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第二部 19-2

「ええ、ええ、そうですわ。村で同い年は聡と葵の二人だけでね、どこへ行くにも一緒で、二人してやんちゃばかりしておりましたよ」  又吉はからからと笑い、肉付きのいい大きな体を揺らしながら楽しげに話を繋げた。 「そんなでしたから、あの事故以来、聡と来たら、葵、葵とうるさいのなんの、挙げ句、〝俺も葵と同じ学校に行く〟なんて言い出しまして、そんなのは無理だと言い聞かせたのですが、よくよく考えてみますと、聡も来年は高校受験ですし、中学は無理でも、高校ならなんとか通わせられるかもしれないと思いましてね。ですが、わしらには、こちらのことはさっぱりです。『鳳盟学園』というんですかね、聡が入れそうな学校かどうか、児島さんに聞いてみたんですが、この町を離れて久しいですし、学力レベルやらなんやら、はっきりしたことはわからないと言われまして、それで香月さんにどんな具合かを、お願いがてら聞きに来た訳ですよ」 「高校をこちらに?」 「ええ、金のことは大丈夫です。わしらの村も随分と余裕が出来ましたからね、香月さんには感謝しております、本当にありがたいことですわ」 「こちらこそ、挨拶もないままに、葵を引き取ってしまいました。不義理だとは思いながら、連絡もせずに、お恥ずかしい限りです」 「そう気になさらずに。葬式は内々で済ますというのは、児島さんから聞いておりました。それで遠慮したんです。ですがね、失礼だとは思ったんですが、聡のことを頼むのを理由に、香月さんに不意打ちをさせてもらいました。葵がちゃんと暮らせているのか、わしら村のもんも気に掛けておりましたからね。香月さんとこうして話せましたし、村のもんにも心配せんでもいいと伝えられます。亜樹と恵理子の墓には、日を改めて参らせてもらいますよ」 「そうでしたか……」  尚嗣は恵理子にはこの町とのかかわりをなくし、山間の村で残りの人生を穏やかに過ごして欲しいと思っていた。それが二年後に、一緒に逃げたこの町の男と結婚すると連絡して来た。当然、尚嗣は反対した。葵を生むと決めた時にも、思いとどまるよう諭していた。  亜樹という青年に、不満があったのではない。血に棲むものとの忌まわしい繋がりを、完全に断ち切りたかっただけのことだ。香月家に女子が誕生したことで、『血の契り』は出来なくなったが、血に棲むものが消えてなくなった訳ではない。蜂谷家に〝印を持つ者〟が生まれたとしても、安心出来なかった。亜樹という青年がこの町の男であることが、尚嗣には不安でならなかった。  恵理子が頑固で前向きなだけでなく、一途で楽天的なのは母親譲りだ。尚嗣が背を向けていたにもかかわらず、意地になってその理由を聞き出し、衝撃的な話にも逃げ出さず、抱き締めてくれた心の広い女の娘は、やはり簡単には引き下がらなかった。  この町で生まれ育った恵理子は、この町の中にある大切なものを捨てられないと言った。捨て去るのには、納得の行く理由が必要だと続けた。尚嗣は恵理子に『血の契り』にまつわる秘密を話して聞かせた。  恵理子は自分の体に何が宿っているかを知っても、不思議そうな顔をしただけで、否定するようなことを言わなかった。尚嗣が気付かないでいた何かを理解したように頷いていた。女であることを意識し、女の自分には血に棲むものを次の世代に送り込めないと思っていたようでもあった。恵理子は大丈夫だと言って結婚し、葵を生んだ。 「……そうでしたか」  尚嗣は妻を思い、娘を思いながら、言葉を繰り返していた。 「ですが、墓に関しては、恵理子だけを香月家の納骨堂に納めました。父親の骨は寺に預けたままです。夫婦別々にしてありますが、それは葵にも認めさせました」 「そんな……また、どうして?あんなに仲の良かった二人を離してあるんですか?亜樹は命懸けで恵理子を助けようとしたのに……」  一人で逃げたはずの恵理子が、亜樹という青年と一緒だと知った時の驚きは、尚嗣には今も忘れられない。皮肉なことに、尚嗣の驚愕ぶりに、駆け落ち騒ぎが真実味を帯び、尚嗣が計画したことだとは誰も疑わなかった。それでも少しして恵理子から連絡があった時には、生まれて初めて娘を怒鳴り付けていた。 〝何を考えている!その男が何者か知っているのか!〟 〝お父様、私はあの子を……亜樹君を置いて行けなかったの〟  恵理子がそう言って連れて逃げた男の最期は、尚嗣も知っていることだ。あれ程の美貌で生まれた為に玩具にされた人生を、恵理子が立て直した男の最期に、心を動かされてもいる。だからこそ、二人が残した葵を守らなくてはならない。 「成人したら、葵の好きにしていいということで、それまでは私と取引した形で、父親の骨を寺に預けさせました」 「それでは香月さんが憎まれるだけでしょうに?事情があるのはわかっておりますがね、ジジイなんて、孫に甘えられたら、そりゃあ嬉しいもんで……」  寂しげに微笑んだ尚嗣に、気が引けたのだろう。尚嗣の考えが理解出来ないとしても、差し出がましいことを言ったと思ったようだ。又吉は気まずそうに俯いたが、その時、運よく、重苦しい空気を吹き飛ばすように、又吉の携帯がけたたましい音を響かせてくれた。 「あっと、すみませんね、聡からですわ」  又吉は上着のポケットから携帯を取り出し、又吉らしい明るさで話を元に戻している。 「言い忘れておりましたが、聡も一緒に来ているんですわ。期待させてもと思って、息子夫婦と相談して内緒にしてあったんですが、どこで知ったのか、こっそり付いて来ていたんです。学校に行っている隙にと思っていたのに、いつの間にか家に戻って、制服も着替えて、わしが出掛けるのを待っていたんですからね、本当に利かん気な子で、困ったもんです。わし一人なら、帰りが明日になっても構わんのですが、孫がいることですし、早めに帰ろうと思いましてね。香月さんには慌ただしく見えるでしょうが、そんな事情でして……」  又吉は鳴り続ける携帯を親の(かたき)のように睨み、いざ勝負とばかりの勢いで、通話ボタンをぐいっと押した。しっかり聞こうと耳に強く押し当て、相手の調子に合わせて声を大きくして話し出している。 「ああ?なにっ?葵に会えんかったって?おまえ、どこにいるんだ?」  携帯の向こうから響く少年らしい声が、〝爺ちゃん、爺ちゃん〟と、又吉の大声に負けじと声を張り上げているのが漏れ聞こえて来る。 「ああ、ああ、わかった。無理せんと戻って来い。高校のことはちゃんと頼んだから、心配せんでもいい、列車の時間があるからな、ああ、ああ……えっ?なんだって?絡まれただぁ?」  又吉の口調が厳しくなり、孫を心配しているのがわかるが、呆れているようにも見える。 「ちゃんとやっつけただと?倍もある大男だったのにか?まぁ、兎に角、すぐに戻って来い。おまえも香月さんに挨拶したいんだろう?ああ、ああ、わかった、わかった」  又吉はふうっと大きく溜め息を吐き、電話を切った。尚嗣に苦笑してみせ、携帯を上着のポケットにしまう。 「道に迷うだけだから、やめろと言ったんですが、本当に利かん気な子で、どうしようもない。わしがここで話しているあいだに、葵の学校を見に行くと言って、こちらの駅に着いても降りようとしなくてね。まだ下校時間には早いだろうと言ったんですが、〝葵なら絶対に気付く、外まで出て来るはずだ〟なんて、馬鹿なことを言いましてね」  又吉は上着のポケットを叩きながら、さすがに疲れた口調で続けていた。 「携帯もこの町で使えるのに買い替えさせられました。田舎じゃあ、大して役にも立たないのにね。ですが、ここだとなんだか色々出来ると、列車の中でそれを眺めて喜んでおりましたわ。若いもんは慣れるのも早いですな、それで携帯に案内してもらえそうだと言って、止めるのも聞かずに……」  そこで何か思い出したように、情けない顔で、くしゃっと笑う。 「葵と連絡が付かなくなった時の騒ぎといったら、そりゃもう大嵐でしたわ、ハハハハ……」

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