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第一部 16-3

「ロウの店でもしていただろ?あいつら、また覗き見する気か?」  どことなく気難しげな口調の誠司と違い、コウは生で見られることを素直に喜んでいた。 「騒ぎの少し前の画像も全部消しておくってさ、俺達のお楽しみを、ただの人なんかに撮らせてたまるかってね」  リクはコウに頷いていたが、小猿にしか興味がないメイは、中等部の生徒数人に押さえ込まれているのを見て、野獣らしい低い唸り声を出していた。省吾は葵を中心にして出来た騒ぎの輪の(ふち)に立ち、うちに(たぎ)る怒りを隠すことなく、それでいて穏やかな眼差しで、その騒ぎを眺めていた。  省吾がそこにいるだけで、誰もがその存在に目を向ける。完璧な美の輝かしさに惹き付けられ、(いや)が上にも魅了されるのが普通なのだが、今この時は、誰も気に留めないでいる。葵に目が行っているからというだけではなさそうだった。  必要であれば、周囲の状況を感覚で全て見通せる省吾だが、必要としない時にも無意識で働かせられたなら、誰にも気付かれない隙間に身を置けるようだった。あれ程の美貌が不意に目立たなくなるのが不思議でならなかったが、葵が無理なくしていることを理解した瞬間、余りに単純であるからこそ、屈辱にさえ感じる。 「アレに教えられるとは……」  省吾は誰に言うでもなく小声で呟いた。省吾らしくない物言いに、自分でも苦笑してしまうが、不快ではなかった。そのせいか、省吾の変化に誰も気付けないでいる。省吾と溶け合った血に棲むものの気配は、誠司にもそう簡単には感じ取れないようだった。それが省吾を自由にする。守護者である彼らから解放され、彼らとのあいだに(わだかま)っていた疎ましさや寂しさも消されて行く。  その時、小猿が仲間二匹と〝篠原君に何かしたら許さないぞっ〟と、声を揃えて叫んだ。それを見て、メイが両手の指先を叩き合わせて大喜びしている。 「ね?カワイイでしょう?」  メイの子供っぽさの裏には脅迫があり、コウとリクは仕方なさそうに同意していた。メイを恐れない誠司は苦り切った表情で、ふんと鼻を鳴らして馬鹿にしている。全てが省吾を思って人らしくするという彼らの気持ちの表れだった。省吾は彼らの気遣いを(いと)おしみ、それでいて必要としなくなった彼らの優しさを心の中で軽く笑った。  省吾のその笑いは、シュッという空気を切り裂く鋭い音に同調する。省吾は葵に覆い被さっていた生徒が床に吹き飛ばされるのを眺め、心の中で、さらに大きく笑っていた。  何が起きたのかは、騒ぎを取り巻く生徒の誰にもわかっていない。しかし、省吾には見えていた。誠司達四人にも、厨房から覗き見ている彼らにも見えていたはずだった。  人の目では追えない程の素早さで、葵はさっと重心を落とし、体を回転させながらその生徒の脇腹を拳で一気に突き上げていた。その一撃で、生徒を床に吹き飛ばしていたのだった。自分に何が起きたかもわからないまま、呆然とする生徒の胸倉を掴み、爪先立たせたのは圧巻だった。 「二度と俺に、それとあの三人にも構うんじゃねぇぞ、わかったな」  葵の全てに凄みが利いて、見応えもあったが、葵がそれで生徒を許すかのように放り投げたのは、省吾には認められないことだった。 「それで終わりかい?」  省吾は多少の楽しさと多大な腹立たしさを声音に浮かべ、足を前へと踏み出して、騒ぎの輪の中心へと歩いて行った。 「イベントと聞かされて、期待していたのに、こんなものなのかな?」  葵に向かって話していたが、片手をズボンのポケットに突っ込んで、床に放られた生徒にゆるゆると近付いて行く。生徒が起き上がろうとするのを見ると、肩を蹴り飛ばし、その足で強く生徒の喉元を踏み付けた。葵に緩やかに微笑んだあとで、気品に溢れた美しい顔をきつく引き締め、下を向く。物柔らかな口調は変えず、お茶でもどうかと誘うような和やかさで、踏み付けている生徒に尋ねていた。 「君が企画したの?このクソみたいなイベントを?」  生徒がうっと呻くと、省吾は少しだけ表情を柔らかくしてから続けた。 「ああ、そうだったね?俺の足が君の喉を塞いでいたよ。だけど、外すつもりはないからね、君もじっとしていた方がいいと思う。そうしないと、大変なことになる。君には答えて欲しいんだよね、だから、苦しくても我慢してくれるかな?」 「ご……ごめんなさい」  誰もが息を凝らして見守っている。水を打ったように静まった食堂には、省吾の物柔らかに響く伸びやかな声と、生徒の痛みに軋んだ哀れな声だけが響いていた。 「悪いとは思ってくれているんだね?だけど、俺が聞いたことには答えていないよね?」  生徒が喉を詰まらせ、苦しげに咳き込んでも、省吾は構わず踏み付ける。 「ゆる……して」  涙を流して懇願されようが、省吾の態度が変わることはない。誰に何を言われようが、求めるものが得られるまでは同じことだった。 「蜂谷さぁ……」  わざとらしく間延びした呼び掛けは、葵の声だった。見た目の割に案外と低いその声に、静まり返っていた食堂がざわめき出す。省吾に平気で話し掛けられることもだが、〝蜂谷〟と、名字で親しげに呼び掛けたことに衝撃を受けているようだった。 「……あんた、ホント、最低だな?」  人の世の誰にも省吾を止めることは出来ないのだが、昨日の出会いによって、当てはまらない者が一人だけ存在することになった。省吾はその一人に応えて、優雅な仕草で顔を向けた。比類ない美貌が苛立つように歪んでいるのには、重い溜め息を悲しげに漏らす。 「そう?おまえも知りたくない?誰がこんな馬鹿げたイベントを企画したのか?」  物悲しさを演出していようが、省吾は明らかに楽しんでいた。葵にもそうあって欲しいのだが、威厳に満ちた美しさを歪ませ、省吾に食って掛かるのだから残念としか言いようがない。 「誰がしたなんて、知ったところで、意味ねぇだろっ」 「どうしてかな?」 「てめぇの仲間が、ここまで痛め付けられてんのに、助けようともしないんだぞ。そんな臆病者が誰かなんて、知る必要あんのか?そんな奴より、あんたにそこまでされても言おうとしない、そのにやけ野郎の方がよっぽど根性あるよな?」  食堂のざわめきがより大きくなった。葵に知る必要がないと切って捨てられた名前が、皮肉なことに、ざわめきの中に囁かれ始めている。

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