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第2話 プレッシャー

 最初に麗羅は言った。少し世話の焼ける子なのだと。  しかも、無料(ただ)というわけではない。  俺が颯也に住まいを提供し、彼の身の回りの世話をすることで、月額二十万円が支払われる。これが果たして高いのか安いのかよくわからない。  早い話が、自分の弟を俺のマンションに下宿させて、生活全般、つまり、衣食住の面倒を看て欲しいというわけである。  恋人の弟ということもあり、お金を貰うことは一度辞退したが、西村家の方から、それではあまりにも申し訳ないので、ということで、下宿代として受け取ることになった。  しかし、それが却って気が重い。  そもそも俺は一人っ子で、年下の面倒など看た経験もない。ましてや、相手は恋人の大事な弟で、超過保護に育てられた箱入り息子ときている。  そして、問題は取扱説明書だ。この中身は、かなりハードルが高い。というより、常軌を逸している。  文字通り、食べさせて、服を着せ、風呂に入れて、寝かしつける。まるで赤子の世話だ。  俺が子守りをする? しかも、対象は男子大学生!  あり得ない。何かの間違いとしか考えられない。第一、大学生にもなって身の回りのことができないというのが、人として間違っている。そう、問題はそこだ。 「お願い! 理仁亜、心から愛してる」  再び麗羅は手を合わせた。  麗羅からお願いされ、愛してると言われれば、たとえどんなことであろうと断れない。  気が進まないながらも、俺は引き受ける決心をした。 「了解だ、麗羅。君のためなら、なんとか頑張ってみる。精一杯、弟さんの面倒を看るよ」  男として、恋人の必死の願いを聞き入れないわけにはいかないだろう。 「ありがとう! ああっ、理仁亜、あなたって、本当に頼りになるわ」  麗羅は弟の前だろうと気にする様子もなく、俺に情熱的な口づけをした。  そして、弟の頬に自らの頬をすり寄せながら、 「颯也、これからは、この松田理仁亜さんが私たちの代わりよ。とてもいい人だから、安心してね」  と言い聞かせ、すぐに玄関に向かい、ドアを開けた。  なんと、ドアの外には、西村家の残りの四人全員が待機していたのだった。 「ええっ!」  俺は目を丸くした。  吹きさらしの玄関の外で、ずっと待っていたということなのか。  四月といえども、夜風はまだ冷たいはずだ。 「最初から全員で押しかけてプレッシャーをかけちゃいけないと思ったの。もしも、あなたに断られたら、そのままひっそりと帰るつもりで」 「そんな! 君の頼みを俺が断るはずがない。――どうぞ、さぁ、中へ入って下さい。長旅の上に、そんな所に立ちっぱなしで、お疲れだったでしょう」  俺は恐縮して、西村夫妻とその長女と三女を部屋に招き入れた。 「ご迷惑をおかけします。松田さん、颯也のこと、お願いします」  夫人が丁寧に頭を下げた。  四十代後半の上品な母親だ。名前は西村美穂(みほ)。名の雰囲気そのもののような癒し系の女性(ひと)だ。大学在学中は、食事に呼ばれて旨い手料理をよくご馳走になった。  その際に、颯也とも会っていたのだが、彼がそれほど厄介な箱入り息子だという印象はなかった。 「松田理仁亜くん、君は実に人間味のある青年だ。心から感謝するよ。ありがとう」  そう言ったのは、一見厳格そうだが、人好きのする笑顔の父親・西村(まこと)。一緒に盃を交わしたこともある。麗羅との交際も認めてくれている。  それにしても、この夫婦、ごく平凡で善良な一般市民の典型のような二人なのだ。会う度に安心感があってほほえましく思う。  それが、この両親から麗羅たちのような派手な美人姉妹と風変わりな超箱入り息子が生まれて来ようとは。遺伝子がいったいどういう気まぐれを起こしたのかと不思議でならない。 「松田くん、本当にありがとう。なんてお礼を言っていいかわからないわ」  と言って握手を求めてきた長女の沙耶は、俺とは同い歳だが、何故だか気後れしてしまう存在だ。  女性の方が精神年齢が高いという世間一般の通説を実感させられる。 「松田さん、ごめんなさいね。先に謝っておきます。颯也は本当に何もできないの。  きっと、うんざりすると思うわ。私は、そんな弟の世話を焼くのが生き甲斐なんだけど」  そう言ったのは三女・真凛。彼女はレスリング女子である。男性コーチを軽々と肩車するほどの怪力の持ち主だ。世代最強の美女と呼ばれ、彼女に逆らう輩はいない。  きっと、逆らえる男こそが彼女の伴侶になれるのだろうが、案外、(しもべ)に甘んじられる優しい男の方がうまくいくのかもしれないとも思う。 「颯也のことは、自分自身よりも大事に思って今日まで育ててきたの。  改めまして、松田くん、颯也をよろしくお願いします」  家族全員の気持ちを代表する形で、長女の沙耶が締め括った。  この日は、大学の入学式の日だった。  一家揃って息子の晴れ姿に涙し、しばしの別れを惜しんで、家族で温泉に浸かり、そこからこのマンションに来たのだという。  そして、今、西村一家は皆、惜別の涙を流していた。 つづく

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