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第一部 14-4 (終)

 省吾を見詰める生徒達の眼差しは、中等部の頃から少しも変わっていない。欲望に陶酔、羨望に妄執と、一方的な思いの押し付けだった。彼らの独善的な偏愛は、誠司が側にいることで叶えられずにいる。近付くことすら無理なのだが、省吾が親しい仲間と寄り集まる遊び場でなら、付き合ってもらえることもあった。遊びは遊びだと割り切れるのならと、物柔らかな口調で最初に言われるのでさえ、勲章となる。そこでは他校の生徒までが、省吾の目に留まろうと、性別を問わず列をなしていた。  学園の生徒達にとっては、同級生であるだけでなく、同じクラスになれたことを幸運と思っても、やはり省吾は蜂谷家を出された異端者だった。省吾を畏怖するように避けるのは、省吾より上位であるという誇りが邪魔をして、素直になれないでいたからでもある。  この一年が学園での最後の年ということもあり、クラスメートが省吾の登校に目の色を変えるのはいつものことだった。しかし、今日は少し様子が違った。程なくして、片隅で興味本位な囁き声がし始めたかと思う間もなく、暗く翳るその声に、教室全体の雰囲気が変えられて行くのだった。 「あいつに気付いていたか?」  誠司の落ち着いた声音が物語ることが、省吾にはわからない。その気になれば周囲を全て見通せるが、省吾がそれをすることは滅多になかった。誠司達がいるのだから、する意味もない。省吾は面倒臭そうな顔付きで誠司に問い返していた。 「あいつ?誰?」 「ほら、今さっき、俺達のケツに付いて入って来た奴さ。職員室を出たところで、おまえとアレが話しているのを、遠巻きにして眺めていたぞ」 「そう?」  クラスメートであっても興味のない相手だと、顔も名前も省吾の記憶には残されない。つまり、殆どのクラスメートを知らないということだ。彼らは皆、省吾には呼吸する物体として均一に映っていた。 「それもはぐれ鬼?」 「いや、違うな」  誠司もクラスメートを呼吸する物体と見ているが、省吾と違って顔も名前もしっかりと覚えている。 「あいつの家は代々蜂谷に仕えていたはずだ。上層は無理にしても、旧家の部類に入る家柄だぞ」 「それなら、俺の監視役かな?それとも優希のお()りかもね?」 「そんなところだろうが、妙な奴らとつるんでいるし、はぐれ鬼みたいなもんさ」  省吾には、自分への反発はそのまま優希からの反発だとわかっている。蜂谷家の次期当主を、外に出された省吾が蔑ろにしてはならないのだ。来年には優希の天下だと思っていようが、だからこそ、今のうちにどちらが上かを省吾にも自覚させる必要を感じているのだろう。  優希の下に付くべき立場だと、省吾が学園を卒業する前に、誰の目にも明らかにしなくてはならない。葵と既に顔見知りだとわかれば、急ぐのも目に見えている。葵もまた香月家の直系であっても、香月の名前から弾かれた異端者だった。その二人が通じていると邪推するのは余りに簡単なことだ。サキの言葉ではないが、鬼が何かも知らないくせに、蜂谷の名前を汚さず、葵だけを汚す方法で、二人に知らしめようとするだろう。教室に渦巻く葵への反感に満ちた囁きが、省吾の考えを正しいと教えていた。 「たった四日で、アレも有名になったもんだ」  誠司は葵とのかかわりに距離を置きたがっているが、クラスメートに葵をどうこう言わせたくはないようだった。 「あの顔じゃあ、香月の孫でなくったって噂にはなっただろうが、そんなことは関係ないさ。おまえから声を掛けるなんてことは、普通じゃあ有り得ない。省吾……おまえ、わざとしたのか?」 「誰かに見せてやろうとは思っていたよ、その方が手っ取り早いしね」 「おまえの筋書き通りってことかよっ」 「そこまで出来やしないよ。ちょっだけつついて、段取りをつけやすくしてやったって感じかな?小猿まで引っ掛かるとは思わなかったけど、葵のせいだし、葵が自分でなんとかすればいいことさ。去年のを思うと、俺達もそうだったけど、みんな、逃げただろう?今回は楽しめそうだし、見物人は多い方がいいと思ってね」  省吾が気楽な調子で話していることが、誠司を不安にさせている。誠司の問い掛けには、省吾にだけわかる重く沈んだ微かな震えがあった。 「あれに全部やらせる気か?」 「さぁ、どうだろう?葵次第かな?」  葵に腹を立てていたのも忘れ、省吾は楽しげに答えていた。 「葵のことになると、何をするか、自分でもわからないしね」  駅の改札でもそうだったが、誠司には省吾が葵を助けようとしないのが理解出来ないでいる。誠司は愛情深い男であり、大切に思う相手には僅かな危険も近付かせない。省吾の側を離れないのは、後始末の面倒ばかりではない。誠司には省吾への愛情表現でもあったのだが、今回の不安はそういった類の愛を、省吾に素気無(すげな)く振り払われたように感じたことで起きている。  出来れば、して欲しいことを具体的に頼んで欲しかったのだろう。省吾の願いを叶えることは、誠司には無上の喜びであり、苦痛とはならない。誠司は自分にさえ気付かせないよう、省吾が遠回しにさり気なく動いたことを、過剰なまでに不安がった。それが原因で、少しだけ焦った口調で答えていた。 「昼までにコウに確かめさせておく。あいつにこの話を聞かせたクソ野郎なら知ってるだろ」  省吾は確かめるまでもないと思ったが、誠司がすることに〝やめろ〟とは言わない。ゆったりと微笑む優美な顔を誠司に向け、緩やかに頷くことで気持ちを伝えていた。

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