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第一部 14-2

 男子しか生まれないはずの『血の契り』に反する娘の誕生は、香月家の血に棲むものがしたことだった。千年のあいだに、欠片(かけら)程度であったものが、主人に匹敵する力を得たということだ。  娘の誕生は、香月と蜂谷の嫡子によって行われていた『血の契り』を不可能にしたが、血に棲むものが肉体の中で結び付くのを可能にした。欠けた一片とその主人が、娘の子宮で一つになれる。肉体に囚われていた血に棲むものが、それ自身が肉体を持ち、完全体となって唯一無二の繁栄を手にする。傲慢とも言える栄華が、未来永劫、享受される。香月と蜂谷が婚姻を決めた時に話し合ったことだが、血に棲むものにとっては浅狭(せんきょう)というものだった。  血に棲むものの望みが肉体を持つことだとしても、それだけではない。血に棲むものが望み通りの人となるには、陰と陽の二つの存在を必要としていたのだった。  代々、男子しか生まれないことで続いた『血の契り』が破られた時、印を持つ者が生まれ、繁栄を手にするのだと伝えられている。それが意味することは、血に棲むものに肉体を与えるということだが、遥か昔の先祖にも詳細を伝えることは出来なかった。子孫は不確かな言い伝えに命運を賭けず、『血の契り』に固執することを選んだ。欲の為、両家の嫡子の肉体に血に棲むものを幽閉したとも言えるのだった。剛造が妄信し、古い家に有り勝ちな因習として固く信じたのは、そういうことだった。  血に棲むものからすると、千年も続けるとは思わなかったというところだろう。長くても、数代で破られると思っていた。人の世では香月家が(しゅ)であり、蜂谷家が(じゅう)だが、『血の契り』においては逆になる。当主の誇りがそれを許すとは思えないものだ。  香月の娘が男と駆け落ちしたあと、剛造は省吾をただ一人の男子と思い、印を持つ者だと信じた。三年後、優希が生まれると、思い込みから省吾を蜂谷の家から追い払った。しかし、省吾も所詮は人の世に人として生きている。『血の契り』だの、血に棲むものだの、人の耳には与太話(よたばなし)としか聞こえないような理由で、家族に捨てられたことに苦しむ人の子だ。蜂谷の家から解放されたのであっても、三歳までの記憶は今も消せないでいる。それが剛造にはわかっていない。  葵の母親も、与太話に苦しまされたのだろう。山間(やまあい)の村に男と逃げたのは、恋愛絡みの個人的な理由でないのは確かだ。全く接点のなかった二人を結び付けたのが、娘の婚約者であり男の愛人というのが皮肉なものだが、駆け落ちした時にあっただろう感情は、同情くらいなものだとは容易(ようい)に想像出来る。  葵の母親は、『血の契り』にまつわる全てのことから遠ざかろうとした。娘の自分には、血に棲むものを新たな命に送り込めないと信じたとしてもおかしくない。『血の契り』を知るからこその逃避行だったように、省吾には思えた。  藤野達に乗せられたのは省吾だけではない。葵の両親も同じようなものだろう。それで葵が生まれることになった。省吾にはその事実だけが大切であり、葵をこの世に生み出した二人に感謝こそすれ、経緯に興味はなかった。事故への関心は、葵への関心ということだった。  葵は何も知らされていない。母親が逃げた理由に思い至った時、省吾はそう確信した。それなのに、葵は人である自らの意志と共鳴するように、血に棲むものの力を操っている。誰に教えられるでもなく、本人も知らないままに、血に棲むものと融合している。 〝あなたは、幾年(いくとせ)を過ぎても変わらない……〟  藤野がゲームセンターで言ったことは、血に棲むものへの諫言(かんげん)だった。彼らは千年のあいだ、人と共に生きて来た。血に棲むものとして見るのなら、省吾はよちよち歩きの赤ん坊のようなものだ。子供ではないとサキには言ったが、人の世で生き抜く老練さは、彼らには敵わない。  理性をなくした化け物では、葵は手に入らない。だからこそ、省吾は葵を羨んでいた。そして妬ましく思っている。  マキノの店の二階で、葵の中に宿る血に棲むものが小癪な真似で止めに入ったが、望みを成就させる日まで待てとでもいうのか。自分のものと決まっている葵を、自分だけのものにして何が悪いというのか。ただ単に欲望を満たす方法なら幾らでもある。それをどうにか我慢しているというのに、葵は嘲笑(あざわら)うかのように、省吾の思いを(ことごと)くするりとかわし、挑発して来る。  激しい苛立ちが体中に走ると、臍の下辺りが熱を持つ。そうなったところで、今までなら軽くあしらえた。意志を強くすることは、省吾には大したことではなかった。昨日、列車から葵を目にした時でさえ、遣り過ごせていた。それが葵を知るに従い、難しくなる。激しさは増すばかりで、頻繁に臍の下辺りも熱くなる。 「どうって?」  省吾は誠司の声に意識を戻し、何を話していたかを思い出す。華奢で小柄なクラス委員長の幼さを残す顔が頭に浮かび、葵に守られるようにして立っていたその姿に苛立った。 「どうして欲しい?」  誠司が言葉を替えて問い掛けを繰り返したのは、最初とは違う理由からだ。綻んでいた口元を険しくし、口調もきつくしたのでわかる。  問い掛けに答えず、何かしら考え込んだ省吾に、血に棲むものが現れる(きざ)しを見たのだろう。瞳にも、夜明け前の鈍い煌めきを思わせる光が現れていたのかもしれない。誠司は省吾の意識を自分に向かわせることで、省吾に今いる場所を思い出させようとしていた。  子供の頃、省吾は一度だけ、我がままが過ぎて誠司を突き放したことがあった。それはまさに我慢比べのようなものだったが、省吾の方が誠司のいない寂しさに耐えられず、翌日には折れていた。誠司は省吾の望みであるのなら、どういったことも叶えてみせる強い意志の持ち主だと理解するしかなかった。  あの幼い日からずっと、省吾は誠司が見せる気遣いにも逆らわないでいる。そこに愛があるのかと聞かれれば、頷くだろう。昨日の列車でのことは、子供の時の我がまま以来の出来事になる。誠司が怒鳴ったのは、親子の真似事をしたがる藤野の叱責に付き合うのを嫌がったからではない。恋にも似た人らしい嫉妬があったのだとわかっている。

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