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第一部 12-4 (終)

 誠司の父親として、夜遅くに帰宅した藤野が疲れも見せずに真理を慰めたのはわかっている。今朝の真理は昨日の落ち込みも何のその、手作りケーキにさらなる意欲を見せていた。  これを家族だけの問題と見るのなら、藤野の父親としての気配りで大団円を迎えたというところだろう。しかし、仲間を()べるものとして見るのなら、話は変わる。慰めるだけでは騒ぎを収めたとは言えなかった。藤野は誠司に処分を下し、それでアオを納得させていた。予定より遅れたのは、藤野が誠司の朝食を作り直させたからだった。 〝オヤジに次の日曜まで、寄り道も外出も禁止された〟  藤野に言い渡された処分について話す誠司は、体中で苛立っていた。 〝オヤジの奴、内心じゃ、よく言ったと思っているくせによ。省吾も同罪にしたのは、それで俺の機嫌を取りやがったのさ、ったく、ずる賢い野郎だぜ〟 〝つまり省吾も、次の日曜まで遊びに出られないってことか?〟  サキの口調は明らかに残念そうだった。 〝あの美人さんを俺にも紹介してもらおうと思っていたのにな、暫くはお預けか……〟  サキは気さくに話していたが、意識は車内へと広げていたのだろう。大きな体で誠司がしているように省吾を乗客から隠し、立つ位置も微妙に変えていた。サキの動きは誠司や他の三人へも伝わる。彼ら特有の共鳴や交信ではなく、人としての感覚が何かを感知し、それぞれの判断で省吾を彼らの(ふところ)に隠そうとしていた。  彼らがしていることを止めるのは、省吾には簡単なことだ。一言、そう命じればいい。それをしたくないからこそ、全てを雑音にして過激な音楽へと逃げていた。今朝、サキの動きに反発したのも、そういった思いからだった。 〝過保護が過ぎないか?俺はもう子供じゃない〟 〝そうも行かなくてさ〟  誠司がサキに何も言い返さないのには理由があった。厳つい顔を無表情にしたのも、サキの話を聞けという意味だが、それよりも省吾が気にしたのは、誠司とサキの思いの響き合いだった。  二人の思いが空間を震わせ、人の目には映らない振動の微かな揺らめきの輪の中に、二人を包み込んで行く。省吾は(まさ)に誠司とサキが共鳴した瞬間を見せられたのだった。  他の三人には起きないことであり、二人が無意識にしているというのは、血に棲むものを宿す省吾にしかわからないことだった。子供の頃からの仲間は、大人達のように安易には共鳴しない。省吾が嫌がることを決してしないからだが、特別な二人が繋がり合おうとする互いの意志はどうしようもないようだった。  省吾は見たくもないものを見せられて苛立ったが、無視するのも大人げないと、サキに問い返していた。 〝なに?〟 〝昨日のはぐれ鬼の三人……〟  はぐれ鬼と聞いて、葵の蹴りを思い出し、少しだけ気分が上向いた。省吾の秀逸な顔が自然に綻んだのを、サキが喜んでいたのは、ほんの少し言葉を切ったのでわかった。 〝……仕置きでちょいとつついてやったら、妙なことを言いやがった〟 〝妙なこと?あの間抜け面の三人が?〟 〝そこは……まぁ、反論出来ないが、あいつらなりに反省している。反省させたってのが正しいが、俺にしたら、どっちだっておんなじことさ。兎に角、これで勘弁してくれと、鳳盟学園についてのネタを教えられたってことだよ。来年には、あの金持ち学校も、はぐれ鬼のものになる……ってな。〝はぐれ鬼〟なんて、俺達がからかって言ってるだけなのに、困ったもんだよ。俺が何も知らないと思って、あいつら、探りを入れるから、それで美人さんとのことも許してくれと言いやがった。舐められたもんだよなぁ、あいつらが泣きを入れたのだって、美人さんに蹴飛ばされて、変なスイッチが入ったからだろうに……〟 〝そのこと……〟  省吾はあの男の裏切りが息子にも影響しているのだと思い、サキに問い直した。 〝……優希が絡んでいる?〟 〝ああ、蜂谷の爺さんの間違いが、ここに来て、面倒を起こし始めた。こっちでけりを付けるつもりでいたし、省吾を煩わせたくはなかったんだが、美人さんが現れたし、教えておいた方がいいと思ってさ〟  サキには少しも面倒ではないようで、浮かれた口調で続けていた。 〝持ち上げて、その気にさせた爺さんも悪いが、鬼が何かも知らないくせに、周りに集まる奴らに利用される優希にも責任があるだろ?〟  サキの言う通りだが、剛造が間違っていなかったのなら、ここにいる仲間達はどうしたのだろう。あの男に逆らえなかった藤野やマキノのように、嫌でも優希を守り、はぐれ鬼が近付く隙さえ与えなかったはずだ。仮の話だとはいえ、自分のことは見向きもされないと思うと、省吾の顔も皮肉めいた笑いに歪む。目ざといサキが、その笑いの意味を取り違えることはなかった。 〝そう深く考えるなって、俺達には、人だろうがなんだろうが、省吾は省吾なんだからさ〟  こういうところが、誠司と違って侮れない。誠司は自分の思いをはっきりと見せて来るが、サキは相手の思いを感じ取り、思惑次第で言葉を選び出して来る。サキが本心では省吾をどう思っているかは、言葉通りに受け取れないところがあった。人としての省吾と、血に棲むものを宿す省吾、サキがその二つを分けていないとは言えなかった。分けた上で、どちらも大切だとさらりと言い切れる男でもある。  サキの降りる駅でドアが開くと、サキは片手で省吾の肩を力強く掴み、親愛の情を見せてから列車を降りて行った。  省吾はその時のサキの強靭な後ろ姿を思い、その背中に、早足に遠ざかって行った葵の自信に満ちた後ろ姿を重ねた。葵ならサキの思惑にも拘らず、悠々と従わせるだろう。反対に傲然としているしかない優希が哀れに思えたが、葵に手を出すようなら、放ってはおけない。 「動き始めたものは止められないか……」  省吾はとうに見えなくなった葵の後ろ姿を思いながら、絶え間ない人の往来を避けるようにして改札を通り抜けた。すぐ後ろを、葵につまらないものと言われた顔を、ことさら不機嫌に顰めている誠司が続く。省吾はちらりと視線を向けて、早く機嫌を直せというように軽い調子で声を掛けた。 「葵にやたらと絡んでいるのがいる。そいつのこと、調べてくれる?」 「呼び出して、殴ってやろうってのか?」  葵に対して複雑な思いを抱えてはいても、それはそれとして、誠司にはこういった単純なところがある。わかりやすさは本当に可愛いものだが、今はそれを笑えるような気分ではない。 「違う、今朝のサキの話を思い出したんだよ」 「ああ……そういうことか」  すぐに事情を察する頭の良さも気に入っているが、葵の話には反応が薄く、誠司は気乗りのしない口調で答えていた。代わりに興味を見せたのはコウだった。コウが背後から二人の話に口を出して来た。 「その辺のこと、わかるかもしれない……」  コウのクラスメートに、藤野が傘下に置くクラブの従業員と揉め事を起こしたのがいて、仲裁を頼まれたということだった。本当は誠司に頼みたかったのだが、直接頼む勇気がなく、当たりの優しいコウを通したのだった。 「そいつが昨日、助けてもらったお礼だと言って、近々、食堂でとんでもないイベントが予定されていると教えに来た。かかわるかどうかは俺達に任せるけど、そいつ自身は、かかわりたくないって言っていたな」 「イベント?」  省吾が滅多に見せない顔付きで、さらには声まで低めて聞き返した。思わずびくついたコウに代わって、リクが話の続きを引き受ける。 「去年、それで退学したのがいただろ?それをまたやるみたいだな」 「俺達、あの日は外に食べに行っちゃったよね?生徒会も、知ーらなーいって、逃げちゃったしさ」  子供っぽい口調ながら、メイが胸糞悪いと言わんばかりに続けたことで、省吾も去年、新入生が食堂で引き起こした騒ぎを思い出した。  学園は騒ぎの全てをなかったことにした。新入生に自主退学を促しただけで、かかわった生徒の処分もしていない。騒ぎを映した動画は消されたが、裏では流され続けているという噂があるのにだ。当の新入生は、家族によって県外の寄宿学校に移されたということだった。  微かに記憶するその顔は、葵に遠く及ばないが、程々に綺麗な顔立ちだったように省吾は思う。顔よりも、血筋が途絶えたとされた香月の養子に入ると言われていた生徒だったことの方を、はっきりと覚えている。それを鼻に掛けて、省吾に近付こうとしていたからだ。 「知らせてやるのか?」  次の標的が誰か、誠司でなくとも気付くことだ。相も変わらず気乗りのしない口調だが、イベントにはむかついているようだった。 「いや、今回は面白そうだし、見物させてもらうよ」 「いいのか?」  省吾の真意を測れない誠司の驚きに、省吾は明るい笑いで答えていた。

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