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第一部 5-3
「クソがっ」
葵は前を歩く省吾の背中に、わざと聞かせるように声を強めて悪態を吐いた。
「あんたはさ、田舎の仲間が束になって掛かっても、敵 わねぇんだよな」
省吾は普通にしている時は柔和で優しげだが、不意に本能のままの粗暴さを匂わせる。恵まれた容姿に似合った品の良さはそのままでも、不気味な恐ろしさを洗練された笑顔のその目に浮かばせる。そこがナギの奇妙さとは大違いだった。二面性があるというのでもなく、自分を偽っているというようでもない。柔和さも粗暴さも、品の良さも不気味さも、隠そうとはしていない。いずれもが省吾が省吾である為の性質ということでしかないようだった。
「俺とあんたの関係、複雑過ぎんだよ」
この町を治めていた香月家の末裔である尚嗣に尋ねた方が、事は簡単なのだろう。母親が省吾の父親の婚約者であったこともだが、駆け落ちだとか、父親同士の繋がりだとかを思うのなら、尚更だ。それでも尋ねようとは思わない。両親が会おうとしていたのが誰であるかがわからないうちは、尚嗣には聞かない方がいい。取引とは関係なく、日常においても殆んど葵と話そうとしない尚嗣の冷淡さに、秘密を抱えていそうな気がしてならないからだ。
葬式では噂話に翻弄され、感情的になり、涙を零 そうになったが、今はもう噂話に気持ちが乱されることはない。省吾に付き合う理由も理解している。両親の死によって知った疑問に答えが出せるのなら、とことんまで省吾に付き合ってやろうと思う葵だった。
「だけど、この通りに入ってから、こいつの背中ばかり見てないか?」
葵はムスッとし、歩調を早めた。その勢いで省吾の背中をバシッと叩き、驚きに振り返った省吾にニヤリとする。隣に並び、ちょっとした観光の続きが楽しみだと、葵の方から誘い掛けるのでさえ平気になる。
「次はどこへ行くんだよ」
地下のあの店を出た直後は考え込むようにしていた葵が、急に態度を変えたのを、省吾は不審がった。振り返った時に微かに見せた表情がそれを物語っていたが、葵の調子に乗ると決めたのか、すぐに笑みを返している。
「昼にはまだ早い。だから時間潰しをする」
「どこで?」
「ふふっ、おまえ、気が短いな。俺は焦 らそうなんてしていないよ、すぐそこだから」
手入れでもしているのかと思うくらいに品のいい省吾の力強い指先を追い、洒落た字体で『撞球』と書かれた看板を、葵は目にした。
看板が掲げてある二階建ての建物の表には、意匠を凝らしたタイルが幾何学模様に張られてあり、入り口には色ガラスの入った木枠の引き戸がはまっている。端 に変色した木製の雨戸が寄せてあることからして、閉店後はこの雨戸で入り口が閉められるのだろう。葵は興味深げに建物を眺め、看板の『撞球』へと顎を軽く突き出して省吾に聞いた。
「あれ、なんて読むんだ?」
「どうきゅう、ビリヤードのことさ。オーク材のアンティーク台が奥に隠してある。だけど、
店主の秘蔵品だからね、客層も変わったし、最近じゃあ、滅多に使わせない。今はただのゲームセンターだよ」
「へぇ」
葵が部屋でゲームばかりしていたというのを思い出したのだろう。省吾がちらりと葵に視線を流してから、店のガラス戸を引き開けた。そこはレトロゲームの宝庫だった。新品同様のものや壊れかけたものなど、多種多様なアーケードゲームが所せましと置いてあり、店内に鈍い音を響かせている。その中で、骨董品のようなピンボールが異彩を放っていた。
「うわっ」
葵は省吾に連れられてから、初めて心から感動の声を上げた。その声に応えるかのように、ガラス戸に背中を向けていた長身の青年が振り返った。ナギより若そうだが、ナギとは違って頑健な体付きの、省吾のような優美さはないが、均整のとれた顔立ちの、爽やかな笑顔が魅力的な好青年をそこに見る。ただし、耳だけでなく鼻や唇にも着けられたピアスに、Tシャツの首回りから覗き見える蛇のタトゥー、凶器にもなりそうなごついリングに、派手な色彩のツンツンした髪形を見なければだが―――。
「いらっしゃい、省吾さん」
「ロウ、おまえが店番しているとは思わなかった、大学はいいのか?」
「まぁね、自主休講ってのでさ。藤野はオヤジに直接交信していたけど、今日は俺が行くって言ったんだ。その価値が有りそうって気がしたから」
「またか……」
ここでも、伯父の藤野の名前を聞かされたからだろう。省吾がうんざりした口調で答えていた。ロウと呼ばれた青年が受付カウンターの内側から、くっくっと短い笑い声を出したことも、省吾の気持ちを心なしか逆撫でているようだった。
店構えに合わせたような杢目 がデザインと調和するケヤキ材のアンティークカウンターが、ゲームセンターには不釣り合いであっても、ロウの過激な身なりには似合っていると感じさせるのだから不思議なものだ。ロウがそのカウンターの向こう側から驚きを宿した瞳を煌めかせ、眼差しを葵へと滑らせたあとで、にこりとした。
「いやぁ、ホント、聞きしに勝る美人さんだ」
その言葉で、葵のこの店に対する称賛と感動は萎 んだが、ゲーム機の博物館のような店内を散策するのをやめるつもりはなかった。省吾とロウはカウンターを挟んで向き合い、親しい者達だけにわかる内輪の話を始めている。葵はいい機会だと思い、歩きながら二人の会話を静かに聞いていた。
「ナギのピンク色した交信がビシバシ来て、たまんなかったな。坊ちゃんのコレ、坊ちゃんのコレってね。ナギはあけっぴろげ過ぎるんだよ、うざいから遮断してやったさ」
ナギがしたように小指を立てるロウに、省吾が顔を顰めた。それを見てニヤッとしたものの、ロウはナギのように小指の話題にしつこく食い下がろうとはしなかった。
「マキノの店に行くの?どうせそこで昼にすると思って、藤野が先に交信しているさ。だけど、マキノは頑固だからな、時間になるまで絶対に店を開けない。省吾さんだって例外にはしない」
「ああ、それでここで時間潰し」
「うぅん、いいけど、ほら、はぐれ鬼が来ててさ……」
鬼という言葉に、葵の意識も研ぎ澄まされる。ピンボールをまじまじと眺めている風を装いながらも、さらによく聞こうと耳をそばだてた。
「……こいつにとっても、俺にとっても、高校の後輩だしね、無下 にも出来なくてさ。でなきゃ、ここには入らせやしない」
ロウはナギとは違うように感じていたが、やはり肉体と意識が別物のような話し方をする。彼らの奇妙さを思い、葵はごまかしも利かないくらいにしっかりと、二人の会話に聞き耳を立てることにした。
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