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第一部 14-3
葵に感じる思いと、誠司への愛は全くの別物だった。何より、誠司の裸はうんざりする程見ているが、省吾には服を着ているのと何も変わらない。スタイルの良さは認めても、それだけのことだった。葵に感じるような激しい欲求が湧いたことはなかった。
愛の違いは誠司にもわかっている。省吾は敢えて指摘するような野暮をせずに、少しだけ誠司の気持ちに寄り添い、話を繋げることにした。
「ああいうのをカワイイって言うんだろう?メイがそう言っていたよね?俺にもちゃんと聞こえたよ。悔しいけど、それが葵の好みってことなんだ。山猿か小猿かの違いなんて、葵は気にしないみたいだしね」
山猿が聡で、小猿がクラス委員長のことだが、誠司にそこまで説明しても意味はない。細かい話を始めたところで、誠司を飽きさせるだけだった。誠司は事の始まりから結論を導き出せる。それが証拠に、厳つい顔に笑いが戻り、口調も楽しげなものになっていた。
「山猿?小猿?」
誠司は省吾の自虐気味な口調を笑ったというより、省吾が猿に拘ることを面白がった。
「あれの好みは猿か?可愛い男でいるってのも、そういうことか?」
葵に顔をつまらないものと言われたのを、誠司なりに気にしていたようだ。誠司は自分が猿から遠くかけ離れているのなら、葵に言われたことも笑い飛ばせると思ったのだろう。昨日の朝から腹の立つことばかりが続き、不機嫌の極みにあった誠司が、心底明るい笑いに顔を崩していた。
後ろを歩く三人は誠司とは違う意味でクスクスと笑っていたが、このことで誠司をからかうのはやめていた。二人の会話に割り込んで来なかったのも、メイがクラス委員長のことをいたく気に入ったからだろう。
投げキッスをした時のメイには、気を付けた方がいい。子供っぽい口調や仕草に惑わされがちだが、異国風の端正な顔と赤褐色の肌が表しているように、祖先の情け容赦ない狩猟本能がメイにはある。メイの本質は野獣であり、投げキッスは獲物を視界に捉えたと判断して間違いない。
隠し持つ鋭い牙で、人でも物でも食い散らかし、捨てて来たものは数知れない。その最中 に意見でもしようものなら、こちらが怪我をすることになる。それを知る仲間達は、メイを刺激しないよう、メイが気に入ったものには触れないことにしていた。メイを気にしないのは、野獣にも勝る誠司くらいのものだった。
「こりゃ傑作だな。しかも、他にあと二匹、小猿が付いて来そうじゃないか?アレは猿を集めて、ハーレムでも作ろうって気かもな?」
葵があと二つ席を用意しろと言ったことを、思い出させようとする誠司は、本当に楽しそうだった。葵のことで笑われるのは腹立たしいが、それで誠司の機嫌が良くなるのなら構わない。省吾は微かに目を細めて、横目で誠司を睨んだが、誠司には好きに言わせていた。
「省吾も大変だな?猿と比べたら、おまえは顔が良過ぎる、それに体もな?」
「自分の顔や体を嘆く日が来るとは思わなかったよ」
「その顔と体がいいというのは、ごまんといるのにか?」
省吾の苛立ちが誠司を楽しませるが、省吾の願いを叶えるのも誠司の喜びだった。誠司は笑いに崩していた顔を、すっと瞬時に変えて続けている。
「それで、どうして欲しい?」
繰り返されるその言葉の真剣さに、誠司の本気が見えていた。
クラス委員長に何かすれば、葵が黙っているはずはない。葵の庇護欲の強さは、昨日、葵と過ごして嫌でもわかったことだ。可愛い男でいるというのも、冗談ばかりで言っていたのではなかった。
どうして欲しいかを口にすれば、誠司は望み通りのことをしてくれる。この場合、メイをけしかければいいようにも思うが、口には出来ない。逆らわれるのには腹が立つが、言いなりにさせたいというのでもない。思い通りにしたいが、感情を持たない人形が欲しい訳ではなかった。
「もういい、ちょっと愚痴りたかっただけさ」
誠司は不満げに口元を歪めたが、省吾が決めたことに異を唱えたりはしない。
「程々にしとけよ、あんま、入れあげんな」
「……ああ」
主人への忠義を後回しにして、人としての立場で省吾を気遣う誠司には、葵とかかわりたくない思いが滲み出ている。省吾が誠司に感じる可愛さはこういったところだが、誠司への返事は、肯定も否定もしない曖昧なものにしていた。そこで教室に着き、開いたままの引き戸を抜けて中に入った。
省吾は誠司と中等部からクラスが違ったことがない。こうした偶然が起こり得るのも、藤野が裏で相応なことをしたからだろう。学園側も蜂谷家と省吾のいびつな関係を考慮しつつも、多額の寄付金を前に、波風の立たないようにしたようだった。二人して教室に入った時に、後ろにいた三人が自分達のクラスへと流れて行ったのは、そうした事情によるものだった。
廊下同様、省吾の姿を目にしたクラスメートが、一斉に省吾を見る。二時間目からの登校に驚きながらも、その優雅で秀麗な容姿に目を輝かせている。
入学式には、蜂谷家を出された長男という噂に、殆どの生徒が省吾を下に見ていた。学区によって小学校の階級が変わる仕組みのこの町では、屋敷町の出身であれば上位になるのだが、小学三年生で転入したことと、出自の怪しい藤野の家で育ったことで、省吾を認めようとする者はいないに等しかった。蜂谷の名前を恐れて、あからさまな嫌がらせはなかったが、誠司とその仲間としか親しくしないことにも不満を抱き、学園の生徒としては不適格と陰口を叩く者も多くいた。
どうでもいいことだと、噂話を捨て置いた省吾の思いに関係なく、生徒達が好きに押し付けたものが、省吾を神秘的な存在にして行ったのだから、おなしな話だ。子供から大人へと成長する年頃でもあり、省吾の秀逸な美しさの変遷を眺めることになった彼らは、麗しさと逞しさが混ざり合う絶対的な美の輝きに酔わされ、いつしか夢中になっていたのだった。
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