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第一部 6-1

「いやいやいやいや、それは違うっしょ」  ロウの驚きと笑いを含んだ声音に、省吾は落ち着かない気分にさせられた。ロウが原因というのではない。〝はぐれ鬼〟と呼んで馬鹿にしている男達を、葵が側に寄せたことにムカついてならないだけだ。それなら、どうやって倒せばいいというのか。自分でも矛盾していると思うが、許せない気持ちになるのだから仕方がない。 「っていうか、あの蹴り、なんなの?」  急所を蹴り上げてみせたことは、省吾にも笑えることだ。それで少しは気分も晴れるが、葵が男達を近付けたこと自体には腹が立ってならない。省吾には、葵が三人を軽くのすことはわかっていた。葵の隙を突いて、後ろから抱き(すく)めた時に見せた悔しがりようを思えば、おおよその見当は付く。 「あの顔で、田舎もんって言われても……」  陰になっていたせいで、ロウには見えなかったのだろう。男達が本気で怯えたものの正体が、ロウにはわかっていない。うちにある光が輝かせる金色の瞳の美しさは、比類ないものだ。その目で冷然と睨まれては、ただの人である彼らに太刀打ち出来ようはずがない。葵の美貌だけに感嘆の目を向けるロウには、そこのところがわかっていない。 「顔のことなら、言うだけ無駄だよ。こっちに来てから、じろじろ見られたことを、化け物扱いされたと腹を立てていたからね」 「化け物?」 「正行伯父に言わせれば、俺も化け物みたいなものだろう?」  そこに皮肉があると、ロウにも理解出来たようだ。ロウは首を横に何度も振り、心持ち声を震わせるようにして裏返し、それとなく話の筋を変えていた。 「金持ち学校の制服でさ、田舎もんはないでしょ?」 「葵にとっては、お仕着せでしかないからね。無理やりあてがわれた制服に、価値なんてある訳がない」  それならどこにあるのかと、省吾は思った。一瞬、聡の存在が頭を(よぎ)る。その一瞬で消えてくれればいいものを、かっとしたことで、頭の中に居座られてしまった。見たこともない聡の姿はあやふやだというのに、省吾の頭の中では存在感を溢れさせている。まるで生霊に取り憑かれているようだと思い、忌々しさも増大して行く。 「田舎者であり続けることが、葵には何よりも大切なんだよ」  聡は女子にも劣らない可愛らしい顔をしているということだが、学校が廃校になるかならずの山奥での基準に、どれ程の信憑性があるというのだろう。本当のところは猿と大差ないに違いない。自分の美しささえ理解していない葵に、可愛らしさのなんたるかをまともに判断出来るとは思えなかった。愛嬌さえあれば、猿も可愛く見えるものだと省吾は思う。 「幼馴染が忘れられないからな……」  省吾の言い方は余りにも悔しげだった。自分でもはっとしたくらいなのだから、隠そうとしても手遅れだ。省吾が特定の誰かに対して嫉妬を見せたのを、ロウが驚愕の表情で見詰めるのを甘んじて受けるしかない。 「こりゃ、たまげたな」  自分自身も驚いていることを、わざわざ言われたくはないものだ。省吾は微かに顔を背け、その意味するところをロウに伝えた。 「気にするな」  ナギと違い、省吾の逆鱗(げきりん)に触れるのを覚悟で、慰みを冒す勇気がロウにはない。ロウは察するという人らしい行為で、省吾が見せた初めての感情からあっさりと遠ざかった。 「それより、マキノが店を開けたってさ。省吾さんの為っていうより、美人さんの為って感じかな。この騒ぎ、俺を通して見てたみたいだよ」  省吾は頷くだけに(とど)め、何も答えなかった。言うべきことがないと思い、黙っていたが、ロウは(はな)から省吾の返事を期待していなかったようだ。彼らが内々で交わす遣り取りは、幼い頃から見慣れているが、慣れているからといって、認めたことにはならない。現実だと理解するしかない事実だとしても、省吾が敬遠しているのを、ロウは知っていた。  彼ら独自の交信は、省吾には出来ないことだ。省吾だけは特別で、肉体が邪魔をしているからだと説明されても、特別であることが化け物と同一であるのなら、認めたいとは思わなかった。自分には関係のないところでしているのであれば、見ないで済む。その意味でなら、勝手にすればいいことだとは思っている。常に側にいる誠司やその仲間が、どういった時にも決してしない理由もそこにあった。彼らは省吾が嫌うことをしないだけでなく、省吾と同程度の人らしさに(こだわ)ってくれている。しかし、省吾より年上の彼らは、便利なその能力を利用することに躊躇(ためら)いはなかった。 「で、どうする?あいつら?」  ロウが葵へと視線を戻し、男達を顎で指し示して、期待に満ちた声音で省吾を促した。省吾も誘われるように葵へと視線を戻す。葵は男の胸をグイグイと踏み付け、金色に光り輝く瞳で震え上がらせている。側に男達を寄せたのは許せないが、葵のその姿を眺めているうちに、省吾にも楽しむ余裕が出て来た。  葵が省吾とロウの会話にしっかりと聞き耳を立てていたのはわかっている。あの時、話していたのは〝はぐれ鬼〟のことだ。葵が鬼に反応して喫煙所に向かったのも、省吾にはわかっている。葵がこの町の秘密を、化け物の(あか)しである『血の契り』にまつわる話を知っているとは思えないが、何かを感じているのは確かだということだ。 〝俺とあんたの関係、複雑過ぎんだよ〟  葵はそう言ったが、複雑なのは親兄弟の関係であって、二人だけに限れば、その関係は単純でしかない。今はまだ化け物になりたくないと、省吾が見ないようにしていることも、近い将来、向き合うことになる気がする。それは葵も同じだ。列車から見掛けた時には考えもしなかったが、ここに連れて来ようと思った理由も、その確信を得る為だった。省吾のものだという逃れられない運命と向き合う葵の姿は、さぞかし美しいのだろうと、省吾は思う。 「好きにしたらいいさ」  省吾は葵の足が男の胸から離れようとしているのを眺め、多少の不満を見せながらも、物柔らかな口調でロウに答えた。 「葵は甘いな、あの程度のことで、あいつらを許してやるみたいだね。だから、おまえの好きにしていいよ」 「あなたは……」  突然、ロウの口からロウのものとは違う声が響いた。大学生らしい軽い喋りではなく、落ち着いた大人の重々しさを感じさせるその声に、省吾には珍しいことだが、思わずクソっと悪態を吐く。 「……あなたは、幾年(いくとせ)を過ぎても変わらない」  ロウの口を使って穏やかに話すのが誰であるかはわかっている。藤野正行(ふじのまさゆき)、省吾の母親の実兄(あに)であり、誠司の父親だった。

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