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第二部 19-3

 又吉が孫を猫可愛がりしているのは、利かん気な子と何度も言いながら、我がままを許しているのでわかる。尚嗣には羨ましくもあったが、又吉の話から、知らずにいた葵の子供の頃の姿が垣間見えたようで、嬉しくもあった。 「鶴木さんは聡君には勝てないようですね?葵も同じでしたか?聡君には勝てなかった?」 「いいえ、わしと違って、葵にはそりゃあ素直でしたよ。聡は喧嘩っ(ぱや)い子なんですが、葵には絶対に手を出さない。聡もそこそこイケるんですけどね、葵には敵わない。葵は全くもって強いですよ、近隣の村の悪たれどもみんな、高校生だろうとお構いなしに、ぶちのめしておりましたからね」 「葵……が?」  尚嗣の驚きがおかしかったのだろう。又吉は誰を相手にしているかも忘れ、男というものは、そうした時期を()て大人になるのだと、もっともらしいことを言い、楽しそうに笑っている。 「あの頃は本当にどうなるかと思ったくらいに荒れておりましてね、亜樹も恵理子も、そりゃあ心配していたんですよ。ですが、二人とも、でんと構えて見守っておりました。それが良かったのかはわかりませんが、半年くらいして急に落ち着いて……って、香月さんを前にしてこんな話、いやぁ、申し訳ない」  見るからに品のいい尚嗣には刺激が強過ぎる話だったと、今更ながらに気付いたようだ。又吉は尚嗣の唖然とした顔に、照れ臭そうに頭をかいた。 「あっと……そうでした、聡のことでしたな。生まれた時から側にいるせいか、葵にはもうべったりでしたわ。お陰で、こちらにお願いに来る羽目になりました」 「そうですか、それで……」  尚嗣の驚きは、又吉の思いとは少し違った。尚嗣は『鳳盟学園』に編入させる際に取り寄せた調査書の内容を思っていたのだった。調査書には品行方正で成績優秀、運動能力にも優れていると記載されていたが、葵をこちらに引き取ってからの様子そのもので、疑問に思うようなことはなかった。荒れた時期のことは、一切書かれていなかった。  それよりも尚嗣が心配したのは、部屋に閉じこもってゲームばかりしていたことだった。今時の子だと思い、気にしないようにしたが、無断欠席を咎めた時に見せた突然の変貌には、対処の仕方もわからず、気持ちが沈んだ。自分から距離を置いているというのに、激しい言葉を投げ付けられたのが辛く思えた。 〝あんたには関係ねぇだろっ、身内だからって、うだうだ言うんじゃねぇっ〟  その激しさに込められたものは、尚嗣への拒絶ではなかった。あれは葵が()を見せてくれた瞬間だったのだと知る。  尚嗣は今朝の吉乃の話を思い出した。話を聞いた時には、不安な思いに(さいな)まれたが、葵が蜂谷の孫とどういった関係を持ったにしても、葵が葵らしくあれば、好きにはさせないような気がする。又吉の孫がそれを助けてくれるのかもしれない。尚嗣は成り行きに任せてみようと思うのだった。 「わかりました、聡君の調査書を送って下されば、私から紹介しましょう。うまく行くようなら、中学からこちらに来られてもよろしいですし、住居もこちらで用意しますよ」 「おお、ありがたい。これで聡も落ち着きます。本当に利かん気な子で、村のもんも、この一月(ひとつき)、毎日、悪夢でしたからね。ですが、うまく行かなくてもお気になさらずに。孫にも、そこんところはちゃんとわからせます」  心から安堵した又吉に、尚嗣は微笑んだ。いい変化が起きそうだと、尚嗣もほっとする。その穏やかな空間に、突如、少年らしい少し低めのそそけ立っているような声が響いた。 「爺ちゃん!」  その声はエントランスホールに響き渡った。活気に溢れた声の勢いのままに、痩せ気味でも、バランス良くすらりと伸びた手足を持つ少年が飛び込んで来る。一陣の風がぱっと吹き込んだかのように現れた少年に、又吉以外、そこにいた大人達全員が驚きに息を呑んだのは、一様に同じ思いからだろう。  最初は少女と誰もが思ったはずだ。花のようなという例えが当てはまるくらいの美少女だと、誰もが思っていただろう。それにしては丸みを感じさせない。それどころか骨張っている。美少女ではなく、美少女にも勝る美少年だとわかった瞬間、吉乃もコンシェルジュも、尚嗣までもが驚きに目を見張った。葵を連れて来た時にも同様の驚きはあったが、葵には恐怖にも似た驚きを見せていたように思う。少年に対しては、純粋にその愛らしさに驚かされている。  プルオーバーパーカーに、だぼだぼなカーゴパンツ、履き古したスニーカーを見れば、誰も少女とは思わないものだ。それが花のような愛らしさに惑わされてしまった。又吉の孫は、葵とは対照的な美を有する、途轍もなく可愛い顔立ちの美少年だった。葵の美貌が侵しがたい冷徹さと見るのなら、少年の愛らしさは、手折(たお)りたくなる程の可憐さと言えるのだった。 「爺ちゃん、この町、すげぇ面白いぞ」  そう言いながら、少年は又吉の隣にちょこんと座る。 「葵の学校の駅に着いてさ、スマホを見ながら、どっちに行けばいいのかなって、きょろきょろしてたら、知らねぇ奴らが、声、掛けて来るし、これ……名刺っての、渡されて……」  パーカーのポケットから取り出された名刺は、モデルクラブらしい会社名の記されたものや、名前と連絡先だけの怪しげなものなど、テーブルに小さな山を作るくらいの枚数があった。 「いらねっても、くれるからさ」  その駅は、『鳳盟学園』に通う生徒の為に作られたものだった。かつては学園しか望めなかった地域も、長い年月のうちに整備が進み、閑静な住宅地として広がりを見せている。駅周辺に限れば、最近の再開発によって、若者向けの店が立ち並ぶお洒落な街として話題を集めてもいた。  駅前通りも、早朝時には大半が登校する学園の生徒だが、昼前辺りから人通りも増え、下校時には他校の生徒まで寄り集まって来る。夜に掛けては、若者を狙った大人達も動き出し、雑多な人で騒がしくなる。少年が着いた時間は、まさに賑わいを見せ始めた頃だった。

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