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第一部 2-2

 蜂谷の名前を後ろ盾に、学園という縦社会のトップに位置する優希は、高等部へも影響を及ぼしているが、省吾に遠慮してか、それとも誠司を恐れてか、目立った動きを見せていない。しかし、中等部となると、優希の力は絶対だ。誰一人、逆らおうとは思わない。人を使うことに躊躇しない優希が近いうちに何か仕掛けて来るのは、目に見えている。  葵がこの町に来なければ、優希が刺激されることはなかった。葵の美しさは並みの意志では毒になる。田舎では知らないが、この町では、優希のような者に憎悪をかき立てさせる。省吾は葵を誰にも渡すつもりはないが、葵が優希の策略をどう乗り切るのか、助けるよりも、眺めていたいという気持ちにもなる。  葵は田舎で身も心も汚されることなく成長した。少し話しただけで、それくらいのことはすぐにわかる。卑屈にならず、媚びたりもしない。葵には強い意志がある。骨になってまで、他人扱いされる父親のことに涙を見せず、香月の当主と取引をし、わざと遅刻することにも、くどくど言わせないと言い切れる強さがある。その強さが優希には許せないだろう。隷属させるにも、見掛け倒しと周囲に知らしめ、精神を崩壊させたあとでなければ気が済まないはずだ。  優希は手足となる者を(はべ)らせ、彼らにやらせる。去年、犠牲となった生徒がいることも知っているが、哀れと思っても、優希の人生に干渉したいと思わない省吾には、どうでもいいことだった。それが葵となると、穏やかではいられない。優希とかかわらざるを得ないことも、認めるしかなかった。  外見についても、同じことだ。優希は葵を敵視していることだろう。香月家の者は古くから美形と名高いが、蜂谷家の者も、省吾に見るように人を魅了する容姿に恵まれている。祖父の剛造も、その息子の父親も、藤野の妹の母親でさえ、モデル並みの美人と評判だった。それがどういう因果か、優希だけは小柄で物静かな祖母に似て、平凡な容姿に生まれ付いた。蜂谷家の総領に位置付けられなければ、それ相応の魅力と見える容姿も、剛造によって肥大させられた自尊心によって、ありのままの自分でいることを許さないでいる。  優希の歪んだ心にあるものは、妬みだということだ。頭ではわかっていたことだが、葵を知らなければ、省吾がその思いの醜さに気付くことはなかった。幼馴染の聡―――葵の口からその名前を聞かされた時から、省吾は名前しか知らないその相手に苛立っていた。 〝あんたには関係ない〟  葵にそう返された時、家族から疎まれようが、考え及びもしなかった醜悪さを見せ付けられた。藤野の家で好きに暮らしていた省吾には知り得なかった感情を、葵に教えられた。  最初、葵を目にした時は、光り輝く美しさに感動すら覚え、ただ単純に欲しいと思った。輝くばかりの美しさであるからこそ、相対(そうたい)する闇の中で悶えさせたくなった。その思いは、一度遊べば終わる(たぐい)のものでもあった。香月の孫だと聞かされても変わらない思いのはずだった。それが葵と話すうちに、一度や二度の関係で終われそうもないのがわかった。誘い出したのは、必然だった。  誠司やその仲間との付き合いは楽しいが、心のどこかで退屈に感じていたのは確かで、男でも女でも、誰を相手にしても、葵とのあいだに走ったような衝撃に揺さぶられることはなかった。誠司からの電話に羞恥し、幼馴染の話に嫉妬するなど、〝この俺が?〟まさに新鮮な驚きだった。 「おいっ」  物思いに耽っていた省吾の耳に、葵の声が低く小さく響いた。こうした強気な態度が省吾の気分を楽しくする。 「わかってんのか?乗ってからもう三つも駅を過ぎたぞ」  ふと周りを眺めると、車内は前にも増して込み合い、むせ返っている。省吾はもたれ掛かっていたポールから体を起こし、横を向いたままの葵と二人だけの空間を作るように身を寄せた。その上で、葵にだけ聞かせるよう、声を落とした。 「次だ。そこから面白い場所に行ける。ちょっとした観光だな」  葵がほんの微か、期待するような笑みを口元に浮かべた。知り合いが誰もいないこの町では、外出する余裕もなかったのかと、省吾はその笑みに思う。 「こちらに来てから、どこへも出掛けていないのか?」 「ああ、お爺さんのマンションに引きこもっていたさ」 「ずっと?このひと月?」 「こっちには何も持たずに来たし、服とか揃えなきゃならなかったから、近くのショッピングセンターには出掛けたな。暇潰しに、コンビニにも行ったけど、一人じゃつまんなくて、行くのをやめた。化け物か何かみたいに、俺のこと、じろじろ見やがったしな。だから、お爺さんが用意した部屋で、ゲームばっかりしていたさ」  葵の祖父の尚嗣は、娘の駆け落ちを機に、先祖代々の屋敷を引き払い、振興住宅地の駅前に建てられたマンションに引っ越している。その駅のホームで、省吾は葵に声を掛けた。  名ばかりではあっても、この町の領主である尚嗣が列車を利用するとは思えないが、地の利のあるその場所に住むのを前提としていたのは明らかなことだ。尚嗣の資産でもあるその建物は、強固なセキュリティーの高級マンションで、そこの最上階(ペントハウス)に住んでいる。歴史的価値を取り沙汰される屋敷は空き家のままだが、管理を任せた会社に定期的に訪問させ、荘厳さを失わないよう維持させている。

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