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第三部 22-2
〝何をしている、早く来い〟
省吾の言い方は、偉ぶって鼻に付くものだった。
翔汰に学園を案内されていた時には、ゴロツキどもの頭 だと思ったものだが、あの時、翔汰が否定したように、直接知ってからは、ガラの悪い連中と思った彼らのことも、省吾の子供の頃からの遊び仲間でしかないのがわかった。だから変だと、葵は思う。
仲間が我先 に走り寄って行く必要がどこにある。省吾も有り触れたことのように、顔色一つ変えていない。大男だけが焦っているように見えた。そこにいた全員が省吾の言葉に即座に従ったことを、気にしているように思えてならない。
大男の焦りが手に取るようにわかることも、葵には奇妙に思えた。気のせいというには生々し過ぎる感覚だが、騒ぎ立てるより、省吾の仲間に交じって、おとなしくすることにした。その方が見えて来ることも多い。
翔汰を除いた全員が息も乱さず、何食わぬ顔で省吾の側に立っている。翔汰はメイに無理やり走らされたせいで、くたっとしていたが、楽しそうだった。田中と井上は、いつものように揃って翔汰の側に寄って行く。メイに睨み付けられても、二人は知らん顔で翔汰を真ん中にして並んで立った。メイが下がらざるを得ないのがおかしかった。
「鈴木と山田も、ただもんじゃねぇな」
葵は小声で呟き、ニヤリとした。田中と井上というのが正しいことは、翔汰に口を酸っぱくして言われたことで、きちんと理解している。食堂から中等部の校舎に戻るあいだに、葵限定のあだ名としてなら構わないと、二人の方から提案されたのだが、どう言われようが、葵には二人が鈴木と山田であることに間違いはない。
〝そんなの、僕……〟
翔汰には不満のようだった。二人が葵の特別に思えて、焼き餅を焼いたのかもしれない。
〝鈴木君と山田君なんて、僕、そんな名前で呼べないよ〟
〝俺が委員長を委員長と呼ぶようなもんさ、それも俺からすりゃあ、あだ名みたいなもんだしな〟
葵に言われ、翔汰はあだ名なら仕方がないと、葵が二人を鈴木と山田と呼ぶのを、渋々ながら認めていた。
葵はその時のことを思い出しながら、仲良し三人組から弾 き出されるものかと、翔汰の背中にぴたりと張り付くメイを眺めた。田中と井上は軽い溜め息を揃って吐き、僅かに見詰め合ったあと、同時に頷き、メイ諸共に引き受けることにしたようだった。
省吾のもとへ走らされたことには納得出来ないままだが、田中と井上を見ているだけで、どうでも良くなる。不意に大男に目の前に立たれても、余裕で見上げられたのは、二人のお陰というところだろう。
「おいっ」
葵は省吾に向けて声を掛け、聳えるようにして立つ大男に頭を振り、笑うように言った。
「こいつ、何?」
「そいつは、サキ……」
省吾が柔らかに答え、葵の笑いにも笑顔を返していた。その笑顔の何を恐れたのか、大男がぞっとしたような顔を見せている。省吾に何を言われるのか、戦々恐々としたようだが、省吾は極々普通に大男を紹介していた。
「……昨日会ったナギの従兄弟だよ」
「ナギって……あんたに坊ちゃんって呼ぶなって叱られても、坊ちゃん坊ちゃんって連呼して、あんたを負かした奴だよな?」
〝坊ちゃん〟が禁句だというのは、昨日のナギとの遣り取りでわかっている。葵は〝顎を外すぞ〟と言った時の省吾の本気を知るからこそ、意地悪く口にしたのだった。省吾が顔付きを変えても、それを気にするような葵ではない。周りは真っ青になっていたが、葵には関係ないことだ。省吾が不機嫌になれば、葵は楽しくなる。省吾の機嫌がいいのは、葵には面白くない。それで思い出した。
「あんたらさ……」
駅のロッカーで待たされていた時の苛立ちと一緒に、女子高校生が話していた〝噂の六人〟のことを思い出す。葵は目の前に聳えたままのサキを眺め直し、この大男があの場にいなかった六番目だと気付いた。
「……有名なんだよな?」
「省吾が……だろ?」
サキの声は野太く、男らしい響きだった。それが小憎らしい。
「俺は噂の六人って聞いたぜ」
六人と一括 りにしながらも、サキだけが他の五人と、見た目が異なるのは確かだった。女子高校生が県立の生徒だと話していたが、一人だけ学ランを着ているからというのが理由ではない。他の五人は省吾を筆頭に、見るからに華やかだ。かわい子ちゃんの厳つさでさえ、スタイルの良さと相まって目を引く。しかし、大男のサキにはそうしたものが感じられなかった。
並外れた体格に気圧 されはしても、華やかさはない。従兄弟のナギによく似た顔にしても、醜くはないが印象にも残らない。華やかな仲間と同列に、六番目の男として数に含められているのを疑問に感じた。そう思って眺めていると、これといって特徴のない顔が笑いに綻び、味わい深い優しさが、それが本物かどうかは別として、そこに表れる。
「へぇ……」
葵は心持ち目に冷たさを漂わせて、威圧的な背丈のサキを見上げた。
「あんたさ、たらしだろ?」
「そうはっきり言われたのは、初めてだよ。だけど、人の本能だろ?俺はそれを刺激してあげてるだけさ、みんな、楽しんでくれてるし……ね」
言い終わる間際 にシュッと音がして、サキがはっと息を吐く間に、葵の拳がサキの鼻先ぎりぎりのところに届いていた。身長差で拳の威力が弱まることはない。それがサキにはわかっている。サキはこれといって特徴のない顔を引き締め、並みの色男よりもハンサムなその顔を葵の前に現した。
葵はこういった場面では珍しく、にこりとし、サキに向けていた視線をさり気なく横へと流した。
「だよな?楽しんでんのなら……文句はねぇよな?」
葵の視線の先にいたのは、メイだった。メイは葵の眼差しに、一瞬の間、体をぴくっと震わせた。すぐに翔汰の首に腕を回して、苦しいとむずかる翔汰を引きずり、力業 で強引に駅に向かって歩き出している。田中と井上が同じ歩調で、二人をあいだに挟んで歩くのは当然としても、コウとリクまでが、そそくさと彼らの後ろに続いて行ったのは許し難い。
「みんなして逃げやがって」
葵は拳を下ろし、彼らを追うような気分で歩き出した。呆気 に取られたのは、サキだ。その場に打ち捨てられたように立ち竦 んでいる。
「俺をダシに使ったのか?」
「マジに聞いてんのか?」
葵はサキの独り言と知りながらも、立ち止まりもせずに答えていた。
「気に入らねぇのなら、いつでも相手になんぞ」
サキには初めての経験だったようだ。体格的に相手を怖がらせるのは無理のないことだが、引き締めた時に見せたハンサムぶりからして、これといって特徴のない顔をうまく利用しているのが葵にもわかる。初対面の相手から、ここまで好戦的に出られたのが信じられないのかもしれない。
「それで、俺みたいなたらしは、お気に召さないのか?」
「たらしなんて、どうでもいい。あんたも他の連中とおんなじ、蜂谷の知り合い、それだけさ。胡散臭い野郎ばっかりだけどな、嫌いじゃないぜ」
サキが葵の言葉に戸惑い、省吾へと問うような視線を向けたのだろう。省吾の物柔らかな口調がそれを伝える。
「甘くみていた?」
その声にちらりと振り向くと、省吾が上質な美を思わせる微笑みを悠々と浮かべ、葵を追って鷹揚に歩き出したのを見る。省吾に誘われたように、サキも大きな体をおっとりと動かしていた。
「それ程は……」
「おまえが普段遊んでいるのとは違う。間違っても手を出すな」
「……ああ、肝に銘じておくよ」
省吾とサキは二人して、葵のすぐ後ろを並んで歩き、葵にも聞かせようとするかのように、のんびりと話していた。子供か、それとも女か―――そうした扱いで、葵のことを話していたのだ。
「ふざけやがって、クソがっ」
サキが葵の悪態を聞き付けたようで、心底楽しそうな笑い声を響かせる。葵は顔を顰め、二人から離れるつもりで、前の集団に加わろうと足を速めていた。
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