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第四部 28-4 (終)

 食堂では、騒ぎのあったあの日から、省吾とその仲間のテーブルに着くようになった。翔汰は省吾とのあいだに葵がいることで、暗号にもならず、饒舌ぶりを遺憾なく発揮している。周りを明るくする喋りのせいか、いつ終わるとも知れない話を、誰もが黙って聞いている。嬉々として相槌を打ち、ああだこうだと答えているのは、向こう隣に座るメイだけだった。  門限を過ぎて帰宅した時の騒ぎにも、笑顔で聞いていたのはメイだけだった。〝箱入り息子〟は、省吾やその仲間には珍獣のようなものだ。翔汰のおかしな家族について、既にカフェで聞かされていたコウとリクはそれ程でもなかったが、従兄弟のかわい子ちゃんの厳つい顔が唖然としたのは、葵の目にも見ていて面白かった。  そのかわい子ちゃんと映画館で和解した時、省吾が翔汰のような可愛い男になろうとしていると、嫌がらせのように教えられている。翔汰の話にイラつく省吾に、葵がわざとらしく笑ったのは、可愛さにも格の違いがあるとわかったからだ。  〝箱入り息子〟は、謎と魅力に満ちている。メイが子供っぽい口調で言ったことに、誰も突っ込みを入れなかったのは、希少なものへの賛美かもしれない。 〝今度、俺が翔汰の両親にご挨拶に行くから、門限なんて、気にしなくていいよ〟  何の挨拶に行くつもりでいたのか、聞くのも恐ろしい。翔汰だけが素直にメイに感謝していた。 〝ありがとうございます、メイ先輩。だけど、僕、男の子だもん。自分の力で解決します〟  きりっと言い切った翔汰に、メイはしゅんとしながらも瞳をキラキラさせていた。メイは翔汰が持つ男らしさに参っているようだと、葵はその時に思った。省吾にそれを話した時、何故だか笑われた。葵は胸のうちで〝違うのか?〟と呟いたが、〝気にすんな〟という声も感じた。メイが翔汰を傷付けることはない。それは確かだと、葵には思えた。  翔汰が母親と指切りをした理由が、三つ巴の気色悪いゾンビ映画にあるというのは、そういうことだ。葵に教えれば、気を遣わせる。その点、翔汰は内緒にして、正々堂々と負けた。 〝それでね……〟  葵が一番を取ったのを喜んだ理由は、それとは別の話になる。指切りから始まる話の最後で、葵はやっと知ることが出来た。 〝……追悼会は先輩のお(うち)でやるんだ、本当は藤野先輩のところなんだけど、伯父さんのお家に同居してるからね。そこへ僕が篠原君を連れて行くんだ。今からドキドキだよ。だって、そこらじゅう、先輩の匂いで一杯なんだよ、僕、倒れるんじゃないかって、心配してる〟  葵は行くとは言っていない。元から返事を聞かれていない。それも〝気にすんな〟という胸のうちに広がった声で良しとした。葵も省吾の住まいに興味があったからだが、ドキドキしていたはずの翔汰が、田中と井上を巻き込んで、メイは当然としても、コウとリクまで現れ、居間でゲーム大会に興じていたのは許せなかった。葵は一人、応接間で、追悼会という名の怪しげな集会に参加させられ、糞にしか見えないケーキを前に、翔汰の指切りの為、借りて来た猫でいてやったというのに―――だ。  女達は鬱陶しかった。薄茶色の虹彩が光の加減で金色にも見える葵の目が、絵理子様にそっくりだと言っては涙し合い、葵が気を遣って丁寧に話せば、男の子だから多少元気でも雰囲気が恵理子様に似ていると言っては笑い合った。省吾が葵にもゲームに参加させて欲しいと頼んでくれたから良かったものの、あのまま放置されていたのなら、腹立ち紛れに女達を蹴散らしていただろう。 〝ありがとな〟  そう言った葵に、省吾はまたキスの貸しが増えたと、馬鹿らしいことを言った。葵はいつものように、〝クソがっ〟と返した。  居間ではシューティングゲームで競い合っていた。葵は何もかも忘れて、撃って撃って撃ちまくった。勝者は意外なことに、田中よりもややおとなしい井上だった。揃わないこともあるのかと問い掛けると、勝負は別だと、ぴったり揃った声で答えていた。全くもって愉快な奴らだと、葵は思った。  この町に来て色々あっても、気付けば毎日が平和だ。葵は気分よく、バスケットボールの試合会場となる中等部の体育館へと向かった。高等部の体育館はバレーボールの試合に使われる。それぞれの競技が開催される体育館で、参加クラスが順次練習をする。この時期だけは、中等部、高等部、どちらの校舎へも出入りが自由に出来るのだった。〝最強クラス〟を決めるジャンケンは、全生徒が集合出来る食堂で行われることになっている。  笑えたのは、メイだ。メイのクラスがバレーボールに参加を決めたせいで、翔汰と同じバスケットボールに変更しろと、ひと暴れしたものの、省吾に叱られ、泣く泣く諦めたそうだ。哀れなのは、そのメイの世話をすることになったコウとリクだった。二人のクラスもバレーボールに参加を決めている。田中と井上のクラスもバレーボールと知り、ほっとしたのも頷ける。  省吾のクラスがバスケットボールに参加するのは聞かされていたが、省吾がクラスメートと一緒に中等部の体育館に出向いて、真面目に練習するのは意外に映る。省吾は学園指定のジャージ姿だったが、それさえ高級ブランドと思わせる優雅な着こなしで、従兄弟のかわい子ちゃんと並んで立っていた。かわい子ちゃんも省吾と同じような雰囲気だが、こちらには凄みがある。この二人がいるせいか、体育館の空気が張り詰めていた。  体育館では、二面あるコートを中等部と高等部とで使い分け、六クラスずつ順番に練習をする。割り振られた時間を前に、葵のクラスメートもコートの端に寄り集まって行く。それを見て、俄然、遣る気を出した翔汰が彼らに駆け寄り、気炎を揚げた。 「優勝目指して練習だ!」  クラスメートが翔汰を無視することはなかった。遣る気のない声で、〝ああ〟だの、〝おお〟だのと、面倒臭げではあったが答えてはいた。 「たらたらしてんじゃねぇぞっ」  葵が凄んでも、遣る気のなさは変わりない。それは憑き物が落ちたように普通だとも言える光景だった。  省吾の弟が、父親の逮捕直後から学園を休んでいるのが理由だった。県外の寄宿学校に転校することもわかっている。その噂が流れた頃には、葵の顔にやたらと絡んで来たにやけ面もその仲間も、葵への敵意をなくしていた。中間テストの順位も、彼らの態度が変わる理由になった。葵が一番を取るまでは、省吾の弟がその位置にいたそうだ。葵にはよくわからないが、彼らには重要なことのようだった。  葵は楽しくやれるのなら、それで良かった。クラスメートの態度が変わったことに、拘りはない。今では彼らも葵に言いたい放題だが、葵も遠慮しない。 「ああん?高等部の奴らに、ビビってんのか?」 「篠原は先輩達の恐ろしさを知らないから、言えんだよ」  葵に答えたのは、あのにやけ面だった。省吾に散々脅された時のことを思うと、きつい口調ながらも僅かに震えるその声に笑わされる。ニヤニヤした葵が、何を思ったかも知れるというものだ。にやけ面が―――正しくは〝元にやけ面〟が、むすっと続けた。 「篠原が熱くなるのは目に見えてたからな。遣る気なんか出して睨まれるより、無難に行こうって、みんなで決めたんだよ。その意思表示もちゃんとしてあるぜ」  元にやけ面を後押しするかのように、他のクラスメートが揃って頷く。〝てめぇら、鈴木と山田か?〟と返したくなるくらいに、見事に揃うその様子に田中と井上が思い浮かぶ。つまり葵を除いた全員が、賭けに参加済みということだ。葵は翔汰を含めたクラスメート全員からハブられた。 「クソがっ」  葵は腹立たしげに言い返した。 「その意思表示っての?わかってんだからな。てめぇら、俺に内緒でどこに賭けたんだよ」 「そんなの……」  またも田中と井上かというように、揃って全員が省吾へと顔を向けた。翔汰までが一緒に顔を動かしている。省吾のことになると、黙っていられない翔汰が解説を始めた。 「いつもは補欠で、試合に参加したことがないのに、っていうか、試合会場にも来たことがないんだけど、最後だから、選手として参加させて欲しいと、それはもう奥ゆかしくクラスメートに頼んだんだって。去年までは、自分が参加すると、みんなが遠慮しちゃって、試合にならないから、補欠でいいって言ってたんだよ。先輩って、本当に凄くて、優しいよね。だから、最後の今年、みんなで先輩を応援するんだ」  途中まではうんうんと頷いていたクラスメートが、話が最後の部分に近付くと、違うというように揃って首を横に振る。葵は力の限りに顔を顰めた。ハブられた原因は省吾にあった。翔汰はただ好きだから、葵に反対されたくなかったのだろう。クラスメートはというと、葵の勢いに巻き込まれて睨まれるより、長いものには巻かれろ的処世術を選んだようだ。 「クソっ、クソっ……」  葵は試合をする前から省吾に負けている現実を跳ね返そうと怒鳴った。 「なめてんじゃねぇぞっ!」

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