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第二部 20-3
藤野があの洋館を欲しがったのが省吾の為だったと気付いたのは、『鳳盟学園』への入学が許されるよう話を付けに来ていた時だった。蜂谷家の体面を重んじ、優希の入学の際には、莫大な寄付を用意すると言った藤野を眺めながら、嫌みなことをすると心の中で思っていたものだ。弘人はそこに腹を立てるが、剛造はそこを楽しんでいたのだった。
「やはり、省吾の方から来させなくてはな……」
剛造は秘書を呼び、藤野がオフィスにいるのを確かめさせた。今から出向くと伝えさせ、車の手配を命じた。意外な行動は周りを戸惑わせるものだ。藤野でもそこは同じだろう。オフィスに着くまでの時間、藤野を悩ませてやれると思うと、出掛けるのも苦にはならない。
藤野を並々ならぬ金持ちへと成長させたのは、剛造が支配権を持つ遊興施設の経営管理会社の代表に就かせたのが始まりだった。そこからあとのことは、藤野個人の手腕によるものだが、弘人が進める再開発事業に加わらせたのは、それとは関係のない話だった。裏と呼ばれたその場所が藤野の地元であったことと、そこが尚嗣の土地であったことが理由だった。
世上の噂も卑しい者達が寄り集まって出来た街であり、歓楽街へと発展させたのも、藤野の先祖とその仲間だ。蜂谷家に仕える者達も出入りしているようだが、使用人同士の付き合いというより、その街の者達が作り上げた複雑な情報網を重く見ているからだろう。
香月の歴代の当主がその土地から彼らを追い出さなかったのは、そこに理由があった。遊びの裏には情報が付いて回ると理解していたのだ。酒を潤滑油にして、色と欲が交錯すれば口も軽くなる。あの街は香月家の保護地として栄えた場所だ。現代の法律では、尚嗣の個人所有と言われるだけのことで、中身は何も変わっていない。
その土地を巡っての駆け引きに、藤野をかかわらせたのが、弘人には許せないでいる。藤野が魔法のように金を増やすのは、優れた才覚の持ち主だからだが、それを利用すればいいものを、弘人は反発している。息子を支えようともせず、藤野ばかりを贔屓していると思い込んでいる。
剛造が幾ら言っても、弘人が聞こうとしなかったのだが、『血の契り』の本質を知り得なかった弘人とは、どうしても話がうまく噛み合わなかった。弘人は頼るべき相手を間違え、馬鹿な真似をしたが、それについて藤野は何も言って来ない。蜂谷家の守護者達が動き、調べたことだ。剛造にその尻拭いをするつもりはない。弘人に切り抜けられるのか、眺めていようと思っている。
そういった弘人と、表立って対立しない分別が藤野にはあった。駅前の一等地の高層ビルにオフィスを構える弘人を刺激しないよう、藤野は駅から外れた場所にある五階建てのビルの二階にオフィスを構えた。先の大戦前に建てられたビルは古びているが、曾祖父の時代を彷彿とさせる外観には歴史的価値を感じさせる。エレベーターも手動式という趣のあるものだった。
剛造の趣味からすれば、藤野のオフィスの方が落ち着くが、弘人にそれを伝えたことはない。弘人を蜂谷家の代表に就任させた頃から、言うだけ無駄と好きにさせていた。この町には〝印〟がある。この町が弘人好みに様変わりしようが、繁栄は約束されている。町の姿など、歴史の流れの一つであり、時代が移れば、また変わるだろう。それを弘人に理解させることは出来なかった。
剛造は通りに車を待たせたまま、一人で手動式のエレベーターに乗り、二階で降りて藤野のオフィスに向かった。ドアの取っ手を回して中に入ると、従者の一人も連れずに現れた剛造に、藤野の秘書が驚いた顔をして見せたが、すぐに礼儀を思い出し、立ち上がる。藤野へは内線を使って到着を知らせていた。藤野はさっと仕切りのドアを開け、剛造の突飛な行動を疑問に思ったとしても、おくびにも出さず、にこやかな顔で出迎えていた。
剛造が紹介し、藤野も会員になった店のオーダースーツは、五十代後半でありながらもスタイルの良い藤野を、高級感漂う大人の男にしている。剛造は当然のようにハンドメイドのフルオーダースーツだが、如何 せん、年齢的に負けるのは仕方のないことだった。しかし、藤野のこの色気を保たせるのは、若い嫁のせいかもしれないとも思うのだった。
剛造は藤野が四十を前に、大学を卒業したての娘と結婚したことを思い出した。それまでは自由気ままに浮き名を流していたが、結婚後は全く聞かない。省吾と同い年の息子がいることも思い出し、何もかもが省吾を引き取る為の巣作りだったとわかって来る。
藤野は礼儀正しく挨拶をし、剛造がソファに腰掛けるのを待って、向かいに座った。そうしながら、にこやかな顔を少しも崩さずに言った。
「お呼び頂ければ、私の方から伺いましたのに」
「年を取って、出歩くのを面倒に思っていては、引きこもりになりそうだからな」
「会長は私よりもお元気ではありませんか」
弘人を代表に就任させてから、藤野は剛造を会長と呼ぶ。他の者達もそれにならって呼んでいるが、藤野のすることなすことに難癖を付ける弘人は、単なる呼び名も気に入らない。剛造を会長と呼ぶことで、代表など大した地位ではないと、藤野に言われているような気がしているのだろう。代表に就こうが、全財産の支配権は未だ剛造にあり、弘人が好きに出来るものはない。蜂谷家の金蔵を満たす男と呼ばれる藤野が増やすのも、剛造のものに限っていた。
「いいや、年には勝てないぞ。ああ、そうだ、年といえば……」
剛造は部屋に入った時から、藤野の様子を見守っていた。お茶出しは必要ない、藤野と二人きりにするようにと言った胸のうちで、よくもこれ程に長いあいだ騙してくれたものだと、腹立たしいながらも感心していたのだった。
「おまえが私のところに来たのは、クロキの先代の紹介だったな。生まれたばかりの妹を抱えて困っている、助けてやってくれないかと頼まれたぞ。高校進学も諦めて働こうとしていたおまえを、使って欲しいということだった。私も三十手前で若かったが、家督を継いでいたこともあり、おまえの面倒を引き受けた」
昔話をする為だけに立ち寄ったと、藤野が信じたとは思えないが、藤野のにこやかさに変化はなかった。
「会長には本当に、深く感謝しております……」
藤野はその本来の恐ろしさを優しげな雰囲気でもって和らげ、安心感を誘う柔らかさで話し続けていた。
「……放浪癖のあった父親が、突然、妹を連れて戻って来た時は驚きました。前の年に母を亡くし、学業も諦めるしかないと思っていたところに、生まれて間もない妹を渡されて、どうしたらいいのか、途方に暮れておりましたが、それを会長が救って下さいました」
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