産声を上げ、産まれたばかりとは思えぬほど力強く仰け反った。男児だった。夫婦は涙を堪えられぬほどに歓喜した。妻は初めての子の時のように甲斐甲斐しくその子供を育て、夫は動けるようになった若い体でこれまで以上に働くようになり、隣の山に住むマタギに習ってせっせと狩りをした。都の武家の出で経験はなかったものの、見様見真似で庭に畑を作って妻子に十分に飯を食わせた。二人の間の子供は驚くようなスピードで成長していった。  安住の地を手に入れたのだと信じて、その家で夫婦と子供が暮らせたのも子供が数えで六つになる頃までであった。ある日、突然村人達が長をも引き連れ夫婦の家にやってきた。村長は問う。 「お前達は、神山の方で何か見たり聞いたりしたか?神山に立ち入ったか?」  何の事情も知らない夫婦は、正直に川から流れてきた果実の話を村長に語った。途端に村人達の表情は険しくなり、騒がしくなる。この村には絶対に犯してはならない掟があった。それは、神山の物に手を出してはならぬということ。神山にあるものは全て神の所有物であり、それに手を出すという事は神の怒りを買う事、即ち災いを呼ぶ行為であるというのだ。夫婦は知らぬ間に、村にとって最大の禁忌を犯してしまっていた。あの果実は、神山から流れてきたもの…神の所有物だったのだ。なぜ二人が急に若返ったのか、年数が経ってようやく合点がいった。村人達は、たとえ無知で犯した過ちだとしても掟に背いた者を許さず、夫婦を容赦無く追い立てた。ある者は石を投げつけ、ある者は家財を破壊し、ある者は二人を棒で打ち据えた。夫婦は家を焼かれ、その日のうちに土地から追い出された。  行き場を失った夫婦は都に戻るわけにも行かず、山の麓ではなく、より霊峰の近くを目指す事にした。誰にも邪魔される事なくただ静かに暮らしたいだけだ。そのため、誰も寄り付かぬ場所を求めての決断だった。これまで歩いてきた山とは違い、歩を進める度に険しい環境をまざまざと知る。こんな所に暮らせる場所などあるのか…夫婦は奥へ奥へと向かう度に失望していった。何日も歩き続けて辿り着いた果ての地は住んでいた村の反対側で、既に戦によって穢れ、無惨な焼け野原だった。戦乱で荒れているのは都だけではなかった…。霊峰はもう戦の黄昏に囲まれていたのだった。  村が、町が焼け落ちて食べ物すら乏しく、怪我人や病人で溢れた薄汚れた場所で、夫婦は必死に子供を守っていた。かき集めた食糧を子に与え、何とかその日その日を生き延びた。若返ったはずの夫婦は、その土地での数年でまたすっかり老け込み、髪の毛の半分が白髪に戻っていた。子はそんな環境でも立派に育ち、僅か九つにして元服を迎える年頃の大きさになっていた。他の子供と比べると著しく成長が早く、大人をも凌駕する程の身体能力を持っていた。それが神の果実によるものであると、夫婦だけが知っていた。  子は、物心ついた頃から自分が他人とは違う存在なのだと自覚していた。果ての地に辿り着いた時には、自分と同じくらいの年頃の子供たちが何人かいたが、夫婦の子はあっという間に他の子供たちよりも成長していき、誰も目から見ても差が歴然だった。そして非常に優れた能力のせいもあり、当然のように子は、異質として扱われるようになっていった。戦乱にまかれ生活苦を強いられている荒んだ逃れびと達は、元から激しい畏れに苛まれている。子も夫婦もその畏れによって、ここでも迫害を受けることとなった。子が宿している力は人々にとっては余りあるものであり、あらゆる危険を孕んでいる。逃れびとは環境が劣悪だとしても隠遁生活を守りたいばかりで、誰も抗おうとはしない。それどころか、希望たりうる可能性ですらも押し隠し排除しようとするのだった。子や夫婦がいくら尽くそうとも、差別や迫害が無くなることはなかった。

ともだちにシェアしよう!