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第3話 身体は正直?
やがて、西村家の面々が去り、ふたり残された部屋で、俺は麗羅の手書きによる西村颯也の取扱説明書を何度も読んで頭に叩き込んだ。
まるで、新品の電化製品を初めて使う前のように。
もっとも、新しい電化製品を買ったところで、取扱説明書など、ほとんど読むこともないのだが。
「えーっと、ここに書かれてることは、少し誇張が入ったりしてない?」
本音を言うなら『少し』ではなく、『かなり』だ。
もしかすると、この取扱説明書は俺をからかうために大袈裟に書いた麗羅一流のジョークなのかもしれない、という一縷の望みを抱いて訊いてみたのだった。
「たとえば、どういうところでしょうか?」
甘やかされて育ったというわりには、きちんと敬語を使った明瞭な話し方だった。
そういえば、颯也とまともに会話をするのは、これが初めてだ。
声は高すぎず低すぎず耳に心地良い。麗羅の甘い声音 に少し似ていなくもない。
俺はそんな彼を見直した。
「服くらい、自分で着れるよね」
「その日着る服を決めてもらえば大丈夫だと思います。僕は服のセンスがないんです。制服ならよかったんですけど」
言葉の終わりにもう一度「本当にセンスがなくて」と付け足して、颯也は照れるような笑いを浮かべながら髪に手をやった。
その仕草に、俺の心拍の波形が一瞬跳ね上がった。
髪に手をやり人差し指で毛先をくるんと回す仕草が麗羅と全く同じだった。自分の髪の手触りが好きなのか、照れくさい時の癖なのか、それとも、両方なのか。いずれにしても、可愛らしいことには変わりない。
俺はまじまじと颯也を見つめ、改めて感心した。
彼は俺の愛する恋人・麗羅と声や仕草が似ているだけでなく、容姿までそっくりなのだ。
麗羅はロングの巻き毛だが、颯也の髪は肩にかからない程度の長さで、ふわりとした緩いウェーブがかかっている。
見た目にはそこが違うくらいで、ふたりとも同じ薄茶色の柔らかそうな髪質だ。
加えて、色白の肌、夢見るような優しい目元、小さめのぽってりした唇、笑うとこぼれる完璧な歯並び。そして、可憐な細身のスタイル。
それら全ては、俺を魅了してやまない麗羅そのもののようだった。
しかし、いくら何でも自分の彼女と間違うことはない。決定的に異なるのは、性別だ。
彼は麗羅の弟で、当然、男。いくら似ていても、男女の区別はつく。
俺は颯也に恋人の面影を重ねながらも自分に強くそう言い聞かせ、はからずも高鳴った胸のときめきを打ち消した。
「俺だって、そんなにセンスがいい方じゃないけど」
と言うより、ファッションに興味がない。清潔でさえあればいいと思っている。
ワードローブはスーツだから何も考えなくて済む。私服は大学時代からの習慣で、母が季節ごとに送ってくれる衣類で事足りている。したがって、洋服屋を覗いたこともない。
なのに、その俺に、スタイリストになれと?
「でも、麗羅姉さんを恋人にするくらいですから、松田さんはセンスがいいです。今着ているその服だって、とても素敵でよく似合っています」
と、大真面目な顔で颯也は言った。何気に姉自慢か?
「あはっ、そう、かな?」
何も考えないで着た普通の白シャツとチノパンを褒められた。
先ほど麗羅がこの颯也を連れて来た時に、パジャマを脱いで慌てて着替えたものだった。センス云々など論外の代物 である。
それでも何だかいい気分になった。根が単純であることは自覚している。俺は褒められて伸びるタイプなのだ。というか、おだてに乗りやすいとも言う。
こうなったら、服のコーディネートは任せてもらおう、と俄然やる気が出てきた。
「じゃあ、俺が毎日君に服を着せてやるよ。それから、風呂だけど……一人で入れるだろう? まさか、お姉さんたちと一緒に入ってたわけじゃないよね」
「日替わりで姉たちに身体を洗ってもらっていました。一人で入ったことはありません」
「ええっ⁉ 姉さんといえども女性。毎晩、君は女体を拝んでいたのか!」
「女性である前に、僕にとっては姉ですから」
と、颯也は平然と言ってのけた。彼にしてみれば、姉と女性は全くの別物ということらしい。
しかし、男としてどうなのだろうか? 俺の頭の中を妄想の嵐が吹き荒れた。
妙齢の姉と弟。浴室という密室。しかも全裸。
俺の麗羅も、このローテーションに当然入っていたわけだ。
「なっ、なんと、うらやましい。……あっ、ということは、これからは俺が君の身体を洗うんだよな」
「はい。そうしていただければ」
他人の身体を洗う。何だか、特別な職種のような雰囲気がしなくもない。
何より、俺は男の裸なんて見たくもないし、触りたくもないのだが。
「銭湯ならいざ知らず、他人の男と一緒に狭い風呂に入るのって、嫌じゃない?」
「他人の女性ではさすがに問題だと思いますが、松田さんは同性なので何も問題はないと思います」
「え……まぁ、そうだね。異性じゃないんだし」
颯也があまりにも平然と言うので、自分の方が考えすぎるのではないかと思えてきた。
男同士で意識する方がおかしいのは確かだ。
ならば、こうなったら、どこだって洗ってやる。
男の身体は自分ので慣れている。問題ない。俺は腹を括った。
「あとは、添い寝だけど。これも、日替わりでお姉さんたちと寝てたわけ?」
「生まれてから憶えている限り、一度も一人で寝たことはありませんので」
「一度も? じゃあ、修学旅行の時なんか、どうしてたの? 何人かで同じ部屋に泊まるとしても、さすがに布団は別だよね」
「おやつで買収したクラスメイトに頼み込んで、同じ布団に寝てもらいました」
そこまで徹底しているとは!
「普通、おやつごときで買収されるかな? もしかしたら、その子、君のことが好きだったんじゃないの? 趣味と実益を兼ねて喜んで添い寝したりして」
「それはないと思います。同性ですから」
「だから、同性でもね……」
颯也は何もわかっていない。もしも、そのクラスメイトが同性愛志向だったとしたら、このイケメンに食指が動かないはずはない。
「ま、身に危険が及ばなければいいんだけどね。ところで、俺のベッドだけど、シングルだから大の男が二人で寝るにはちょっと狭いよ。それか、床 に布団敷く?」
俺の身長は188cm。学生時代はバスケットボール部に所属し、一年生の頃からレギュラーだった。
三年生の時に新入生の麗羅がマネージャーとして入部して来た。その圧倒的な可愛らしさに俺は一目で恋に落ちた。競争率は高かったが、勇気を振り絞って交際を申し込み、OKの返事をもらって晴れて恋人同士になった。
卒業後は、昨年から俺は就職のために麗羅と離ればなれになったが、ずっと遠距離恋愛を続けているのだった。
「落ちないように、抱き合って寝ましょう」
「えっ!」
男同士で抱き合って寝る。それは果たして、気色いいのか悪いのか。
考えるまでもない。当然、後者に決まっている。
なのに、それがこれから毎晩続くことになる?
「君はそれでいいわけ? かなり窮屈だよ。ちなみに、身長いくつ?」
「179cmです」
「惜しい。あと1cm高かったら180だったのに。でも、普通、言っちゃうよね、サバ読んで180cmって。男って、そういうとこ見栄張るから。だけど、君は正直なんだね」
「身体は正直だと、よく言いますよね」
と、颯也は深く頷いた。
否、そこは、そう言いながら頷くところではない。そもそも『身体は正直』という慣用句の使い方からして間違っている。
しかし、まぁ、いい。彼は少しズレていて、さらに天然なのだろう。
俺は深く追求することをやめた。
「俺は190cmくらいになりたかったんだけどね」
「松田さんは充分に長身でスラリとしていて、それに精悍な顔立ちで、どこからどう見ても素敵です。麗羅姉さんが好きになるのも納得できます」
「そうかね。いやぁ、あはははっ」
またまた俺は嬉しくなった。心なしか憧れの眼差しを向けられているような気もする。
それに、面と向かって精悍だの素敵だの言ってくれて、自分の姉の彼氏として納得できると言う颯也に、ますます好感を抱いた。
話せば話すほど颯也のイメージが変わってきた。
最初は、何もできないただの我儘な甘えん坊だろうと侮っていた。
しかし、それがあながち、そうとばかりも言い切れない何かを感じる。ズレているところも天然が入っているところも大目に見よう。
こうなれば、添い寝でも何でもしようという気になってくるから不思議だ。
「そうですよ。麗羅姉さんがうらやましいです」
「うらやましいは言いすぎだろ」
姉弟揃って俺を?
否々、そこまで自惚れてはいけないと自重すべきだ。これから世話になる俺への彼なりのリップサービスなのだろうから。
「それほど松田さんが素敵だということです」
「よしっ、君の言う通りに抱き合って寝よう!」
颯也の言葉一つで、つい先ほどまでの憂鬱な気分が嘘のように吹き飛んだ。
そう、俺は既にこの時点で、彼に褒め殺され、籠絡されていたのだった。
つづく
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