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第一部 5-4 (終)
「オヤジなら放り出してるけどね、人には面子ってのがあるでしょ?こいつの顔を潰しちゃ悪いしさ」
「正行伯父が言っていたな、ここ何年かで急に県外からの移住が増えたと。そろそろ、はぐれ鬼とは呼べないんじゃないのか?」
「そうなんだよねぇ、はぐれ者も徒党を組めばさ、はぐれ者じゃなくなる訳だからねぇ。だけど、新参っていうのはイキがっちゃうでしょ、古参を前にするとさ。俺らが〝はぐれ鬼〟なんて言ったもんだから、その気にさせちゃったみたいでね。誠司は放っておけって言うけどさ、本物ならいざ知らず、偽物相手に本気になるのも馬鹿らしいってね。ホント、うざいよねぇ。からかっただけなのにさ、まっ、金は落としてくれるからいいんだけどね」
「金だけ?なんか、楽しそうだな?」
「だって、俺は誠司とは違う。人をからかうっていう折角の楽しみを放ったりしないよ。そこら辺は、こいつも同じみたいだし」
ロウが親指を立てて自分自身を指し、省吾に否定されなかったことを喜ぶかのように、にこやかに笑った。
「だけど、あの美人さんは近付かない方がいいかな。鬼どころか、人にしても中途半端な奴らだし、たち悪いから。最近、ああいうのが増えたんだ。金を使わねぇ気なら、来るなって言ってあるんだけど、超絶真面目な大学生になった俺の言うことなんて、あいつら、屁でもないって感じでさ」
葵はえっと思った。〝超絶真面目な大学生〟というくだりで、思わずカウンターへと目を向けてしまった。最初に見た時のロウとは別人になっているのかと、その姿を再確認する。耳、鼻、唇のピアスに蛇のタトゥー、ごついリングにツンツンした髪形と、何も変化はなかった。超絶真面目な大学生のファッションがこれだとするなら、面白味のない町と思ったこの町も、結構イカしたところなのかもしれない。葵は見掛けによらないものだと笑いたくなったが、ロウが続けた話に、イカした町のことも頭からすっと消える。
「だから、あの隅の喫煙所には行かせない方がいいよ。俺がさ、優しいところを見せてやってるだけなのに、あいつら、勝手に溜まり場にしているから……って」
葵は真っすぐに、その喫煙所を目指して歩いて行った。鬼と聞いては我慢が出来ない。母親は鬼の何を悲しみ恐れたのか、この町の秘密がそこにあるのなら、確かめるしかない。
「ちょ、ちょと、駄目だって」
ロウが慌ててカウンターから出て来ようとするのを、省吾が呼び止めた。
「待てよ、聞きたいことがあるからさ」
「えっ?なんだって?」
「はぐれ鬼の人数、正確には何人?」
「三人……だけど、どうしてそんなことを聞くのさ、わかっているんだろ?あいつらのクソ生意気な匂いでさ」
「必要もないのにしないよ、クソ生意気な匂いなんて、嗅ぎたくもない」
葵は驚いた。省吾も意識して感覚を澄ませば、空気の振動や匂いで周囲の様子が見えると言うのだろうか。葵は既に喫煙所にいるのが三人とわかっていたが、省吾が何を思ってロウに尋ねたのかに気持ちが揺さ振られる。
「だけど、葵が大丈夫かどうかの確認はしておかないと。三人なら、大丈夫だな」
物柔らかな口調で、のほほんと話を継いだ省吾には、手助けをする気が全くないのがわかる。元から助けを求めるつもりはさらさらないが、省吾の言い方が憎らしくてならない。
「気安く俺の名前を呼ぶんじゃねぇ」
葵は省吾にきちんと伝わるように声を張り上げた。それでも、腹立たしくはあるが、省吾に言われたことで、三人なら行けるという葵の確信が強まったのは事実だった。しかし、喫煙所に入って、小汚い学生服の三人を目にすると、葵の張り詰めていた神経も瞬く間に緩む。それよりも公園にあったのと同じ自動販売機に目に行き、そのことが、葵には数段大事 に思えて来る。省吾に奢ったことで、コインが足らない。
「クソがっ」
そう小さく呟き、何とはなしに小汚い学生服の三人を眺めた。一人は自動販売機の横にある長椅子に寝そべっている。一人はだらりと床に座り込んでいる。最後の一人は立ったままで、偉そうにタバコをスパスパと、口寂しげに吸っている。
「これのどこが鬼なんだよ」
葵は続けて呟いた。母親がこの鬼もどきを嘆き悲しむ程に恐れたとは思えなかった。母親なら学校へ行けと諭しはしても、怖がったりはしない。
「ああっと……」
葵が彼らのことをどう思おうとも、彼らの視線は自然と葵に集まった。そうなると、何か一言くらいは声を掛けなければならないような気持にさせられる。その思いのまま、田舎での調子で言葉が口をついて出た。
「悪い、間違えた」
葵はくるりと向きを変えたが、それで終わりではなかった。彼らにとって『鳳盟学園』の制服は眩し過ぎる。それとも葵の美貌に対してなのか―――。タバコを吸っていた一人が下卑た口笛をヒュと吹き、スタンド型の灰皿にタバコをひょいっと投げ捨てた。それが合図のように、長椅子に寝そべっていた一人が起き上がり、床に座り込んでいた一人も立ち上がった。
「何も急いで行くことないだろ」
「そうそう、俺らと遊んで行こうぜ、その気がなきゃ、こんなところに来やしないよな」
葵は余りの馬鹿さ加減に、彼らを無視して店の方へと戻ろうとした。それを三人が葵を囲むようにして止めさせた。
「おいおい、つんけんすんなよ、金持ち連中の相手を、散々してそうなツラしやがってさ」
「ここに来たってことは、お上品な奴らじゃ、物足りなくなったってんだろ?もっともっと虐めて欲しいってか?」
「ぎゃははははっ、期待に応えてやらねぇとな」
下衆 な笑いに触発された一人が邪な思惑に歪んだ顔で、葵の肩に腕を伸ばして来る。葵は待った。浅ましいその手が、触れるか触れないかの距離に近付くまでの僅かな時間を待っていた。そして次の瞬間、葵はその一人の急所を蹴り上げた。その一撃で、一人は苦痛の叫びを上げて悶絶し、口から泡を吹いて床に蹲 る。
「てめぇっ」
残る二人は一瞬怯 んだが、葵一人ならと、同時に襲って来た。それを葵は一人の喉に肘を食らわせ、瞬時に腰をすっと低くし、もう一人の腹に拳を突き上げた。二人は床に頽 れ、それぞれ喉と腹を押さえて、嘔吐するかのようにゲェゲェと耳障りな息を吐いている。その二人を次々と、最初に倒した哀れな一人へと容赦なく蹴り飛ばした。片足を上げて、適当に選んだ一人の胸を踏み付け、怒気を帯びた葵の美貌に怯えるその目を、僅かに体を屈めて、省吾をも驚嘆させた金色に光り輝く瞳で睨み付ける。
「田舎もんだと思って、バカにすんじゃねぇぞ」
凄みの利いた声音に、その一人は必死に何度も頷いた。『鳳盟学園』の制服を着る葵を、三人のうちの誰一人として田舎者とは思わない。彼らが恐れたものが類稀 な美しさであることに、葵が気付くことはなかった。
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