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第二部 21-2

 省吾の嫉妬に振り回されたくはない。省吾の望みを叶えることが喜びだとしても、誠司のものではない昔の記憶が、後味(あとあじ)の悪さを思い起こさせる。誠司はサキ一人くらい味方にしないと発狂しそうな気がした。それで久保翔汰という小猿のことをサキに教えた。省吾がメイに約束させたことは無理だという誠司の意見に、サキが頷くのを見て、胸のうちでほっとする。 「だろ?コウとリクが賭けを始めやがったから、今頃はロウにも話が回ってるだろうな。おまえにも連絡が行ってんじゃねぇのか?」 「まだ来てないけど……」  サキの声が、これもまた賭けていそうだというように悩ましげに響く。 「……多分、おまえから聞かせたかったんだろうな、俺がおまえと同じ側に賭けるのはわかってるのに」 「ふんっ、勝負となれば、俺なんて軽く裏切るくせによ。だがな、もし俺の負けとなったら、どうなる?あの小猿はただの人だぞ。面倒ったらねぇよな?」 「メイもそこら辺はうまくやるさ」 「あいつは浮き世離れし過ぎてるんだよ」 「それも仕方ないんじゃないのか?この年で、一生遊んで暮らせるくらいの金持ちなんだからさ」  メイの父親は、希少な地下資源に恵まれた広大な国土を統治する王族の一人だった。技術の進歩で地下資源の採掘が可能になると、それまでの狩猟民族らしい原始的な生活から、機械化された近代的な暮らしへと、一躍変化を遂げた国でもある。メイの父親は七番目か八番目かの王位継承権を持ち、豊かさを享受する時代に生まれていたが、まだまだ諸外国に比肩するとは言い難いとして、国の発展に熱心に取り組んでいる。  その父親がこの町を視察に来た際に、町から通訳を頼まれたのが、メイの母親だった。貿易商の父親の影響で、少数言語に精通していたからだ。その母親が『淑芳女学園』に通っていた時に、〝少数言語研究会〟というクラブを立ち上げていたことは、余り知られていない。誠司の母親の真理とは同級で、メイの母親がこのクラブに引き入れたのだった。  大層な名前の割に、〝少数言語研究会〟は、これといった活動をしていない。仲間内の茶会クラブでしかなく、その後の後輩達も、メイの母親達が残した伝統を守り続けている。真理がお菓子作りに執着する原因となった忌まわしいクラブということだ。つまりメイの母親は、この町の男達には怪しげな組織に映る『淑芳聖女会』の一員であり、恵理子派といのは言うまでもない。  メイの父親は教養があり、通訳は必要なかったが、この町に来て自国の言葉に触れられたことには、感動しきりだったと言われている。それが縁で見染められ、メイの母親は三人まで妻が持てる国の第三夫人となって、王国へと渡ったのだった。  『淑芳聖女会』の一員で恵理子派と聞くだけで、平穏な結婚生活ではないと言われても、誠司には頷けてしまえる。突拍子もないことを仕出かしそうなのは、幾らも想像出来ることだった。メイの母親は(あん)にたがわず、信じ難いことをしたのだった。  メイを身ごもったのに気付くと、夫には内緒にして、一人でこの町に帰って来てしまったのだ。慌てたのは夫で、すぐに連れ戻しに来たが、メイの母親は首を横に振り続け、離婚をも口にした。国際問題にもなりそうなところを、王族である夫が国の代表としての役職のもと、この町に定期的に通うことで騒ぎを収めた。  メイの母親は、森に囲まれた自然豊かな国で贅沢に暮らすより、恵理子教団の信者である友達と楽しく暮らす方を選んだ。夫であるメイの父親は妻の我がままを聞き入れたものの、旅行中であるかのように、妻と息子にはホテルのスイートルームで暮らさせた。王族の誇りからだそうだが、妻に家を持たせることは、離別を意味する国には仕方ないことのようだった。  懐妊に関しても、一族のあいだでは疑う者もいたそうだが、メイが生まれると、彼らの特徴的な肌の色にそうした声も掻き消えた。メイは王族として迎えられ、それと同時に莫大な財産を授けられた。王国で成人と認められる十五歳になった時から、それを自由に遣うことが出来る。二年前、メイは屋敷町のマンションの最上階(ペントハウス)を手に入れ、生まれた時からの世話役を連れてそのマンションに移った。  この世話役は、父親の一族が送って寄越した者で、メイをグズグズに甘やかしたのが、この世話役の男だった。成人し、独立したのだからと、王国から使用人を呼び寄せてからは、さらに拍車が掛かっている。  子供っぽい口調のカワイイもの好き程度なら、誰も気にしない。欲しいとなったら容赦しないだけでなく、飽きるとポイと捨てて、気に入らないと爪を立ててぐちゃぐちゃに壊すのも平気となると、気にしないではいられない。その世話役は、王子たる者に許されたことだと言うのだが、こちらには省吾がいる。省吾のせいでメイの行動が混乱の極みに達しているとは、世話役にわかるはずはない。  そういった諸々のことが、誠司の気分を重苦しいものにする。 「メイの何が良くて、意識の共有が出来たのか、俺には未だに謎だぞ」 「権威の絶対さと狩猟本能の凶暴さが合わさったようなもんだろ?メイには他にも何か奇抜(きばつ)なものが入り込んでるみたいだけど、案外、俺達もそんなもんかもな?あのガキっぽい喋りは、なんとかしてもらいたいけどさ」  人でも物でも扱いが雑で、野獣のように食い散らかすメイを、厄介だと思いながらも付き合えるのは、サキの言う通りだからだろう。そう理解しても、納得出来ないこともある。 「省吾が帰りを一緒にと、アレを誘ったもんだから、面倒なことになった」  誠司は思い出しても腹が立つと、憤然とした口調で続けていた。   「食堂ん時みたいに、アレがまた小猿を利用しやがったんだよ、小猿と帰るつもりだってな。小猿も最初は可愛げのあることを言ったぜ、委員会があるから待たせることになる、だから先に帰ってくれってな。それをメイのクソが、いい顔をしようとして、みんなで委員会が終わるのを待つと言いやがった。それだって、断れば済む話なのに、小猿のバカが……」  そこで誠司なりに翔汰を真似て、事の次第を話して行く。 「……僕、委員会の時は、田中君にも井上君にも先に帰ってもらっていたんです、いつも一人で帰っていたから、篠原君に、あっ……とぉ、せ……せん……にも、待っていてもらえるなんて、夢みたいです、メイ先輩、僕、凄く嬉しいです……って調子で、笑い掛けるもんだから、メイの野郎、昇天しちまいやがって……」 「その、せ……せん……ってなんだよ?」  サキの面食らった顔に、話している誠司も恥ずかしくなった。ふいと横向き、気持ちを宥めてから答えた。 「省吾のことさ、先輩ってな。小猿のバカは省吾のことになると、憧れが過ぎて、まともに話せなくなるんだよ。ったく、アレに小猿を取られまいと必死になり過ぎて、壊れちまったメイのせいで、俺達まで待たされることになった」 「おいおい、その小猿君、メイの扱いに()けてないか?賭けに負けそうだな?」  クソ生意気な美人が現れてからというもの、むかつき続けている誠司をからかうように、サキが朗らかに笑った。しかし、つと笑いを途切れさせたのを、誠司は聞き付けた。改めてサキの顔をじっくりと眺め、そのあとで、サキの顎を指先で掴んでくいっと横に動かす。 「なんだ、これは?」  サキの唇が端のところで、気付けないくらいに小さく切れていた。誠司はそれを確かめてから、サキの顎を放るようにして指を離した。ふっと鼻先で笑い、意外なものを見て、軽くなった気分のままに言う。 「おまえのアホ面を殴れるような奴が、俺以外にもいたとはな?」 「ああ?やっぱり切れていたか?しみるとは思ってたんだけどねぇ……」 「顔だけ見てたせいで、殴られたのか?」  サキが余りに楽しそうだったことで、誠司は事情を察し、笑いながら続けた。 「今度のは、とんだ跳ねっ返りみたいだな?」

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