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第二部 21-1

「よお」  穏やかに響く野太い声に、誠司はふんと荒い鼻息で答えた。面倒臭そうな態度を見せても、これといって特徴のない顔が嬉しそうに綻びる。 「サキ……」  誠司は口元を歪めて、目の前の大男を馬鹿にしたように見遣った。少し前に届いたメールを思い、嘲りを込めた口調で続ける。 「……俺だけ先に出て来いだと?余程の理由なんだろうな?」 「ああ、俺が寂しくてたまらないっていう、壮大な理由だぜ」  千年以上も昔のことになる。誠司という肉体が存在する現代を、思いもしない頃のことだ。サキを眺めていると、遥か遠い昔のことが、人らしく、誠司の心に懐かしさでもって思い浮かんで来る。  眷属として生み出された彼らは、主人が放つ揺るぎない光によって、個々に表れた意志の力も高められて行った。彼らの意志は主人が放つ光に向かい、肉体という命の制限を持たず、輝きに満ち満ちて、喜びに溢れていた。そのうちに、いつしか、強くなり過ぎた意志を、自らの力で、二つに分けたものまで現れた。  人の世に混じって暮らすようになってからも、分かれた意志は別々の人を選んで寄生し、他のものにはない独特の繋がりを持つようになった。主人を守る為に、その側で人らしく生きる長い年月の中で、二つに分かれた意志は、片割れを、人の言葉を使って半身(はんみ)と呼ぶようになった。  元は一つであったせいか、人としても密接に繋がり合っている。他人であっても、姿かたちが酷似し、性質にも大きな違いが見られない。双子のように息を合わせ、二人だけで意志の共鳴を常にしている。それとは逆に、別々に寄生し続けたことで、それぞれの意志が個性を強くし、人の様子にも違いが見られるものがいる。そうしたものは、個々の意志で好きに動くようになっていたが、それでも惹かれ合う意志の力は消えないでいる。 「寂しいだぁ?」  誠司は苛立たしげに言葉を返し、ニヤニヤするサキをきつく睨んだ。 「クソったれがっ」  何かに付けて、サキに半身であると匂わせられて頭に来ていた。冗談に付き合うつもりがないと態度に示したところで、サキには無駄だとわかっている。わかっていても、サキの遣りたいようにさせるしかないのが腹立たしくてならないのだ。  誠司は父親とオオノのようになりたくなかった。二人が半身であることを理解するのと、サキとそういった関係であると認めることは、別の問題だった。省吾には一心同体と話したが、父親とオオノのように、サキと嗜好を一つにするのは到底無理だと思っている。思惑と気分で、男だろうが女だろうが、好みの顔なら平気で誘惑出来るような男と、一心同体になれる訳がない。  誠司はサキに思わせぶりなことをされようが、気付かないふりをしていた。省吾は気付いているのかもしれないが、何も言われないのだから、誠司も知らないふりを通している。省吾の為と、人らしくしていることの利点だが、こうしてサキと二人で立つと、周囲の空気が微妙に振動するのを止められない。共鳴する気もないのに、微かに肌が粟立つのが、誠司にも感じ取れていた。  誠司はそうした空気を無視し、サキを突き放すようにして言った。 「てめぇの台詞は、いちいち気色(わり)ぃんだよっ」 「威張り腐ったジジイみたいな門の前で、俺が一人で立っていたら、目立つってもんだろ?俺にだって羞恥心ってのはあるんだぜ」 「ふん、アレが起こした食堂での騒ぎを覗き見したからだろうがっ、それで、のこのこ遣って来やがった。お預けなんて、おまえに出来やしないからな」  誠司はほんの少し視線を上げて、サキのこれといって特徴のない顔を見る。僅かな背丈の違いは、幼い頃から喧嘩の種にしていたが、サキの顔を見ると、どうしても頭の先に目が行く。殴り合いなら絶対に勝つという自負心がなければ、今頃はサキの顔に拳を食らわせているだろう。 「サキ、おまえ、自分が受験生だってのを忘れてんじゃねぇのか?」  誠司は自分も成長したものだと思いながら、大人のような落ち着きで、サキの立場へと話題を振った。 「学校を抜け出そうが、問題にさせない自信があんのかよ?」  利用価値を認めた人への扱いに、文句を言うつもりはない。誠司も必要であれば平気でする。サキの場合は趣味にして楽しんでいるきらいがあり、誠司はそこを心配していたのだった。 「おまえの言いなりだとしても、バカにしてっと、しっぺ返しを食らうぞ」 「相変わらず手厳しいな。だけど、愛するおまえの忠告は大切にしないとな」 「あ……い……って、てめぇ、まだ寝ぼけてんのかっ」  大人の誠司はここまでだった。 「そういう気色悪ぃことを、真顔で言うんじゃねぇってんだろっ」  サキが門柱にもたれて待っていたのは、エントランスホールを出たところで気付いていた。石畳を歩いて校門に向かっているあいだも、柱に隠れて見えなかったが、サキの大きな体がそこにあるのはわかっていた。仲間内の共鳴でも匂いでもない。半身だけに起こることだと、サキが見せ付けるようにしていたのが、誠司にはわかっていた。 「おまえが惚れてんのは省吾だろうがっ」 「どっちをより愛しているかなんて、聞かないでくれよ。それとも、俺を試してんのか?」 「バカがっ、おまえの遊び相手じゃねぇんだぞ、そんなクソみたいなこと、するかっ」  誠司が側にいると、サキの口調は気さくで軽いものになる。幾ら顔を顰めようが、上機嫌で誠司に絡んで来る。悔しいのは、サキがさり気なく顔を上向け、昔を懐かしんだ誠司の思いと繋がるように、視線を遥か遠くの空へと流して見せたことだった。 「それで、昼、何を話していた?」 「おまえはそういう野郎だよ、なんだかんだうまいことを言っても、ちゃんと自分の目的がある」  その通りというように、サキがこれといって特徴のない顔を、満面の笑みに崩した。ナギの純真さを見るようなこの笑顔に、人はころりと騙される。大柄で怖そうな雰囲気が一変し、無垢な子供を思わせる。サキの笑顔に〝胸キュン〟したという、間抜けな話を何度も聞かされているが、誠司にはアホらしい話でしかなかった。  今もそうだ。仲間全員に遮断されていては、テーブルでの会話を知ることは出来ない。サキが気にするのは、そういうところだ。知りたいと思ったことは、隅々まで知っておかないと気が済まない。そういう(たち)の悪い男を相手に、〝胸キュン〟する人の気持ちが誠司には理解出来なかった。  誠司は長い付き合いだからこその我慢で、(あき)れたように答えた。 「厨房の奴らがデザートを出して来たからな、食堂中が大騒ぎだったし、俺達のテーブルでもそれしか話題にならなかった。リクが夏に向けての試作品だって言ってたな。あいつのとこの店が、何種類か、あちこちで試食させてるらしい。だけど、こっちは野郎ばっかりなのに、なんで、ああも甘いもん好きが多いんだ?どいつもこいつも、どれにするかで、もめてやがった……」  そこでふと、誠司の頭に、メイがやたらと気に入ったクラス委員長の小猿のことが浮かんだ。その小猿が原因で、メイが壊れたのだ。篠原葵というクソ生意気な美人が、面白おかしく煽るようなことをしたからだが、クソ生意気なだけあって、省吾の気持ちを逆撫でしたとは、(ちり)程も思っていない。  省吾は正直、甘いものに興味はない。嫌いというのではないが、付き合いで食べているだけだと、誠司は知っている。だからこそ、仲間は省吾に最初の一品(ひとしな)を選んで欲しいと思っていた。そうすれば、あとは好きに奪い合いを始められる。それをクソ生意気な美人が、自分の思うように変えしまった。 〝おおっ、これ、うまそうじゃん。委員長、これにしろよ〟  確かに、クソ生意気な美人がさっと手を伸ばしたのは、他のに比べて一番美味しそうに見えた。省吾に譲ることで、諦めが付くという仲間の思いが透けて見えていたくらいにだ。それをクソ生意気な美人は省吾にではなく、小猿の委員長に手渡したのだった。 〝えぇっ、僕がもらっていいの?〟 〝誰も手ぇ、出さねぇんだ、気にすんな〟 〝うん、篠原君、僕、嬉しいよ〟  ニコッと笑って食い意地の張った小猿が美味しそうに頬張るのを、省吾がひややかな眼差しで見ていたことは、誰にも気付かれずに済んでいる。クソ生意気な美人に出し抜かれたと思ったメイが、子供っぽい癇癪で訳のわからないことをキーキー喚いてくれたからだ。  欲しいものは苦もなく手にする省吾が、そのちんちくりんな猿の委員長には、あからさまに嫉妬をする。それも今回は、興味もないデザートをもらえなかったことでだ。慣れない感情に、省吾も戸惑っているのだろうが、省吾の嫉妬がこれ程に鬱陶しいとは思わなかった。意志の強さもあって、もっとあっさりしていると、誠司は思っていたのだった。

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