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第一部 14-1
省吾が激怒しているのは、誠司達四人にはわかっている。葵もわかっていたようだが、この世でただ一人、省吾が心を乱される相手であるのなら、気付かない方がおかしいだろう。
省吾は誰をも虜にする美しく整った顔に、普段通りの優しさを平然と漂わせているが、雄々しくも雅やかな体躯も同じとは言い難い。すらりと伸びた体を強張らせたことで、押し隠した怒りを、誠司達にも気付かれることになった。
省吾がこうした激しい感情をうちにこもらせるのは、有り得ないことだった。そこまで省吾を悩ませる者が現れなかったからだが、現れたとしても、発散するという人らしい行為で、本来の気性の激しさも静められるはずだった。激情に飲み込まれてしまえば、血に棲むものが動き出す。現 に、臍の下辺りがちりちりと熱を持ち始めていた。このまま行けば、人並み外れた強い意志でも押さえ込めなくなる。省吾は人としての自分の意志で、葵の挑発に苛立つ思いを誠司達の前にさらけ出すことにした。
「さっきのあれ、委員長だったか?どうにかしてくれないか?」
「どうって?」
隣を歩く誠司が、厳つい顔を笑いに綻ばせている。省吾とは、まともに話せないような小者をライバル視する省吾を面白がっているのだろう。思い通りにしたいという熱情と、思い通りにならないという焦燥は、省吾には初めての経験だった。
廊下をのんびりと歩いている省吾が、そういった気持ちでいることは、同級生達にはわからない。彼らは省吾と並んで歩く一団を畏怖するように道をあけている。かかわるよりは避けた方が無難だというのだろうが、内心では誰もが省吾に構われたがっていた。
友人であろうと恋人であろうと、遊びであっても構わない。省吾と親密に付き合えることを夢見ている。反発する者達にしても、屈服させるという意味で、省吾の身も心も欲している。誠司達が省吾の側を離れないのは、省吾にまつわり付こうとする学園の生徒達の思いを撥 ね退 ける為でもあった。
省吾を一人にしたところで、彼らの望みが叶うことはない。人として対処出来ないのなら、血に棲むものが現れるだけのことだ。そうなれば、人が勝てる相手ではなかった。後始末の面倒から、常に誰かが側にいると言い換えてもいい。
藤野に連れられて来た当初は、省吾も身を守ろうとして、激しさの裏返しのように自分を押し殺していた。幼いながらも、蜂谷の家ではそうしなければ傷付くことを学んだからだ。藤野の家に来てからは、大人達に散々甘やかされるうちに、何事も自分の好きにするようになっていた。
あのまま剛造のもとにいたのなら、人としての省吾を血に棲むものが凌駕し、今の省吾は消え去っていただろう。人としての理性をなくした省吾が何をするかはわからない。この町を我が物とするのか、滅ぼしたのちに他の町へと向かうのか、藤野達にもわからないことだった。
わからないからといって、藤野達が何かを感じることはない。事の善悪が、彼らの基準ではないからだ。血に棲むものが求めるのであれば、従うだけということだった。省吾を引き取り、育てる意味もそこにあった。人としての省吾の意志を強くさせ、血に棲むものと融合させるのが彼らの役目だ。血に棲むものを制御出来ると教えたのも、省吾の意志を高めさせる為だった。その時には、省吾は血に棲むものになり、血に棲むものが省吾になる。
主人と違って、彼らは人の血の中に棲んではいない。肉体の表面に寄生するようにして、長い年月、人として暮らし続けている。意識の共有が可能な人を選び出し、人生を共に生きて行く。人から離れれば、なし得たことの全てが、人の記憶のみとなり、彼らと過ごした日々は忘れ去られる。その後の人生は自らの裁量で生きることになる。なし得たものを生かすも殺すも、人次第ということだった。
彼らは一人一人単独に寄生するが、藤野やクロキのように親子に寄生する場合もある。藤野達のような守護者という共同体から遠ざかり、隠れ棲んでいるものもいる。血に棲むものを守る為に、寄生する人を転々と取り替えているものもいる。藤野にも、どれ程の人に寄生しているのかは、把握出来ていないのだった。そういった彼らは、共鳴も交信もして来ない。街中で擦れ違いでもすれば、匂いでわかるということだが、どこまでも対等である彼らは、人として生きる立場に興味はなく、血に棲むものが省吾という人となる日を、ひたすらに待ち続けている。
『血の契り』を結んだ香月と蜂谷でさえ、藤野達の存在について知り得ていない。剛造も、あの男も、その遥か昔の先祖達も、繁栄をもたらす礎 は血に棲むものの力であっても、人として生きる藤野達を支配するのは、自分自身が持つ力だと信じている。彼らがそう思わせたのだが、彼らの主人を宿す肉体は、彼らにとっての主人そのものであり、その言葉に逆らえないだけのことだった。
省吾がそうした事実を受け入れ切れないのは、人である自分が余りに無力に思えたからだ。彼ら独自の共鳴や交信に入り込めない孤独感も、その思いを強くさせただけだった。誠司達が共鳴も交信もしなくなったのは、省吾を思ってのことだった。血に棲むものの守護者でありながらも、仲間として、人としての省吾に愛情を示したのだった。
省吾の意志を強くさせる為の方便だと、疑ったこともある。誠司達は共鳴も交信も頑なに拒むことで、その思いに嘘はないと省吾に示し続けた。千年の月日は、彼らを人に馴染ませ過ぎたのかもしれない。省吾は誠司達と、何をするにも一緒に遊び、ふざけては喧嘩をし、悪戯をしては叱られて、人らしい仲間同士のじゃれ合いを楽しんでいた。
そこに葵が現れた。
駅のホームで葵を目にするまで、藤野達は葵のことを省吾には隠していた。葵の年齢からすれば、あと数年はこのままにしておく予定だったはずだ。二人が完全に大人になるまで待つつもりでいた彼らには、葵の両親の事故は虚を衝かれたようなものだったのだろう。マキノの店で聞いた話を思うと、葵の両親が同衾 するよう算段したようだが、葵を見れば、彼らの計画も上手 く実を結んだということがわかる。
省吾は血に棲むものにそういった存在がいるのは教えられていたが、それが葵だとは知らなかった。知らせるつもりがあったのかという疑念には、〝言わずもがなだぞ〟と、自分の考えとは思えない言葉が胸のうちに浮かんだ。不思議な感覚だったが、葵に惹かれて当然と思われる程、自分をロマンチストだとは思っていないと、胸のうちでその言葉に言い返していた。
人としての意志で近付かせ、血に棲むものの意志で目的を遂げさせる。藤野に操られていると感じたのも、彼らの主人への忠義が根底にある気がしてならないからだった。それを彼らは家族と言っているような気がしてならない。
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