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第四部 31-1
省吾はこうして制服姿で好きな相手に待たされるのも、意外に悪くないものだと思った。欲しいと口にする前に、全てを差し出されていた男には、高校生が普通にするようなことも未曾有の領域だった。他の誰でもなく、待つ相手が葵であるからこそ、許しもする。
『鳳盟学園』の夏服は、栄えある一回生の時代から少しも変わらずに受け継がれている。上は白の開襟シャツで、下は濃いグレーのズボンだった。高等部と中等部の違いは襟に付ける校章にある。ネクタイと同じで、空色が高等部、臙脂色が中等部を示し、胸ポケットに刺繍されたエンブレムに違いはなかった。
校則では、シャツの裾はズボンの中に入れることになっているが、いつの頃からか、大半の生徒が裾をズボンの外に出すようになった。校則がどうのと、うるさく言う教師もいたそうだが、二十年近く前の異常な暑さが幸いしたのか、裾程度のことで厳しく言われることはなくなった。
そうは言っても、どの時代にも、校則を遵守したがる真面目な生徒はいるものだ。省吾が知る範囲では、双子もどきや小猿といったところだが、希少生物のような彼らは別として、色気付く年頃でもあり、殆どの生徒は見た目を気にする。省吾が入学してからは、スタイルのいい誠司を真似て、ややルーズに着こなすようになっていた。その方がより涼しげで、おしゃれに見えるからだった。
夏の盛りには余り意味のない話ではある。涼しい顔をしてみせることが、粋でおしゃれだということだ。省吾にしても、血に棲むものと融合しようが、人としての肉体を持つからには、何をどうしようが暑いものは暑い。
省吾はスクールバッグを肩に掛け、葵が指定した校門ではなく、エントランスホールの出入り口辺りで待っていた。ここには冷房が効かせてある。暑さを凌げる日陰を作らない錬鉄製の校門で待つのは、まともに考えなくても、愚かな行為だとすぐに気付く。
省吾は冷房の効いた屋内で、ゆったりと葵を待っていた。自然と感覚が中等部の校舎の出入り口へと向かい、空気を震わす振動と匂いに気持ちが引かれる。顔を向けた時、省吾の目には葵の姿が映されていた。
葵はシャツの裾を出すだけでなく、ボタンを全部外している。またもあの小憎らしい海外コミックのキャラクターとご対面という訳だ。インナーにするTシャツを、そのキャラクター付き以外に持っていないのは、尋ねるまでもないのだろう。
出会った時から伸ばしている髪は、体育館で見たのと同じ団子型にまとめてある。少し位置が高くなっているのは、シャワーを浴びたからのようだ。濡らさないようにしたのだろうが、まとめた毛先に微かな湿り気を思わせる。髪を伸ばしている理由を聞いたことはないが、葵の髪に触れるのが好きな省吾には喜ばしいことだった。
「俺の為?」
まさかと思いながらも、顔がにやつく。省吾は葵の髪に触れるのが癖になっていた。指にたっぷりと絡まる今の長さが好きだった。あの団子を崩してみたい。そう思いながら葵を眺めていた。
葵はスクールバッグを肩に掛け直すようにして、つまらなさそうにこちらへと歩いている。思惑が外れたのを、悔しがっているようだった。
「俺、校門で待ってろって言ったよな?なのに、あんた、なんでここにいんだよ」
「あんな暑いところで待てない」
「ちっ」
葵が舌を鳴らしたのを、省吾は確かに聞いた。全くもって小憎らしい奴だと、腹立たしげな思いでこちらからも近付いて行く。そして間合いを考え、さり気なく、それでいて素早く、葵の肩に腕を回して引き寄せた。これでもかという程、年相応の反応で熱くなった体を密着させてやった。
「なっ!暑いだろ!」
嫌がろうが構うものか―――。意志の強さで恥はさらしていないが、熱は冷めない。葵も同じだ。甘い匂いに、むせびそうになる。
省吾は葵を片腕に抱いたまま、反対側の肩で押すようにして、壮麗なレンガ造りの建物に合わせて取り付けられた重厚なドアを開け、エントランスホールから外に出た。そのドアの中と外とで、空気は一変する。照り付ける午後の日差しに、汗が噴き出る。体の熱も、夏の暑さによるものだけが残った。
夏休みまでのこの一週間、授業はないが、生徒達は球技大会の練習で入れ替わるように学園内を自由に出入りする。食堂に行けば、昼食も食べられる。ランチ目当てに登校する生徒もいるが、デザートのアイスクリームを忘れてはならない。校門へと続く石畳には、そういった生徒達が途絶えることなく行き来していた。
省吾と葵がふざければ、彼らの目に留まる。葵が省吾に声を張り上げたことも、彼らを驚嘆させたようだ。香月の次期当主は美しいだけではない。血気盛んで、義侠心に富んでいる。怒らせたなら恐怖に震わされるが、根には持たれない。お人好しでさっぱりしていると噂され始めている。
〝蜂谷さぁ……〟
主 にサキのせいだが、食堂で葵が省吾に向かって言ったことは、あっという間に広まった。
〝……あんた、ホント、最低だな?〟
その通りだと思う者は多いだろうが、面と向かってはっきりと口に出来る者は、この町にはいない。名字で呼び捨てに出来るのも葵だけだった。省吾が許しているという以上に、葵の勇気を称賛している。さすがは香月の血筋ということのようだが、そういった噂も葵には関係ない。〝最低〟な省吾を平伏させようと、無意味な戦いを一人で続けている。
省吾はそれで構わなかった。誠司がクソ生意気と言おうが、葵らしくいて欲しい。
「クソがっ」
この耳慣れた悪態が、心地良く響くのだから、自分でも相当イカれていると、省吾は思う。それでも可愛げのないことを言われると、憎らしいと感じるのは仕方のないことだろう。
「汗だくで、へろへろなあんたを見てやろうと思ったのにな」
「そんなことだと思っていたよ」
省吾が不機嫌に声を低めると、葵はいつもニヤニヤし始める。嫌みな笑顔で何を語ろうというのかは、省吾には一目瞭然だった。
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