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第一部 4-4 (終)

「ここかどうかは知らない。だが、ここは最高級の店だと言われている。親に似ているというおまえのその顔からすれば、他の店だったとは思えない。ナギの父親に聞くまでもないことだよ」  省吾の話が始まりとなって、美しい雄花が見せる艶やかで幻想的な残像が、霞のようにステージに現れ出る。  鮮烈な光に映える肢体のなまめかしい動きが、喜びに震える優艶(ゆうえん)なる囁きが、迸る露に濡れる羞恥なる微笑みが流れ行く。禁忌な欲望のあまやかな息が光をくゆらし、穢れを知らぬ白く清冽(せいれつ)な肌が妖しい色に染まり行く。愉悦に揺れる先に漂うその顔は―――。  驕奢(きょうしゃ)を尽くすアームチェアに座ってステージを眺めれば、そうした残像が嫌でも浮かぶ。  省吾は葵が目を逸らすかどうか、確かめるように視線を移した。葵の目は真っ直ぐステージへと向けられ、濁りのない涼やかさがその眼差しにあるのを知る。 「あんたは俺を傷付けたいんだろうが、無駄だと言ったろ。オヤジがこの町で何をしていようが、俺には関係ないのさ」  葵は省吾に戦いを挑むかのような強い口調で話し出した。 「前に聡の婆ちゃんにも言われた。村に流れ着いた時のオヤジは、本当に綺麗な顔でうっとりさせられたとな。それが見る影もないくらいに変わった。それくらいよく働いて、村の者達にも信用されて行ったともな。だけど、間の抜けたところもあった。俺がひどい風邪をひいて、死ぬか生きるかという時、母さんの落ち着きに比べたら、おろおろしまくりで、男のくせに情けなかったさ。俺が知るオヤジはそういう奴さ。オヤジがここで働くことになったのも、わかる気がする。葬式で、騙されたとか、借金だとか聞かされたが、その通りなんだろう。でなきゃ、自分から好きでこんなところで働く男じゃない……」  葵が少しだけ息を()くかのように話を切った。 「あんたは……両親について俺に聞いたよな?教えてくれ……と。今なら教えてやるよ」  一度、葵は省吾に目を向け、ステージへと視線を戻してから続けた。 「オヤジは母さんを何よりも大切にしていた。いいや、崇拝していたな。そんな二人がちゃんと結婚するのに二年を掛けた。それからさらに二年経って、俺が生まれた。聡の婆ちゃんは、そんなオヤジの姿を微笑ましかったと言っていたが、そんなの姉弟(きょうだい)でもあるまいし、おかしいだろ。好き合って逃げたなら、そんなに時間を掛けはしない。二人で逃げたのは確かだが、駆け落ちなんてしていなかった。ここに来て、それがわかった」  葵の話を聞きながら、正式に結婚すると決めた時、葵の母親は父親である香月家の当主に知らせていたことが、省吾には見えた。そうでなければ、事故のあと、すぐに手続きを済ませ、葵を引き取れるはずがない。香月家の資産を巡り、突然現れたと言って、遠縁の者達が葵に怒りをぶつけていたようだが、香月は最初から娘の居場所を知っていた。葵の誕生もだ。知っていながら、事故が起きるまで知らないふりを決め込んでいたことになる。それこそ家名に泥を塗った娘が野垂れ死にしようが気にも留めないという態度でいたが、全てが茶番であったのだろう。  事故さえなければ、葵は今この瞬間も、この町では存在していないことになる。親子三人、田舎で穏やかに暮らせていた。省吾は葵もそのことに気付き始めたと思い、それとなく尋ねた。 「おまえの関心はそこに移ったのか?二人が出会う切っ掛けに?」 「だけど、あんたはまだ、俺に教えるつもりはないんだよな」 「頭のいいおまえのことだ、俺が言わなくても、もうわかっているんだろう?」 「あんたはどうなのさ、我慢出来ることか?」 「俺がか?」  省吾は考えたこともない質問をされたことより、まさか葵に同情されるとは思わず、そのことに驚く。 「俺が傷付けば、おまえも傷付くと言うのか?」  省吾はくっと笑い、座った時と同じように優雅にアームチェアから立ち上がった。 「本当に、おまえは面白いことを言うな。だが、おまえの言い草じゃないが、俺にも関係のないことでね。俺はおまえの父親には興味がない。おまえの母親にしても香月の娘でなければ、どうでもいいことさ」  外へ繋がる階段へと歩き出した省吾に、葵が声を張り上げた。 「俺は篠原だ。篠原亜樹と篠原恵理子の息子だ」 「そこに逃げたところで、無意味だぞ」  何気なく言った言葉に、葵が顔付きを変えている。省吾の言葉に何かが引っ掛かり、記憶が呼び覚まされたようだった。  省吾は言葉の何が葵の心に触れたのか、気にならなかった。過去は未来を手に入れるのに利用する為だけにあるものだ。母親と違い、葵には逃げ道がない。葵がどう表情を変えようが、葵の未来は省吾の手にあると、そこに気付かせるだけのことだと思うのだった。 「観光は始まったばかりだぞ」  いつまでも立ち上がろうとしない葵を誘い出すように言う。この店にもう用はない。省吾は明るい日差しに眩しく光る入り口を目指して、階段を上り始めた。

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