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第一部 12-2

 葵は四人目の生徒の顔を思い出そうとしていたのだろう。耳元に口を寄せた省吾を避けつつも、真剣な表情で僅かに下を向いたが、不意に顔を上げて(おもむろ)に振り返っていた。すぐに省吾よりも上背のあるその高さを忌々しげに見上げ、ふんと鼻を盛大に鳴らすのだった。 「蜂谷、あんた、俺をバカにしてんのか?」  いけ好かない野郎だという目付きで誠司を見上げているのに、葵は背後に立つ省吾に向かって話し掛けている。 「これのどこが可愛いんだ?つまんねぇもん、見せんじゃねぇぞ」  途端に、誠司以外の三人が大袈裟に笑い崩れた。三人のように馬鹿笑いはしなかったが、省吾も同時にくっと短く笑っている。誠司の厳めしい顔が恐ろしげに歪んだのも、それが理由だろうが、冷酷そのものの顔を前にして平然としていられるのは、限られた仲間だけだった。葵もこの時、本人の思いに関係なく、彼らの仲間入りをしてしまったようだ。 「どけよっ」  葵は行く手を塞ぐようにして立つ誠司に、声を荒らげた。誠司が〝クソっ〟と悔しげに呟きながらも横に移動すると、葵の方も〝クソがっ〟としっかり言い返してから、誠司の脇を真っ直ぐに通り抜ける。あとは一度として振り返ることもなく、改札へと早足に歩いて行った。 「生意気な野郎だっ」  上級生としての立場なら許せることではないのだろうが、省吾が葵を認めたのでは、誠司にも手は出せない。それでも一つだけある抜け道には、気付いていたようだった。急に笑顔になった誠司が、期待の眼差しで省吾を見る。 「俺に何を言わせたいかはわかるが、俺にその気はない」  省吾は誠司の目付きに心持ち声を強くして言った。そのまま葵と同じように改札へと歩き出すと、誠司も横に並んで付いて来たが、その時には笑顔も消し、厳めしさを戻している。 「ったく、あれはなんなんだ?」 「なにが?」 「とぼけんな。バカにするだの、可愛いだの、つまんねぇだの……思い出しても腹が立つ」 「ああ、あれね……」  省吾の頭には、葵の〝かわい子ちゃん〟発言があったが、誠司にそれを教えるつもりはない。誠司は威圧さを規範にしているような男だが、どこか堅物でもあり、そうした誠司をからかうのは楽しいものだ。省吾は声音に寂しさを漂わせ、悩める男のふりをして誠司に答えていた。 「葵は可愛いのが好きなんだよ。だけど、可愛い男でいるのも大変でさ、俺には葵好みの可愛さは難しいんだよね」  誠司は誰もが恐れる厳つい顔を、一瞬、知性をなくしたかのように(ほう)けさせた。そうそう見られるものではないその顔に、省吾はこらえきれずに笑ってしまった。改札へと歩き出した時、省吾を真ん中にして他の三人も並んで歩いていたせいで、省吾の耳に左右両方から笑い声が響いて来る。 「誠司も楽しめばいいだろう?」  それは右端を歩くコウの声だった。 「かわい子ちゃんになろうと頑張っている省吾をさ」  コウが洗練された顔付きに似合う品のある口調で言葉を繋げた。 「だよな、誠司だって見たいだろ?かわい子ぶってる省吾なんて、貴重だぜ」  省吾の右隣りを歩くリクが、精悍な顔付きに似合わない意地の悪い笑みを浮かべて続ける。 「でもさ、美人さん好みの可愛さは難しいみたいだし、省吾もかわいそうだよねぇ」  左端を歩くメイが、異国風の端正な顔付きにそぐわない子供っぽい口調で話を締め(くく)った。 「おまえら……何を企んでやがる?」  省吾をからかっているようで、その(じつ)、誠司には自分がからかわれているのがわかったのだろう。誠司が声を低めたのを合図に、三人は降参だというように、笑いながら後ろへと下がっていた。  彼らは葵の〝かわい子ちゃん〟発言を知っている。今朝、サキから聞かされたのだと、省吾は気付いた。屋敷町にある駅の改札口で、サキが三人と笑い合っていたのを目にした時には、いつものふざけ合いにしか見えなかったが、本当は誠司を話題にしていたのだとわかった。  県立高校に通うサキとは、毎朝、三人のように駅で待ち合わせてはいない。手前の駅で降りるサキにとって時間的に早過ぎるからだが、気が向いた時だけ、顔を見せることがある。今朝、サキがそういった気分であったのは、この三人に葵のことを、特に誠司についての発言を聞かせたかったからだろう。 〝サキ、どうしておまえがいる?〟  省吾の物柔らかな声に振り向いたサキの嬉しそうな笑顔は、従兄弟であるナギに似て、屈託のないものだった。それが省吾にほんの微か警戒心を起こさせたが、幼い頃からサキをよく知る省吾は、偽りのない笑顔を返していた。  その屋敷町の駅は、開設された当初は名誉ある地域に作られた駅として脚光を浴びていた。特別列車が到着するたびに華やかな出迎えがあったものだが、それも遠い過去の話であり、現在では通勤通学の時間帯であっても閑散としている。仕事や学校に向かう大人や子供の姿をそれなりには見掛けても、屋敷町の社会的階層からすると、利用者の割合が格段に少ないのは自然な成り行きでもあった。  過去を映すように、(いにしえ)の華々しさを残す駅舎は、現代では入手不可能とも言われる天然石を、床や壁、階段や手すり、天井など、ふんだんに使用された威風堂々としたレンガ造りの洋風の建物だった。町全体が様変わりしている今、どの駅もガラスを基本にした近代的な建物に作り替えられている中で、屋敷町の駅だけは時が止まったように昔のままの姿を残している。それも外観だけのことで、決して時代の流れに逆らっているのではなかった。改札や券売機など、現代における便利さは取り入れられている。  駅に限らず、時代の流れは住民にも広がり始めていた。人の移り変わりの少ない屋敷町にも、立地の良さが魅力だとして、最近になって駅前にマンションが建ち始めたからだ。見栄(みえ)もあるのだろうが、より良い生活環境を求めて、県内外から移り住む者が増えている。  以前は、少ないながらも駅の改札を通るのは、『鳳盟学園』や『淑芳女学園』の生徒が中心だった。それがここ数年で、他校の生徒の比率が高くなり、その意味でなら、利用者数がマンション建設に比例して格段に増えたと言えるのだった。

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