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第二部 18-4 (終)
「それなら、二人して何をした?」
「また何を言い出すんです?麻美は女ですよ、僕は男の仕事に女はかかわらせない」
「香月の孫にしか興味はないか?あれの親は、おまえには因縁の相手だからな」
「恵理子のことですか?それとも……まぁ、いいでしょう」
弘人はドアの取っ手に手を掛けた。ドアを開ける前に、見せ掛けの同情心に声を曇らせてから話を続けている。
「本当に気の毒なことだ。事故で両親共に亡くしたとはね。ですが、勘違いしないでもらいたい。僕は子供には興味はないですよ。子供なんて、つまらないですからね、あらゆる意味で。しいて言えば、裏切りには寛容ではない、そんなところですか……」
「子供はすぐに大人になる」
「わかっています。大人になってからのが、人生は長いということも。焦らずとも、時間はたっぷりとある。それを忘れては損です。お父さんには、おわかりでしょう?ですが、僕は回りくどいのは苦手ですかね」
剛造は息子の自慢げな口調に、わざと答えなかった。軽薄な怪物が語ることに、答える気にはならない。『血の契り』を知らないが為の慢心が、剛造にはおかしかった。弘人は父親の裏をかいたと鼻高々のようだが、出入りの者に金を掴ませて、書斎の棚を漁 らせたのは承知している。剛造は弘人が知ったところで、何が出来ると甘く見ていたことを悔やむだけだった。
自ら犯した間違いを認めるのは心苦しいものだが、そこに気付けば、答えも自ずと見えて来る。剛造の許しも得ずに、してはならないことに手を染めた息子に腹を立てる程、剛造は優しくはなかった。
弘人は本物の力というものを感じたことがない。なまじ血に棲むものを体に宿していたせいで、弘人を不完全なまま大人にしてしまったようだ。完全なる力を知っていれば、次の世代にそれを渡しても不安にはならない。弘人は自分の力を誇示し、証明することで、その力の強さを確かめ続けている。剛造に認めさせたい。その一念でだろう。香月家に男子が誕生しなかった時点で、弘人が蜂谷家に値しない者だと理解するべきだったのかもしれない。
繁栄を約束する『血の契り』には、嫡子を必要とする。それには結婚しなくてはならない。尚嗣も剛造と同じ年に結婚していた。尚嗣の嫁は溌剌とした美しい娘ではあったが、尚嗣に女が愛せるはずはない。自分がそうであったように、父親に逆らえずにしたことだと、剛造はそう信じていた。
結婚して二年程は、剛造の思った通りに、人前でも背を向け合うような夫婦だった。それが妊娠が発覚する少し前から、幸せそうに笑い合う仲睦まじい二人の姿を目にするようになっていた。邪魔者というのは、油断した時に現れるものらしい。それも俊作同様に、自ら消え失せてくれている。尚嗣の嫁は病に倒れ、幼い娘を残して亡くなった。その後、尚嗣が独身を通していることで、剛造は自分が感じたことの正しさを確信していた。
剛造の結婚生活は、尚嗣とは全く異 なる。小柄で物静かな娘であったせいか、いつも剛造の陰に隠れているようなところがあった。弘人が生まれてからは自分の世界に浸るようになり、間もなくして豪奢な療養所に移し、その後も自分だけの幸せな時間の中で贅沢に暮らしている。血に棲むものを次の代へ送り出す為の器が必要なのだからと、父親が決めた娘との結婚は、破綻していないが、幸せを感じるようなこともなかった。剛造はそれで構わないと思っている。
結婚の翌年に妊娠がわかった時、暫くすれば、尚嗣の嫁も妊娠するだろうと言われていた。『血の契り』で番 う相手は、千年のあいだずっと前後して誕生していたからだ。そして二年後、『血の契り』を終焉させることになった女子が、香月家に生まれたのだった。
剛造は結婚してすぐに、父親の急死で家督を継いでいた。その後の十年余り、尚嗣が家督を継ぐまでは、尚嗣の父親と両家の関係を話し合っていた。香月家に二年の差で女子が誕生した時も、弘人に娶 わせることを決めたのは、尚嗣の父親だった。
『血の契り』は不可能になったが、絶対的な栄華が未来永劫、子々孫々へと継承されるのを、この縁組みで約束されたことになる。尚嗣の父親はそう言ったのだ。剛造に異論はなく、娘が大学を卒業したのちに、良い日を選んで正式に発表することを承諾したのだった。尚嗣も父親の決定には従うしかなかった。月日が流れ、正式に婚約を発表した直後に、娘がそれをぶち壊してくれた。
今では、尚嗣が娘の逃走劇にかかわっていたのはわかっている。弘人から逃がす為だけに、長い歴史に培われた香月家の由緒ある威厳を醜聞で汚し、一瞬で地に落とすのにも迷いがなかったのだから、覚悟の程も知れるというものだ。
剛造は弘人を眺め、息子の玩具を掻 っ攫 った娘の大胆さを思うのだった。さすがに尚嗣もそこまで考えていなかったのが、剛造には見抜ける。あの時、尚嗣が見せた驚愕の表情に、嘘はなかった。だから、剛造も騙された。
「それでは失礼します」
弘人がドアを開けて廊下に出た。ドアが完全に閉まったあとで、剛造は椅子を少し動かし、背後の窓から望める庭園に目を遣り、ゆったりと呟いた。
「馬鹿な子だ……」
結局のところ、弘人が喋った内容は、懸念を抱いた剛造が調べさせたことの全てを、認めたも同然だった。弘人と話すまでは、剛造にもまさかと思う親心があった。もう一度、詳しく調べ直させている中で起きた優希の間抜けさもあって、腹立たしさに苛立ったが、愚かな息子と孫の尻拭いをしないと決めたあとでは、少しも腹が立たない。長年のあいだ見えていなかったものに、気付かせてくれた弘人には、ありがたいとさえ思う。
その昔、半世紀以上も前の些細な出来事が、その後の人生を大きく狂わせたのだと、今になって気付いた。泣き叫ぶ声のわざとらしさと、喜びの迸りに体を素直に濡らした俊作の切なげな顔が思い出される。暴力が引き起こす愉悦の時のその僅かな隙間に、俊作が掠れ声で囁いた言葉が剛造の耳に蘇った。
〝アレを……あなたのものにはしない〟
今にして思えば、元から抵抗などなかった気もする。涙に潤んでいながら、その目に一瞬だけ灰色の翳りが浮かび、悲しげだった眼差しが冷たく乾いたようにも思えるからだ。あの瞬間は、屈服させた余韻の味わいに、ただの負け惜しみとしか思えなかったが、弘人と話しているうちに、何かが記憶の奥から呼び覚まされた。あの目、あの雰囲気、何度も見ていながら、気付けなかった。
はっきりとはわからないが、血に棲むもの、すなわち鬼には手下 がいる。どういった形なのか、その方法もわからないが、千年ものあいだ、人として側で仕えていたのだろう。人を思い通りに出来ると信じた力が、そうした者達によって作られていたのだと、わかって来る。
昔を振り返って思うことは、蜂谷に仕える数からすれば、香月にはいないに等しいということだ。それが裏切り者なのかどうかを確かめる為にも、疎遠になった孫と、一度ゆっくり話さなくてはならない。
剛造は無駄にした時間を思い、笑えたが、尚嗣もそれは同じだと思うと、気持ちも晴れる。
「児島俊作……」
昔馴染みの名前を口にし、ニヤリとする。
「……おまえは今どこにいる?」
香月の孫の側にいるのは確かだろう。既にこの町に来ているのかもしれない。まだ、この町にはいなさそうだとも、剛造には思えた。
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