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第四部 28-1
梅雨が明けた。照り付ける日差しの眩しさに、景色も揺らいで見える。吹き出る汗が、顔や背中を流れ落ちる。熱 せられた空気は、そよ吹く風さえ息苦しいものにする。季節は一気に夏になった。
期末テストが終わって暇なこの時期は、普段に増してかったるい。葵は夏休みまでの一週間を、兎に角、だらだらと遣り過ごすしかないと思っていた。その考えが間違っていたことは、すぐに知った。
田舎では学校をサボり、近隣の村の仲間と連 んで、ショッピングセンターへと繰り出していたものだ。聡が目当てなのはわかり切っていたが、夏休み前の浮かれ気分で集まっていたのも確かだった。生徒数が格段に多い『鳳盟学園』では、様子も違う。授業はもうない。代わりに、創立以来、毎年恒例となっている球技大会が行われる。
運動会でさえ近隣の村々と合同で開催していた田舎を思うと、葵には球技大会そのものが驚異に映る。お堅い学園の生徒らしく、大会に向けての一週間をサボろうという生徒も見当たらない。夏休み前のかったるい日々を真面目に、しかも健康的に過ごすのは、葵にとっても初めてのことだった。
〝このクソ暑い中で?〟
話を聞いた時はそう思った。昔は炎天下の校庭で開かれていたというのだから、驚きしかない。親の世代に、生徒からの強い要望があって、体育館での開催へと変更されていた。尚嗣のような祖父の世代は、軟弱だと嘆いているそうだが、聞くふりだけして、誰も本気で耳を傾けない。葵も今では、遠足前の子供のように楽しみにしていた。
生徒の自主性を尊重するという学園だけあって、球技大会は生徒会主催ということだった。クラスによるリーグ戦で、中等部、高等部の枠を越えて戦う。バレーボールとバスケットボールのどちらかに参加し、各競技、十二クラスで優勝を目指す。設立から十年程は学園の指導のもと、中等部、高等部、別々にバレーボールのみで競っていたが、生徒会主催に変えた頃から、枠を越えて戦う今の形にしたのだった。
競技のクラス分けは、参加希望の多い方を抽選にして、抽選から外れたクラスを少ない方へと回す。今年はうまい具合に、中等部、高等部、六クラスずつ十二クラスに分かれた。事前に選手を登録する必要はない。選手でも控えでも応援でも、二十人のクラスメートをどう振り分け、戦うかは、試合ごとにクラスで好きに決めていいことになっている。
面白いのは、優勝クラスの上に〝最強クラス〟と呼ばれる栄誉があることだった。それぞれの競技で優勝したクラスの代表がジャンケンをして、勝ったクラスが本年度の〝最強クラス〟となる。文武に優れているのは当然としても、人生には運の強さも必須という教訓が込められているのだそうだ。
過去に二度、バレーボールで中等部のクラスが優勝した事実が、記録として残っている。しかし、未だかつて、中等部が〝最強クラス〟の栄誉に浴したことはない。運の強さにも、上下の繋がりが影響していそうだが、有り得ない形で編入した葵には、〝だから何?〟という話でしかない。優勝を目指し、運を掴む。それだけだった。
「ジャンケンか……」
葵は今からその時が楽しみでならなかった。一発勝負のジャンケンとなれば、尚更だ。
「……そうだな、委員長なら、イケそうな気がする」
二日を掛けて行われる大会を前に、中等部、高等部、全てのクラスに練習時間が割り当てられている。生徒達はその時間に合わせて、登校すればいいのだが、大会までの一週間、終業式の前日まで、食堂が開いていることもあり、午前中にはほぼ全員が登校して来ている。この時期だけは、昼休みを外した時間でも生徒の使用が許され、その時間には特別にアイスクリームが振る舞われる。生徒達のお堅い態度も、本当のところは、抜け目のなさなのかもしれない。
葵のクラスはバスケットボールに参加を決めていた。葵はその練習の為に、更衣室で体操着に着替えながら、学園の生き字引となりつつある翔汰から、球技大会についての詳しい話を聞いていたのだった。葵は伸ばし続けている髪を、くるんと無造作にまとめ、ヘアゴムで留めてから話を継いだ。
「まずは優勝だな、それは練習でなんとかする。〝最強クラス〟は、委員長の運の強さで決めようぜ」
「そんなの、どっちも無理だよ」
翔汰は体操着の襟ぐりからスポットと頭を出してから答えた。
「高等部の先輩達に勝てやしないもん、体付きが全然違うし、運だって……」
そこで翔汰は声を落とし、周りを憚るようにして続けた。
「……どこが〝最強クラス〟になるか、賭けてるんだ。中等部が勝つなんて、高等部の先輩達が絶対に許さないよ。ジャンケンって、そういうことなんだ。バレーやバスケに強いクラスを当てるなんて、簡単過ぎるってこと。だけど、大穴は許さないんだ」
葵は事情を察して、わかったと頷いた。翔汰に合わせて囁くように言葉を返す。
「賭けは学園には内緒なんだな?」
「うん、窓口があって、そこが作る組織でしてることだから。学園の卒業生の先生もいるけど、見て見ぬふりしてるよ、生徒会もおんなじ。だって、殆どの生徒が参加し……」
「……殆ど?」
賭けのことは、葵には初耳だった。殆どというのなら、葵にも話が回って来るだろう。翔汰が言い忘れるとも思えない。それでつい聞き返してしまったが、翔汰の慌てた様子に、問い詰める必要もないことだとわかった。
「あのね、あの、あの……」
翔汰は嘘が吐けない。葵に隠し事があると、自ら暴露していた。
「そう……そう、そうなんだよ、田中君や井上君みたいに真面目な生徒は参加しないんだ。篠原君も無理しなくていいからね」
つまり、翔汰も去年までは参加していなかったが、今年は既に参加済みということのようだ。葵は賭けと聞いた瞬間から、自分も参加する気満々でいたが、翔汰が慌てた理由を気にして、頷くだけにした。翔汰はごまかせたと安心したのだろう。ほっと息を吐き、学園の裏の歴史を楽しげに語り始めた。
「賭けも創立以来の恒例なんだ。球技大会って言っても、最初の年は一学年で四クラス、それで戦うなんて、つまんないよね。だから、賭けでもするかって話になって、凄く盛り上がったらしいんだ。昔の子供は大人だよね、僕なんて、そんなこと、思い付かないよ。組織まで作るなんてさ。それが始まりで、その後も代々、窓口を任された生徒が、卒業の時に、これと思う生徒に、その地位と権利を譲ってる。卒業生のあいだで、毎年、今年の賭けはどんな風かって、話題になるのは、そのせいみたい。僕のお父さんも、そんな感じ、そわそわし始めてる。生徒だった頃の興奮が忘れられないんだって」
翔汰は父親の興奮した顔でも思ったのか、クスッと笑ってから続けた。
「そんなだから、たまに、卒業生が知り合いの生徒をつついて、絡んで来ることがあるんだ。二年前にも、ジャンケンでずるしたと言って、揉めたんだけど、卒業生がかかわってたからなんだ。ジャンケンの結果に焦ったみたい。卒業生のあいだでは、凄い配当だったらしいから。生徒会なんて真っ青になってた。賭けって言っても、子供の遊び程度のことだもん。窓口はそこら辺の事情、全部知ってたみたい。〝結果に文句を付けるな〟って、藤野先輩がぴしっと言ったら、すぐに収まったからね」
「藤野……?」
翔汰の長々しい話の最後に、省吾の従兄弟のかわい子ちゃんが登場して、葵は納得すると同時に笑った。あの厳つさで睨み付け、上級生をも震え上がらせたようだ。前任の窓口が、従兄弟のかわい子ちゃんにその地位と権利を譲ったというのは、確かめるまでもない。省吾は高見の見物といったところか―――。あの男に、銭勘定 は似合わない。
「ホント、蜂谷の仲間は愉快な連中ばっかりだな」
「そうやって笑ってられるのは、揉めた時のこと、見てないからだよ」
男らしさに憧れる翔汰だが、二年前の今頃は、まだ小学生に近い。昔の子供は大人だと言ったのも、無表情な田中と井上に挟まれて、一人プルプルと震えていたからだろう。その姿が、葵には容易に想像出来るのだった。
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