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第一部 3-2
「なんだよ、こんなチンケな自販機のじゃ、腹を壊しそうで飲めないってか?」
葵は歯を剥き出してニッと笑い、省吾のびくつく様子をからかった。しかし、さすがというのか、省吾は立ち直りが早い。驚きがコインにあるとわかった上でのからかいに、乗せることは出来なかった。省吾は優美な顔を綻ばせて、物柔らかな口調で話しながら、緩やかな足取りでこちらへと戻って来た。
「それは伯父の会社が管理している。だから、変なものは入っていないと知っているよ」
「あんたの伯父さんが?俺の田舎ならわかるが、この町じゃ、儲かりそうもないのに?」
「伯父の嫌がらせみたいなものさ。この辺りに足を踏み入れるのなら、現金で遣り取りしていいた頃のことを思い出せ、とね」
省吾は観念したかのように笑い、葵が示したベンチに腰を下ろした。そこが玉座であるかのような尊大な座り方だが、見る者を感銘させずにはおかない麗しさがある。
「それに俺はここで育った。所謂 、家庭の事情というもので、三歳の時に伯父の家に預けられたからね。今では古い町並みが残る屋敷町に住んでいるけど、以前はその通りのすぐ近くに住んでいた。伯父の家族と一緒に屋敷町に移った小学三年生までは、この辺りが遊び場みたいなものだったんだよ」
「あんた、見掛けによらず苦労してんだ」
「俺にとってはそれ程深刻なものではなかったさ。従兄弟が、誠司が、ほら、スマホで怒鳴っていたあいつがいたからね。あいつの仲間と楽しく過ごしているよ」
「ふぅん、やっぱり見掛け通りってか?苦労知らずのお坊ちゃん?」
葵は嫌みたらしく言ったが、省吾がむきになって否定することはなかった。それどころか楽しそうに笑い返して来る。
「まぁね、おまえがコインを使い慣れている程度には、そうだろうさ」
「ったく、素直に俺を田舎もんと馬鹿にしろよ」
葵は省吾から自動販売機へと体の向きを変えて、陳列されたボトルを目で追いながら言葉を繋げた。
「コインって言ってもさ、こっちに来た時に持っていたってだけのもんだよ。こっちじゃ全然使わないけど、なんとなく昔の癖で、出掛ける時にポケットに入れちまっている。たまたまだろうがなんだろうが、こうやって役に立つことだってあるしな」
ボトルは田舎のものより小振りで、値段は少し高めな気がした。それでも持っているコインで足りそうだとわかり、恥をかかずに済んでほっとする。葵はズボンのポケットに手を突っ込んで、コインを取り出した。上半身を少し回すようにして、顔を省吾に向けて尋ねた。
「なんにする?」
僅かな抵抗なのか、省吾が軽く溜め息を吐いた。それでも奢られるしかないと腹を決めたようで、視線を葵に定め、はっきりした声で答えていた。
「水でいい」
葵は指先でコインを掴み、慣れた手付きで投入口に滑らせた。省吾の水を先に選び、自分にはオレンジジュースを選んで、取り出し口からその二つを取って、省吾が座るベンチへと歩いて行く。その一連の動作のあいだ、省吾がこちらを希少生物でも見るような目で眺めていたのには気付いていた。葵は省吾に水を渡し、隣に座ってネクタイを緩め、シャツの第一ボタンを外したあとで、ちらりと省吾に視線を流し、ジュースのキャップを回しながら言った。
「さっきから、なに見てんだよ」
「いや、なんて言うか、コンイを入れるところからずっと、さまになっていると思ってね」
「それ、褒めてんのか?」
「どうかな。おまえが田舎でどんな感じだったのか、見えた気がしたけどね」
省吾は楽しそうに答え、水のボトルのキャップを外し、その手で自動販売機の横にある専用のゴミ箱目掛けてキャップを投げた。綺麗な弧を描いて、キャップはゴミ箱に落ちた。省吾はそれが当然というように、きちんとゴミ箱の中に納まったかどうかを確かめもせずに、首を反らして豪快に水を飲んでいる。
薄気味悪い奇抜なモニュメントを前にしても、少しも品位が損なわれず、安っぽいボトルから勢い良く水を飲む省吾の姿は優雅だった。何をしてもここまで絵になる男に出会ったことがない。そう思うと、どういう訳だか悔しくなった。葵はちょっとした対抗心から、省吾を真似てキャップをゴミ箱に投げ入れてみる。見事に成功し、内心で〝よっし!〟と思わず拳を握っていたが、続く省吾の言葉に得意げな気分も消し飛んだ。
「おまえの美しさに、うまく騙されたかもな」
顔のことで、美しいとこう何度も言われると、腹を立てるのも馬鹿らしくなって来る。葵は省吾の言葉を無視して、オレンジジュースをグイッと飲んだ。それで葵に答える気がないと伝わったのだろう。省吾は聞き取れない程に小さくクッと笑い、平然と話題を変えていた。
「そうだ、幼馴染の聡、どういう奴なのか教えてくれないか?」
「はぁ?なんだって?聡なんてさ、あんたには関係ないだろ?」
「その割には、聡のことを俺に色々と聞かせているじゃないか。おまえと同級で、一緒に悪さばかりして、二人で悪ガキ呼ばわりされていたんだよな?女の子を夢中にさせる大人の兄貴がいて、家の仕事は村に一つだけのコンビニ経営、あと、村長の孫だったかな?」
「良く覚えてるな、さすがに引くぞ、それ……」
「それくらい聞かされたってことさ。それで関係ないと言われてもね」
省吾の言い分もおかしくはない。自分でも気付いていたが、知らず知らずのうちに、相当調子に乗って話していたようだった。
「あいつは……」
葵は考えるように片方の頬をぷっと膨らませた。聡のことを省吾が知って、どうなるというのだろう。田舎とこの町の距離を考えれば、どうにもならないことだとわかる。それなら話せることを選んで教えるくらいは、構わないと思えた。
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