102 / 154
第三部 24-3
リクが特別バージョンで人気のケーキを運んで来なければ、葵はずっと翔汰を巡っての遣り取りを楽しんでいただろう。胡散臭かろうが、食べ盛りの男達に変わりない。腹の足しになるものを前にして、黙って眺めていろというのは酷な話だ。全員で我先 に手を出し、大きめに切り分けられたケーキを、あっという間に平らげていた。すぐにケーキをおかわりして、コーラだのジュースだのも、気遣いは無用と、瓶ごと運ばせていた。
たらふく食べて飲んで満足し、店を出た時には、夕闇が迫っていた。駅前の通りがさらに賑やかになり、田舎育ちの葵には辟易する人出だったが、大男のサキが盾になり、大して気にならずに歩けていた。上級生の三人も大柄で目立っていたせいか、彼らの後ろを歩く下級生達は陰に隠れて楽なものだった。葵は田中と井上と並んで歩き、少し前に出て、ガイドのように話す翔汰の『鳳盟学園駅前の歴史』に耳を傾けていた。
駅に着き、改札を抜けて列車に乗り、葵は一番最初に降りるのが自分だと知った時、妙な寂しさを感じていた。この町を地元だと思えて来た証拠だと、葵にもわかる。
「鈴木と山田は、同じ駅だろ?」
全てが揃っている二人なのだから、同時に頷かれても驚きはしない。田中と井上以外は、翔汰も含めて屋敷町の駅で降りるが、二人はその一つ向こうの駅だと答えていた。そうこうしているあいだに、葵が降りる駅に列車が到着した。
「じゃぁな」
「篠原君、あとで日曜の予定、メールするね」
マイナーでオタクものという割に、スマホで確認すると、この日曜日は予約で一杯だとわかった。脳味噌や内臓がぶちまけられるシーンがリアルで一見の価値ありと、話題になっているそうだ。PG12で、心臓の弱い方はご遠慮下さいと、注意事項まで書かれてあった。
〝それなら次の日曜にしようか?〟
それを言ったのは、翔汰だった。真っ青になっていたのも忘れて、世話好きらしくスマホを取り出し、全員が揃うカフェで予定を決めようとしていたのだ。田中と井上はまさかの人気に戸惑っていたが、翔汰の気持ちが変わらないうちにと、さっと素早く頷いていた。それをメイがどうにかしてみせると言い出したのだった。
〝大丈夫だよ、翔汰。俺、そこの支配人とは知り合いなんだ。席のことは俺に任せてよ〟
〝だけど、僕と篠原君と田中君と井上君だから、四人分だよ、そんなの、悪いよ〟
メイは翔汰に断られ、我がままを聞いてもらえなかった子供のように膨れていたが、何を思ったのか、突然、恥ずかしそうにくねくねし始めた。仲間の男達にはいつものことのようで、ただ呆れ返っていたが、田中と井上は早く観られるのなら、メイの思惑には頓着しない。二人して期待に顔を輝かせていた。
〝メイ先輩、それにね……〟
翔汰が考えを変えてくれるかもしれない。二人はそれを期待したのだろう。翔汰の説教が始まると、揃って諦めの溜め息を漏らしていた。
〝……ずるしちゃダメだよ、みんな、ちゃんと予約してるんだから、僕達もそうしなきゃね。僕がちゃんと五人分の予約を入れておくよ〟
〝くぅぅん、五人なの?五人でも大丈夫だよ、俺、用意出来る〟
メイは情けない調子で甘えるように話していたが、翔汰にきっぱりと首を横に振られると、その目をキラリと怪しげに煌めかせていた。ちゃっかり自分をメンバーに加えさせたのはさすがだが、他にも何か下心がありそうな目付きには注意が必要だ。
〝やらせてやりゃぁいいさ〟
メイの思いをはっきりさせようと、葵は馬鹿にするような物言いで続けた。
〝口だけだろ、どうせ出来やしねぇよ〟
〝俺を誰だと思っている〟
瞬時に答えたメイの口調は、子供っぽさを少しも感じさせない大人の喋りだった。あとで知ったことだが、王族の威信に懸けてということだったらしい。あの時の葵には、大仰 だとしか思えなかった。
〝翔汰、待ってな、五人なんて、しみったれたことは言わない。劇場ごと、翔汰にプレゼントしてやるからな〟
これがメイの本性だ。翔汰が目を丸くしていたのが痛快だった。とはいえ、三つ巴の気色悪い映画には付き合わなくてはならなくなった。この展開を喜んだのは、田中と井上の二人だけだった。
「篠原君……」
カフェでのことを思っていると、葵の耳に翔汰の声が楽しげに響いた。
「……メール、既読にしたあと、ちゃんと返信してよ。なんかさ、篠原君って、ものぐさなところ、ありそうだもん」
「うっせぇ、委員長が世話好き過ぎんだよ。それに、俺はやるときゃ、やるぞ」
葵は捻くれた笑いに顔を歪め、翔汰に見抜かれていたのを悔しがった。省吾程ではない。それが葵の中での反論だった。その時、列車のドアが閉まった。葵は既に歩き出していたが、窓越しに手を振る翔汰を感覚で捉え、背を向けたままで軽く振り返していた。それにしても、学園に編入して四日後に、こうした会話が出来るようになるとは、不思議なものだと思っていた。
食堂での騒ぎのあと、翔汰と田中と井上とは連絡先を交換していた。省吾とは未だにしていない。ケーキが縁で、省吾の仲間とも交換したとなると、これはもう、計画的にしているとしか思えなかった。葵にも意地がある。省吾から言い出すまで放っておくことにした。駆け引きの一つということだ。
〝浮気するなよ〟
不意に、カフェの店先で囁かれた言葉が頭に浮かび、葵は省吾からマウントを取るつもりが、取られっぱなしだと気付いた。悔しいが、省吾に我が物扱いされている。それなら、未だに連絡先を教えないのは、どういう訳か―――。
「なぁ?あんたはどう思う?」
葵は声を大きくして話した。振り返る必要はなかった。後ろを歩く大男に、聞こえているのはわかっている。
「あいつ、連絡先、なんで俺には教えない?」
大男のサキは忍び足で完全に気配を消していたが、葵には無駄なことだ。列車のドアが閉まる間際に、音もなく降りたサキの空気を震わす微かな匂いと動きが感じ取れていた。背を向けて歩き出していた葵に気付かれないようにしていたことも、しっかりと見えていた。
「やはり省吾と同じなんだな、君も感覚が鋭い」
「あんたみたいにでかい奴、そうはいない、誰でも気付くさ。感覚なんて持ち出して、あんた、俺を間抜けにしたいのか?」
葵の問い掛けを軽く無視して、話をすり替えようとしたサキのわざとらしさが鼻に付く。葵もわざとサキの言葉を取り違えて、話を継いでいた。
「そんなことより、俺の質問に答えろよ」
葵はホームを出て、改札へと階段を下りたところで振り向き、サキの大きな体を視界に入れた。途中、何人かとすれ違ったが、誰も彼も、サキの大柄で居丈高 な雰囲気に恐れをなし、避けるように横にずれて遣り過ごしている。葵にはそれが憎らしくもあった。
ともだちにシェアしよう!