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第4話 初めての夜

「窮屈なことより、僕は寝ている時に隣に安心できる人がいないことの方が怖いですから、是非そうして下さい」  急に伏し目がちになりながら寂しげに彼は言った。  寂しがり屋さんなのか? 「任せなさい。君のお姉さんたちのようにはできないかもしれないけど、俺なりにベストを尽くすよ」  結局、ベストを尽くして添い寝することになった。 「ありがとうございます。麗羅姉さんから松田さんのことは聞いていました。とても信頼できるナイスガイだと」 「いやぁ、はっはっはっ、じゃあ、これからよろしく! 颯也くん」  俺は麗羅の信頼を裏切るようなことはしない。彼女の大事な弟なら俺にとってもそうだ。 「よろしくお願いします。それから、颯也って呼び捨てにして下さい。家族はみんなそう呼んでいますから」 「わかった。颯也、だね」  こうして、俺、松田理仁亜と、取扱説明書付きの大学生、西村颯也の同居生活は始まったのだった。 「じゃ、寝よう。お風呂はもうご家族と入って来たんだよね。俺も入ったし。大学生活初日からいきなり遅刻じゃ、スタートダッシュで躓くようなものだから、今日は早めに寝よう。  じゃあ、パジャマに着替えて……って、俺が着せるの?」 「はい。そうしていただければ」  と、涼しい顔で屈託なく答える颯也だった。  俺は颯也の服を脱がせ、パジャマを着せた。  驚いたことに、彼は全く動かないのだ。ただ立っているだけで、されるがままだ。  俺は激しい違和感を覚えた。小さな子どもならいざ知らず、彼は大学生の青年なのだ。こんなことを他人の男にさせて平気でいられる神経が計り知れない。 「腕枕して下さい」  ベッドに入るなり、颯也は言った。 「えっ? それは取説には書いてなかったけど?」 「腕枕は添い寝の常識だと思って、姉も敢えて書かなかったのかもしれません」 「そ、そうなのか」 「はい。お願いします」  いきなり先制パンチを浴びたような衝撃だった。  ただ単に隣に寝るというのではなく、先ほど冗談めかして言った、抱き合って寝る、という言葉が必然性を帯びてきた。 「これで、いいのかな?」  颯也の頭の下に腕を入れると身体が密着して、ちょうど抱き合って寝る形になった。  こんなことが、これから毎晩続くのかと思うと、いささかうんざりだ。  その時、『きっと、うんざりすると思うわ』と言った真凛の言葉が脳裏に甦った。  義務なら、そういう感情は当然かもしれない。  しかし、これが愛情に基づくものとなれば、そうではなくなるのだろう。まさに、彼の姉たちのように。彼女らは深い愛情と喜びを以って小さな頃から可愛い弟を抱いて眠った。  だが、俺には無理だ。自由気ままな一人暮らしの空間に、取扱説明書付きで送り込まれた『お荷物』に、愛と喜びを以って奉仕できるかなど問うまでもない。 「では、松田さん、おやすみなさい」  颯也は俺の二の腕に頭を乗せ、目を閉じた。 「おやすみ」  ベッドの中で、恋人にそっくりな顔が至近距離にあった。ほんの数センチ不用意に頭を動かそうものなら、唇が触れ合いかねない。そういうミスは最大限の注意を払って避けなければならない。  落ち着かない気持ちのまま、俺も目を瞑った。 「あのォ、何かお話をして下さい」  程なくして、おずおずと颯也が言った。 「眠れないの?」 「慣れない環境で緊張して……」  マジかよ! と吐きたい言葉を飲み込んで、俺は取扱説明書に『寝付けない時は物語を聞かせること』という文言があったのを思い出した。  あれはやはり冗談でも誇張でもなかったのだ。 「え~と、じゃあ、むかしむかし、ある所に……こんなのでいいの?」  物語と言えば、昔話。紋切り型の出だし文句を口にしながら、まさかこんな子どもじみた話で納得してもらえるはずはないと思いつつも、俺は訊いた。 「お話なら何でも」 「そ、そう」  肩すかしをくらった気分だった。まるで幼い子どもだ。  では、適当に話そう。 「むかしむかし、ある所に、ビンボーな親子がいました。  父親は長年の重労働のせいで身体を壊して寝込んでいました。  そんな父親を、娘が献身的に看病していました。 『お父っつぁん、お粥ができたわよ』 『すまないな。いつも迷惑かけて』 『それは言わない約束でしょう』……」 「そうですか。わざわざ約束していたんですね」  静かに聴いていたはずの颯也が、突然、相槌を打った。 「あのね……聞き流していから」 「はい。でも、この親子が他にもどんな約束をしていたのか興味があります」  口から出まかせの話にそんな詳細な設定など、あるわけがない。お願いだ。何もツッコまずに黙って眠ってくれ。 「良い子は静かにお話を聞いてね」  俺がそう言うと、颯也は静かになった。  どうやら、彼は一応良い子でありたいらしい。何から何まで子どもだ。  これから、この子どもと寝食を共にすることになるのだ。  俺は深いため息を禁じ得なかった。 「松田さん、松田さん」  夜中、寝入りばなを起こされた。  物語を即興で作って話すなどという普段使わない分野の脳をフル稼働させたせいで変に覚醒して、すんなりと睡眠モードに入って行けず、その上、二の腕には颯也の頭が乗っていることもあって、寝返りもできない窮屈さの中、それでもようやく眠りかけていた矢先だった。 「ん?」  半開きの俺の目に映ったのは、薄明かりの中で麗羅とおぼしき顔が間近に迫って来るところだった。  一瞬、キスをされるのかと思い、俺は反射的に首を振った。 「寝かせろよ」  キスより、眠りの方が何倍も魅力的だった。  俺は再び目を閉じた。 「松田さん、トイレに連れて行って下さい」  揺り動かされながら、俺はハッと目を覚ました。 「君か!」  そうだった。  この顔は麗羅ではなく、その弟の颯也。似て非なるもの。  俺は彼の世話を任されていたのだった。  確か、これも取扱説明書にあった。 『夜中にトイレに起きた時は必ず付き添うこと』と。  俺は重い瞼をこすりながら颯也の手を引いて、トイレに連れて行った。 「すみません。寝る前に用を足すのを忘れていたみたいで」 「明日から気をつけようね」 「はい」  返事は良くて、とても素直なのだが。 「くすん」  それからしばらくして、颯也の泣き声で、俺は再び目を覚ました。 「今度は何だ⁉」  上体を起こして身構えた。  ほとんど自棄(やけ)だ。またトイレか⁉ それとも、まさかミルクとか言うんじゃないだろうな⁉ 俺は乳幼児の母親か⁉ 「怖い夢見た」 「はぁ?」 「オバケが追いかけて来た」  颯也が泣きながら俺に抱きついた。 「君は、いったい何歳(いくつ)だ」 「十八歳」 「まともに答えてんじゃないよ。ったく、ちょっとはボケろよ。……って、無理か」  二度にわたって睡眠を分断され、俺は思わずぞんざいな口調になった。 「無理」  颯也は短くそう答え、俺の胸に顔を埋めながら肩を震わせて泣いていた。  外見は青年だが、中身は正真正銘の子どもだ。子どもを相手に腹を立てるのは大人げなかった。  俺は開き直った。  もうこうなれば、颯也のことは身体の大きな幼児だと思うことにしようと。 「よしよし、怖くない怖くない」  泣いている颯也を抱きしめて、彼が再び眠りに就くまっでずっと背中をさすった。  それにしても、こんなふうに人から全身で頼りにされるの初めてだった。  二十三歳の若さで父親になった気分だった。  それはそれで、不思議とあまり悪い気はしなかった。 つづく

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