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第一部 15-2

 葵は頭から湯気を立てているような翔汰の小さな背中を見遣り、困惑げに尋ねた。 「委員長って、ああなのか?なんていうか、おとなしいようで……気が短い?」 「まぁね。だけど、根に持たないから、大丈夫だよ」  強気の田中が軽く答えた。それを受けて井上が補足する。二人が別々に話す時は、決まり事でもあるのか、その繰り返しなことに、葵は気付いた。 「久保君にはお姉ちゃんがいてね、仲良しなのはいいけど、小さい頃はお姉ちゃんの着せ替え人形みたいなもんだったんだ。親も姉妹みたいでカワイイなんて言って、女の子扱いしてたって話だった。だからっていうんじゃないけど、女の子みたいに口喧(くちやかま)しいところがあるよね?だけど、大目に見てやってよ」 「久保君の出身は屋敷町の小学校でさ、気位の高い街だし、おかしな奴って笑われちゃったらしいんだ。学園で僕達と友達になって、僕達みたいに男の子っぽくなるんだって、宣言なんかしちゃってる。それっくらい気にしてたってことなんだよ」 「それでかな、ちょっと正義感が強過ぎるんだよね。だから、去年、ちょっとしたことがあって、久保君は間違ってないのに、意地悪されるようになったんだ。二年までは同じクラスだったし、僕達が側にいたから良かったけど、三年で離れちゃたからね」 「クラス委員長になったのだって、担任がそうさせたようなもんだしさ。先生が特別に久保君のこと、気に掛けててもおかしくないからだよ。久保君は世話好きだし、うまくやってるしさ」 「それで、担任から篠原君が来るって知らされて、久保君、何か変わるかなって期待してたんだよ」 「僕達は期待しない方がいいと言ったんだけど、久保君は期待してたんだ」  二人の話に、葵は翔汰に感じた幾つかの疑問が解けたような気がした。やたらと顔に絡んで来た生徒に動揺していたことも、それでも果敢に話し掛けようとしていたことも、担任の意味不明な話に小さく首を振っていたことも、翔汰の葵への思いの表れだった。  この町に来て日が浅い葵に何が出来るのか、期待される程のことは出来ないだろう。わかっているが、放ってもおけない。葵はプリプリしながら前を歩く翔汰の背中を見詰め、まずはここから始めようと、声を低めて二人に聞いた。 「その意地悪な奴ってのは、誰だよ?」 「それが、先輩の……」  二人がまたも声を揃えて言い掛けたところで、翔汰が振り向いた。それで誰かは聞かずじまいになったが、教えられなくても葵にはわかった。今朝、吉乃が口を滑らせ、学園にいるもう一人の蜂谷の存在を葵に知らせていたからだ。翔汰に聞きそびれていたことも思い出したが、聞かなくて良かったのだと思った。  葵は翔汰の目を見詰め、一人も付いて来ていないことに拗ねているような翔汰に笑い掛けた。それで許してくれるかと思ったが、意固地になっているのか、翔汰は膨れっ面を変えようとはしない。 「何しているのっ、早くしないと、先輩に失礼だよっ」 「わかってるって」  臍を曲げた翔汰には慣れたもので、二人は声を揃えて答えていた。それが葵の笑いの急所を刺激する。 「あんたらさ、それ、わざとか?」  意味がわからないと、首を傾げる仕草も、よく見ると、角度までそっくり同じだった。 「何が?」  見事に揃った声を前に、葵は腹を抱えて笑い出した。翔汰が意地悪をされても委縮せずにいられたのは、この二人が側を離れなかったからだろう。待ち合わせ場所に二人の姿を見るまで、心許なげに感じたのも思い違いではなかった。二人が離れる理由が翔汰にはあり、そうなっても、翔汰には二人を責められないというのも理解出来る。葵は笑いに掠れた声で、感心するように二人に言った。 「あんたら、ホント、たまんねぇなぁ」  そこへ翔汰が小走りで戻って来た。自分を抜きにして、葵と二人が仲良くしているのを気にしたのだろう。憧れの先輩も、今の翔汰にはどうでもよくなっていた。 「何?何を楽しそうに話していたの?」  翔汰が声の調子を微かに高めて、怒ったように聞いて来る。幼さを残す顔と釣り合う華奢な体付きで、子供のように癇癪を起こす姿が憎らしい程に可愛らしい。葵は顔を少し下げ、翔汰の目線と自分の目線を繋ぎ合わせた。葵の美貌を目の当たりにして、翔汰が気恥ずかしげに俯くと、笑いながら翔汰の肩に腕を回し、そのあとで答えてやった。 「何ってさ、委員長はいい奴だって話だよ」 「えっ?えぇ?本当に?そんなこと?」  翔汰は照れ臭そうにしていたが、葵の言葉はしっかりと疑っているようだった。肩に腕を回され、葵の匂いと熱が感じ取れるくらいに近付かれたことに赤くなりながらも、下唇を不満げに突き出しているのでわかる。その恥じらいに見せる弱々しさと間違ったことを嫌う強さという不釣り合いな取り合わせが、翔汰なのだとわかって来た。葵はニヤリとし、翔汰の肩に腕を載せたまま、促すようにして歩き出した。 「腹が減ってたまんねぇぞ、早く行こうぜ」  食堂へ向かう四人は、稀有な美貌を持つ葵がいても、別段目立つというでもなく、それでいて仲睦まじい仲間だとわかる程度に、楽しげに声を弾ませながら歩いていた。話題は古い学校に有り勝ちな幽霊話という余り楽しいものではなかったが、葵には十分に笑える話だった。 「これから行く食堂にもあるんだよ」  歴史ある学園というだけあって、幽霊話に事欠(ことか)かないのだろう。田中と井上が声色まで使って話すのを、葵は笑いながら聞いていた。 「事件が起きたのは、僕達のお爺さんの時代でさ、建て替えられる前は木造の建物だったから、そこの梁にネクタイを掛けて、首吊り自殺をした生徒がいたんだよ。上級生との痴話喧嘩が原因だって言われている、噂だけどね」  おどろおどろしい口調で始めた田中のあとを、井上が全く同じ口調で続けて行く。 「前の食堂は古臭くて、昼間でも薄暗かったから、時々、梁に垂れ下がる生徒の幽霊が目撃されていたそうなんだ。新しくなってからは、梁もなくなったし、建物全体も明るくなって、幽霊を見たって話も聞かなくなったんだよ……だけど……」  そこで再び田中が登場する。 「……そう、そんなある日、とっぷり日が暮れてから、食堂に忘れ物を取りに行った生徒がいてさ、そうしたら、聞こえたんだよ、その生徒の恨めしそうな声がさ……眩しいよぉ、眩しいよぉ、梁はどこぉ、どこぉ……ってね」  幽霊話というより笑い話だろうと、葵は咄嗟に二人に言ってやろうとした。しかし、翔汰が真っ青になって震えているのに気付き、ぐっと言葉を飲み込んだ。葵が肩に腕を載せていたせいか、葵の温もりに身をすり寄せて来る翔汰を傷付けてはならない。 「何度聞いても怖い話だよね、だから、僕は暗くなったら絶対に食堂には近付かないんだ。篠原君もそうした方がいいよ」 「おっ、おう……」  葵は笑い出さないよう、頬の裏を噛んで耐えていた。

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