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第三部 27-1

 薄暗いダンスフロアに煌めく光が、揺れ動く人の波に色鮮やかなうねりを浮かばせる。音と光にその身を捧げる十代の少年少女が、瑞々しい体をくねらせ、飛び上がり、上気した熱に溶け入るように夢中で踊り狂っている。  それなりの年齢に達した大人達が楽しむバーカウンターには誰もいない。バーテンダーもフロアボーイも暇そうにしている。激しい熱の迸りに酔い痴れる十代の少年少女には、大人達が必要とする安らぎは無用なものだ。テーブル席で休もうとしても、見知らぬ誰かに誘われ、手を引かれ、すぐにまた踊り出す。時間を惜しみ、今が全てと体を弾ませ、刹那的に過ぎ行く興奮を余すところなく味わっている。  そうした中、VIP専用の二階席には、荒れ狂う音の洪水さえ遠くに感じさせる穏やかさがあった。 「店からのサービスです」  ハンサムなフロアボーイが媚びるように言い、細長いフルート型のシャンパングラスをテーブルに置く。ノンアルコールの高級スパークリングワインが、仄暗い中、ほんの少し(わび)しさを見せながら煌めく光に映えている。  フロアボーイが物柔らかな声を期待したのなら、残念だっただろう。スパークリングワインの煌めきが物寂しげに見えたように、ソファに座る優美な男にはフロアボーイの声が聞こえていない。誰をも魅了する秀逸な美しさが、ハンサムなフロアボーイへと向かうことはなかった。 「あの……」  フロアボーイが声を大きくした。音と光が生み出す喧騒が邪魔をして、気付かれなかったと思ったようだ。男の関心を引き寄せようと、誘うような甘さで声を掛け、悩ましげな視線を送っている。男の興味が、ダンスフロアで仲間と一緒に踊り狂う美貌の少年にしかないとは、思ってもいない。 「おい、省吾」  苛立たしげな響きが、男の気を引く。省吾と呼び捨てる尊大で男らしい掠れ声には、フロアボーイが振り向かせられなかった男も動いた。誰をも魅了する優美な男―――省吾はその秀逸な顔を微かに歪めて、隣に座る従兄弟の誠司を面倒臭そうに眺めた。 「なに?」 「そいつ、おまえの返事を聞くまで、居座る気だぞ」  省吾は嫌みな口調の誠司に眉根を寄せる。省吾には誠司の言葉の意味が理解出来なかった。 「なっ……?」  言い掛けて気付いた。誠司の嫌みにかっと顔を赤くしたフロアボーイの跪く姿を目にしたからだ。その時になって、初めて目の前に置かれたシャンパングラスに視線を向ける。省吾は美貌の少年に見入っていたのをからかわれたとわかり、誠司をきつく睨み付けたが、フロアボーイへと声を返した時には、誰もが知る優美さに戻していた。 「……ありがとう」  物柔らかな口調に陶然とするフロアボーイには、何かを嗅ぎ取らせたがっているような雰囲気があった。そこに表される(なま)めかしさに、省吾は過去に何度か、一時(ひととき)の戯れのあと、同じ言葉を返していたのを思い出した。 〝……ありがとう〟  フロアボーイのハンサムな顔は記憶にない。それを言えば、過去の誰一人として覚えていないが、しなだれ掛かりたそうなフロアボーイには、苛立ちしか感じなかった。  省吾の優しげで上品な美しさに、そうした思いがあると気付けるのは、隣に座る誠司だけだろう。ふっと鼻先で笑った誠司が、新たな嫌みを言い出す前に、省吾は心持ち焦るような口調で続けていた。 「感謝していたと伝えてくれるかな?」  フロアボーイは寂しげに笑ったが、素直に頷いた。階段を下りて行く後ろ姿には、省吾の視線を意識する思いが見えている。たおやかで、なおかつ妖艶な輪郭を望ませ、余韻に浸らせようというのだろう。ダンスフロアで踊り狂う十代の目にはハンサムとしか映らないものも、大人達には蠱惑的なものとして映し出される。フロアボーイには引きも切らない誘いに膨らんだ自惚れがあるのだろうが、省吾の視線が彼に向くことはない。入れ替わるようにして階段を上る大男にあった。  大男はこの場を仕切る自信を漂わせ、周囲に自分が何者であるかを確かめさせながら鷹揚に歩いている。至極色(しごくいろ)のシルクシャツに同系色のゆったりめのパンツ、足元も黒色のホールカットのプレーントゥという飾り気のない装いをしている。腕時計もジュエリーも見当たらず、それがかえって男臭さを際立たせていた。  全体を黒でまとめているのは省吾も同じだが、省吾には(まばゆ)いばかりの華やかさがあった。仄暗い中においても輝きを失わず、気品を感じさせる。大男は漆黒の闇をまとうかのようだった。その闇に酔わせ、誘い込もうという妖しさを匂わせている。 「サキ、今のはわざとか?」  幼い頃からの付き合いでは、たらしと言われるサキの妖しい魅力も通じない。省吾はむかつく思いのままに声を荒らげ、大男のサキに向かって顔を顰めた。省吾の不機嫌にむくれた顔さえ称賛するかのように、サキは野太い声を明るくして答えている。 「あいつには自慢なんだよ、省吾の相手をしたってのがね」 「俺の記憶にないことで自慢されても困る」  サキは低く楽しげに笑い、誠司はふんと馬鹿にしたように鼻を鳴らした。サキは誠司の厳つい顔を愛おしげに見詰めたあと、テーブルを回り込んでソファに近付き、誠司と二人で省吾を挟むような位置に緩やかに座った。 「一緒に踊ったらどうだ?」  誠司の半身らしく、サキまでが省吾をからかい始める。その手のことでからかわれるのが我慢ならないとわかっていながら、サキはダンスフロアで軽快に踊る美貌の少年を顎で指し、その比類ない美しさに微笑んでいたのだった。

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