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第三部 27-2 (終)
省吾はサキの誘い掛けに腹を立てていたが、むくれたままで静かにしていた。サキが顎で指した美貌の少年―――葵とのことを、ここであれこれ話したくはない。休み前に、葵の世話を任せたあの日、二人だけになった僅かな時間に何を話したのか、サキは省吾に問わせたがっている。嫉妬する省吾を眺めて楽しもうというのだろう。サキの相手をすれば、恥をかくだけだ。そう思って、省吾は答えないでいた。
〝愛している〟
思い出しても、恥ずかしさに体が熱くなる。ほんの数時間前に、生まれて初めて口にした言葉は、省吾をも驚かせた。映画館のロビーチェアーに座って、挨拶か何かのようにさらりと言えるとは、自分でも信じられない。恥ずかしさはあっても惨めさがないのは、葵が喜んだのを感じ取れていたからだ。
〝あ、あ……あ……?〟
少しばかりふざけているが、葵らしい返しだと思った。ニヤニヤ笑いにしても、同じようなものだ。全くもってふざけているが、その後も気負いのない葵自身でいてくれる。それでも、省吾は正直な気持ちを口にしてしまったことには、今更ながら悔やんでいた。映画館を出てからというもの、こちらをちらりと見る葵の目付きに気付くたびに、〝俺のこと、愛してんだよな〟と、面白おかしく言う声を感じてならないからだ。
葵はこましゃくれた子供と同じだ。生意気で小賢しい。悲しいことに、それも省吾には可愛くて仕方がない。腹が立って追い遣りたくなるのに、肩を抱いてずっと触れていたくなる。
そういった甘々で哀れな男をさらしたつもりはなかったが、既に誠司にはからかわれている。誠司の態度は、血に棲むものと融合してからの方が人らしいと笑っているようだった。
これでは半身のサキもからかいたくなるだろう。サキを無視したのは、薄々気付かれていることへの反発だった。誠司が省吾に代わって馬鹿にした口調でサキへと問い返したのも、そこら辺りが理由だとわかる。
「クソ生意気な美人と一緒に踊れだ?」
誠司は省吾の為に運ばれたシャンパングラスを手を取り、ノンアルコールのスパークリングワインを一口、口に含んで味わったあとで続けた。
「そんなことをしてみろ、このバカ騒ぎが修羅場になる、クロキのオヤジにどやされっぞ」
「まぁな……」
サキも省吾を飛び越して誠司に向かって言葉を返した。神妙な口ぶりになっているのは、誠司に言われてクロキの恐ろしげな顔を思い浮かべたからだろう。
「……急なことなのに、省吾が来るってだけで、この騒ぎだからな」
「アルコールもなしに、ここまで騒げるなんて、ったく、ガキってのは元気なもんだ」
「誠司、おまえ、最近、ジジ臭くなってないか?」
省吾をあいだにして、誠司とサキが憎まれ口を叩き合うのは、いつものことだ。二人で好きに遣り合えばいい。その隙に、省吾は再び視線を葵へと戻していた。
省吾に誠司にサキ―――優美さと厳つさと巨大さは相容れないように思えるが、彼らが持つ強烈な個性には互いへの愛があり、対立することはない。周囲を圧倒するような迫力を生むとしても、コウやリクやメイがいることで、彼らが醸す威圧感も薄められている。人らしくあるには、優しいと言われるような人当たりの良さも大切にしなくてはならない。そのコウとリクとメイの三人は、ダンスフロアで葵と一緒に踊っていた。そこには翔汰と双子もどきもいて、その三人だけは準備運動にしか見えない動きをしていた。
「だけど、あれ……」
サキが葵を軽く指して、戸惑うように言葉を繋げた。
「……美人さんの格好、田舎のはやりか?」
サキが困惑するのは、省吾にも理解出来る。血に棲むものとその眷属である彼らは、主人の近くに仕える者程、人の世の基準で見ると、いつの時代も金の掛かった粋な装いを好んでいる。暗灰色のスウェットの上下にビーチサンダル、海外コミックのキャラクター付きのTシャツは、彼らには異質なものなのだ。本来は大人達が集う洒落たクラブを意識して、それなりに着飾った少年少女の中においても、風変わりと言える。
「あんなもん……」
サキに答える誠司の口調には、馬鹿にしたところはない。むしろ楽しんでいるようだった。
「元からクソ生意気な美人の好みさ、奇 をてらったんでもない。だけど……」
誠司は葵と向かい合わせで踊る小柄な翔汰を指して続けた。
「……あの小猿には負けてるぞ」
白シャツの襟にたっぷり付いたフリルが、翔汰の小さな顔の下で盛大に揺れている。サスペンダー付きの半ズボンにハイソックス、エナメル革の靴にも、他にはない妙味がある。
「〝すげぇ!〟なんて言いやがってもだ、ヤバ過ぎるってのは思ったんだろ、クソ生意気な美人の間抜け面は、しっかりと拝ませてもらったさ」
誠司の嫌みな言い方の中にも、翔汰を仲間にするしかない諦めのような響きが伴っていた。葵に自分の顔をつまらないものと言われたことも、翔汰のお陰で許せたようだと、省吾は思う。
「葵はあれで……」
省吾の視界には葵がいる。翔汰がすぐ側で踊っている為に、翔汰の姿も視界に入る。葵のリズミカルな動きに合わせて跳躍しているだけだが、見るからに楽しそうだった。翔汰が跳ね上がった時を逃がさず、メイが後ろからすくい上げるようにして抱き上げたのには、省吾も思わず声を出して笑った。
「……葵はあれでいい」
笑いを収めて言い直した省吾に、サキが頷いた。
「だな、こっちも遣りやすかった」
食堂での騒ぎは、優希では旗頭にもならないことをはっきりと見せ付けた。〝はぐれ鬼〟と呼ばれていい気になっていた者達も、次なる手を見付けるまでは、おとなしくするしかない。争いは、戦わずして収束したということだ。
「あの三人、覚えているか?」
サキが楽しそうに話を続ける。
「美人さんに蹴飛ばされた奴らのことさ。あいつらがいい働きをしてくれてね。頼んだ訳でもないのに、美人さんが如何に凄いかを、触れ回ってくれたのさ」
見ると、葵の周りをぐるぐると、その時の三人がうろついていた。踊るのに夢中の葵の目に、中々留めてもらえない。念願が叶って、視線を上げた葵に〝おっ〟という顔をされると、気恥ずかしげに頭を下げていた。葵は彼らに笑い掛け、〝踊れ踊れ〟と煽り立てている。
省吾は自分が関係しないところで、葵にまとわり付こうとする全てのことが面白くない。それがサキには面白くてたまらない。
「あいつらの話を後押しするように、食堂での一件が広まったからな、あとは噂通りかどうか、ご本人にお出まし頂ければ、事は済む」
今日の昼間、剛造との話し合いを終えるとすぐに、サキには連絡を入れていた。機運に乗じて、一気に攻めるつもりのサキを止めようと思ったからだ。休み明けに大人の世界で起きることを、〝はぐれ鬼〟に気取 られてはならないと、省吾は言った。
それならと、サキは即座に十代限定のダンスパーティーを思い付いた。貸切で観られることになった三つ巴の気色悪いゾンビ映画への招待を辞退し、その準備に奔走したのだ。省吾は嫌がったが、サキは〝はぐれ鬼〟を油断させるにも、派手に浮かれ騒いだ方がいいと言い張った。
「ってことで、クロキの伯父さんが許したお子様の時間もそろそろ終わりだな」
サキはVIP専用の二階席の隅に立つスーツ姿の男に手を振った。無表情で階下の騒ぎを眺めていたが、サキの合図には素早く動いた。男が姿を消したあと、暫くしてDJの甲高い声がダンスフロアに響き渡る。
「ラストだぞ!はじけてこうぜ!」
十代の少年少女の叫声が上がる。まだまだ足りないとばかりに、踊り狂う騒ぎが地響きを起こし、風に揺れ動く炎のように空気を震わせた。
――第三部 終わり
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